追放された無能召喚士、最弱スライムの中に双子の魔王がいました

桜塚あお華

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第2章 眠れるスライム、もう一人の魔王

第10話 ルーナの予感と出発

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 それは、あまりにも唐突な出来事だった。
 予測すらできなかった、静かな夕暮れの終わり。

 その日の夕暮れ。
 日が傾き、村が橙色の光に染まるころ。
 ルーナはいつものようにガルドの隣にちょこんと座り、彼が器用に薪を割る姿を楽しげに見つめていた。
 時折、小さな拍手を送ったり。

「ご主人様、すごーい! もう、なんでもできちゃいますね!」

 甘えた声を上げたりして、その無邪気な笑い声は、村の穏やかな空気に溶け込んでいた。
 ガルドもまたルーナの屈託のない笑顔に、少しだけ心を安らげていた。

 ――だが。

 ふと、その動きが止まった。
 ルーナの表情が一瞬にして凍りつき、瞳が細められる。
 先ほどまでの楽しげな雰囲気は一切消え、代わりに現れたのは張り詰めた真剣そのものの表情。
 その紅い瞳は遥か遠くを見据え、まるで世界がひび割れる音を聴いたかのような緊張に満ちていた。

「……ご主人様」

 その静かな、しかし確かな響きを持つ呼びかけに、ガルドは薪を割る手を止める。
 彼の心臓が、微かに跳ねた。

「ん?どうした、急に。ルーナらしくないぞ。そんな真剣な顔して」

 ガルドが不安げに問いかけると、ルーナは一言――。

「お兄ちゃんの気配が……急に強くなりました。とても、近くに感じます」

 その言葉に、ガルドの背筋が凍る。

 ルーナがこんな風に声を震わせるのは初めてだった。
 甘えでも、冗談でもない。
 そこには、研ぎ澄まされた『確信』があったらしい。
 彼女の紅い瞳には遠い記憶の光が宿っているかのようだった。

「……間違いないのか?本当に、お前の兄の気配なんだな?それも、こんな急に……」

 ガルドの声には、戸惑いと緊張が入り混じる。
 こんなにも早く“その時”が来るとは、想像していなかった。

「はい……胸の奥が、ずっとざわざわしてるんです。魂が震えるような感覚……まるで、私を呼んでいるような、あるいは、助けを求めているような……そんな気配が、どんどん強くなっています」

 ルーナの言葉は、まるでガルド自身の心臓に直接響くようだった。

 その夜――村には深い霧が立ち込めた。
 月明かりすら届かぬほどの濃霧は、村全体を不穏な沈黙で包み込んだ。
 昼間の暖かさは嘘のように消え失せ、肌を刺すような冷気が納屋の隙間から忍び込む。
 どこか不吉な風が吹き抜け、遠くでは村の犬たちが怯えたように、そしてどこか悲痛な声で一斉に吠えたという話もあった。
 その異様な静けさの中、ガルドは納屋の寝床で目を覚ました。
 妙な息苦しさに胸を押されるような感覚に襲われたかと思うと――すぐ隣で、ルーナが苦しげに呼吸しているのに気づいた。
 その呼吸は浅く、小さな肩は激しく上下している。
 額には大粒の汗が浮かび、彼女は胸元を強く押さえていた。
 その白い指先は、微かに震えている。

 そして、彼女の服の奥から――あの黒い石がかすかに、しかし確実に光を放っていた。

 赤黒い光はまるで生きているかのように、どくん、どくんと静かに脈打っていた。
 その波動は空気ではなく『魂』に触れるような不気味さと、どこか切なさを伴っていた。

 その魔力の震えは、ガルドの肌に、そして彼の内なる魔力にまでも、明確に反応していた。
 まるで、石そのものが“意志”を持ち、彼に何かを必死に訴えかけてくるかのようだった。

 それは、絶望ではなかった。
 焦燥と――そして、わずかな希望。
 切実な呼びかけだった。

「ルーナ!大丈夫か!?苦しいのか!?」

 ガルドは慌てて彼女の体を支え、必死にその顔を覗き込む。

「……っ、はい……でも、大丈夫です、ご主人様……これは、間違いありません……お兄ちゃんの封印に反応してるんです。すごく近い……今すぐにでも、会いに行かないと……!」

 ルーナは苦しげな表情を浮かべながらも、黒い石を両手で包み込む。
 その瞬間、石が――突如として、一点の方角を強く、明確に指し示した。
 まるで、見えない糸に引かれるように、一直線に。
 その先に、何かがあると確信させるように。

「……『嘆きの洞窟』……?」

 ガルドの脳裏に、ある名が浮かぶ。

 村の北にある古びた洞窟――誰も近づかず、動物でさえ本能的に避けるという不吉な場所。
 過去、何人もの冒険者が足を踏み入れたが、誰一人として戻ってこなかったという曰くつきの場所だった。
 その場所にルーナの兄がいるのか。

「ご主人様……」

 ルーナが、ガルドの手をそっと、しかし強く握る。
 その手は冷や汗で湿っていたが、彼女の想いは、確かに熱を帯びていた。
 紅い瞳が、まっすぐに彼を見つめてくる。

「もう一度だけ……私のお兄ちゃんに、あなたの声をかけてあげてほしいんです。私だけでは、まだ足りない。でも、主様の声なら――きっと、きっと届くはずです……私には、わかるんです……彼は、私の、たった一人のお兄ちゃんなんです!」

 その瞳には、いつもの甘えた色はなかった。
 ただ、妹として。
 家族として。
 たった一人の兄を永い眠りから救い出したいと願う、切実な想いが込められていた。
 そのまっすぐな願いに、ガルドの心は深く揺さぶられていた。
 彼は、自分の存在が誰かの“希望”になり得るという事実を、改めて突きつけられていた。
 ルーナの手の温もりを、しっかりと握り返す。

 もう、迷いはない。

 ルーナは言ったのだ。

 ――主様の声なら、届くかもしれない。

 自分の『無能』と蔑まれた魔力が、誰かを救えるのかもしれない。
 それが、ガルドの中に、新しい光を灯していた。

「……わかった、ルーナ。行こう。お前の兄を目覚めさせに。どんな場所だろうと、お前の望みなら付き合うさ。今度こそ、俺が力になる番だ」

 その言葉に、ルーナの表情がぱっと明るくなる。
 喜びと安堵の混じった笑顔は、まるで凍てついた氷が溶けていくようだった。

「はいっ!ご主人様、ありがとうございます!きっと……お兄ちゃんも、喜びます……!」

 小さな声が、夜の静けさに弾んだ。
 その希望に満ちた響きは、不穏な霧を、ほんの少しだけ晴らしたように感じられた。

 こうして、ガルドとルーナは――『兄』の封印を解くために、再び歩み始める。
 その先には、さらなる未知と、計り知れない運命が待ち受けていることを知らずに。
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