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アニエス、穴に落ちる
あれは私が王女宮に勤め始めて三月ほど。
そろそろ仕事に慣れてきた頃だった。
先輩侍女のアルマさんと資料用の本や書類
を運んでいると、本宮に続く外回廊に妙な
物があったのだ。
石畳に薄く光る円状のものがある。
近寄ってじっと観察すると、どう見ても
穴だった。
しかも、かなり深くて大きな穴だ。
底が見えない。
淡い光を発する怪しい穴。
「何?これ……」
「アニエス、どうしたの?」
アルマさんが声をかけてくれる。
「いや、何でこんな所に大きな穴があるん
ですかね?昨日はなかったのに……。
何があったんでしょうか」
「穴?どこに?」
「えっ、そこに」
「……。」
私にしか見えてませんでした。
「あ~うん。魔術関係のものなら私には
見えないから兄に見てもらいましょ?」
アルマさんは魔力があまりないのだった。
ちなみにアルマさんのお兄様は、
魔術師団長アルフォンス様です。
二人とも泣きぼくろのある
赤毛の美形さんです。
「私も魔力封じの腕輪をしているので魔術系
のものは見えないと思いますけど」
今は魔力ほぼゼロですもん。
「いや、アニエスにしか見えないって、
怪し過ぎるでしょ?ところでその腕輪は
まだ外れないの?」
そう言われて、じっと両腕にある金の腕輪
を見る。
生家で寝てる間に嵌められたらしい
のだけれど。私はどういう経緯や、理由で
嵌められたのかを知らない。
目覚めて……。いや意識が戻ったら家では
なくて、王都にある養家だった。
私はその頃、養子に出されるのが嫌で嫌で
とても反抗的だった。
だから薬を盛られたのだと思う。
前の日の夕食は家族で笑い合っていたのに。
九日間も薬で眠らされ、体はフラフラ。
家族に捨てられ心はボロボロ。
手には金の腕輪。
魔力が使えないことに絶望した。
魔力封じの腕輪。
魔力が使えない事には、なかなか慣れな
かった。
生まれてからずっと、自然に使って
いたから無理もない。
辺境では私は父や兄達と魔物相手に戦って
きた。
でも、魔力が使えなければこんなにも
弱い存在だったのかと気落ちした。
それどころか常に体が重い。
何とか腕輪を外そうとしたが魔力を込めると
ひどい目眩と脱力感に襲われる。
「腕輪を外して。家に返して!」
訴えれば養家では暴力を受ける。
だから、実家に手紙を書き続けた。
助けてと。
でも、返事はなかった。
婚約者のロベルト様はとても優しかった。
可愛い、可愛いいと溺愛されていた。
キラキラの王子様のようなロベルト様に
甘やかされて彼に恋をした。
だから堪えられたのだと思う。
それも私の背が伸びるまでだけど。
結局、婚約は破棄された。
ロベルト様の新しい婚約者は私の元義妹だ。
私は母方の実家である伯爵家の養子になっ
た。だから実は彼女は私の従姉妹にあたる。
そのせいか私と容姿がよく似ているのだ。
しかも小柄で可愛いい。
伯爵家も手間をかけて養子にした私が
捨てられ、実の娘が選ばれたのだ。
手間をかけた分だけ余計に損をした
気分なのかも。
ロベルト様、見た目重視ですね。
まあ、それもありなのかな。
でも、あなたの優しさに一喜一憂していた
私の五年は何だったのですか。
やりきれません。
──もう、私とじゃなくて最初から彼女と
婚約して下さいよ。
ヤバい落ち込んできた。
ふと、体が柔らかな物に包まれる。
アルマさんが私を抱きしめている。
ああ。暗い顔で黙り込んだから心配して
くれたんだ。
温かい。いい匂い。気持ちいい。
「アニエス、ごめん。余計な事聞いて」
「えっ?大丈夫ですよ。急に黙り込んで
すみません」
「顔色が悪いよ?」
「大丈夫です。少し昔の事を思い出してた
だけですよ。この腕輪がちょっと面倒臭い
物らしくて。
アルフォンス様が異国の術式が彫り込まれ
た特殊な物だとおっしゃってました。
解析に時間がかかると。
しばらくは外せないようです。」
アルマさんは一瞬悲しそうな顔になるが
すぐに優しく微笑む。
「魔術オタクのうちの兄様なら、そのうち
絶対に外してくれるわよ。うん。とりあえず
兄様を呼んで来るわね」
アルマさんは私の頭をくしゃくしゃと撫で
てからアルフォンス様を呼びに行った。
アルフォンス様が来るまで、この穴に誰も
近付かないように見張っていよう。
幸い、今のところ人通りはない。
でも、忙しいアルフォンス様がすぐに
捕まると良いのだけれど。
なんて穴を眺めながら考えていたら人の声
がする。振り返ると三人のご令嬢達がこちら
に歩いて来るのが見える。
う~わ出た!ピンク、イエロー、ブルーの
ドレスの三人組。
あれはアルフォンス様の追っかけお嬢様達。
面倒臭い。
そうか王女宮と本宮を結ぶこの回廊は
アルフォンス様の出没ポイントだった。
アルフォンス様に会えるのを期待して
ウロウロしている訳だ。
間が悪いなぁ。
「あら嫌だわ。目障りなのがいるわね。
どうりで臭うと思ったわ」
「本当に田舎臭いわね。ずいぶんと背の高い
案山子ね。とっとと田舎に帰りなさいよ」
「ふん、本当に目障りね。呪われ宮から出て
来ないでちょうだい」
なんか色々言われてるなぁ。
そちらもかなり臭いですよ。系統の違う香水
が混ざって臭いです。
徒党を組むなら同じ系統の香水を控え目に
使って下さい。
鼻が曲がりそうです。
それにしても呪われ宮って……。
第二王女宮のこと?
なんて失礼な。主への無礼は許せません。
「呪われ宮とは、ずいぶんと不敬な。
明らかな王族への侮辱。次第によっては
報告させていただきます」
思わず低い声になってしまう。
「呪われ宮は呪われ宮でしょ。呪われた
うえに行き遅れの王女なんて、敬う必要が
どこにあるの?」
ピンクのドレスの令嬢が顔を歪めながら
言い放つ。
この方は、伯爵令嬢なのに頭が残念なのか?
私に絡むだけならいいけど、
言って良いことと悪いことの区別がつかない
らしい。
これから彼女の事は残念ピンクと呼ぼう。
「貴族のご令嬢がそのような発言をなさる
とは、とても正気とは思えません。
やはり報告させていただきます」
姫様を侮辱するなんて、女でも殴りたい。
殴っていい?殴っていい?腹立つ~。
「田舎者の案山子が何を生意気な!!」
ピンクドレスの伯爵令嬢は持っていた
扇子で私の頬を思い切り叩く。
痛~!!血の味がする。
── あれ?私が殴られちゃった。
えっ、ご令嬢ってこんなに凶暴?
唖然としていると今度は他の2人に突き飛ば
される。
えっ、ちょっと待って?倒れながら思う。
そっちには穴がぁぁ~。
「えっ、えええ~うそ~!!」
吸い込まれるように私は穴に落ちた。
どこまでも落下する。
暗転した。私の意識はそこで途絶えた。
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