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7話 初めてのデート
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それからは無言。夏牙様の特大攻撃に胸を撃ち抜かれた私は、しばらく微動だにできず放心状態だった。目の前で見る笑顔一つでこんな状態になるというのに、一夜を共に過ごすことなんてできるの……?
夏牙様はと言えば、いつも通りの澄し顔のままハンドルを握り続けている。きっと彼からしてみればこんなことは朝飯前で日常茶飯事なのだろう。余裕たっぷりな態度は彼の魅力を更に引き立てた。
そうよね……連れている令嬢がコロコロ変わるようなプレイボーイは、息をするように甘いセリフを吐けるのだろう。しかしそれを嫌悪することは無い──何故なら私が夏牙様に心底惚れているから。我ながら重症だという自覚は勿論ある。けれど、こんなにも好きなんだもの、仕方がない。
予告通り一時間近く走り続けた車が到着したのは、市外でも評判の良いラグジュアリーホテルだった。ここから見える夜景は絶景だと聞く。食事のレベルも高ければ、きめ細やかなサービスも行き届いていると耳にしたことがあった。
「ご予約ありがとうございます。お待ちしておりました」
「ありがとう。行こう、黒部」
フロントで名前を告げた夏牙様は、背後の私を振り返り手を差し出した。これは……まさか。
「手を」
「あ……はい……!」
エスコートだ。まさか愛しの夏牙様に手を取られて歩く日が来るだなんて、夢のようだ。高鳴る胸を隠したくて、つい背中を丸めてしまう。
って──駄目よ、駄目! 夏牙様の隣を歩くのだから、胸を張って背筋をピンと伸ばしておかねば、恥をかくのは夏牙様だ。だらしのない使用人を連れていると噂が立った日には、我がホテルの評判まで落ちてしまう。
静かに息を吸って、ゆっくりと吐く。振り向いた夏牙様の不思議そうな顔に、頬が緩みそうになるのをなんとか堪える。五ミリだけ口角を上げてなんともない風を装い、少しだけ首を横に倒した。
「緊張しなくてもいい。普通のレストランだ」
「本当ですか?」
「ああ。君の父上が作る料理には叶わないかもしれないけれど」
私の父は夏牙様が副支配人を務めるホテルの料理長をしている。そういえば父も母も、楓様から結婚話について聞いたのだろうか。
というより、私が緊張しているの……顔に出ていたの? 上手いこと隠せたと思ったのに、どうやらまだまだのようだ。
「こちらへどうぞ」
レストランの案内係の先導で辿り着いたのは、広いレストランの奥の個室だった。廊下を見れば他にも何部屋か個室があるようで、賑やかなレストランとは打って代わり、廊下はしんと静まり返っている。
「わ……」
個室の広さは我がホテルのレストランと同じくらいだろうか。一面だけガラス張りの壁から見える夜景は絶景だ。
「こういう時に自社と比較してしまうのはよくないが……いい景色だろう?」
「ええ、とても……!」
パッと顔を上げると、隣に立つ夏牙様と目が合った。眉を跳ね上げ顔を赤らめた夏牙様は、視線を斜め下に落としてしまった。
いけない……! 私……今、どんな顔してた?
夏牙様が目も合わせたくないほど、はしゃいだ子供のような顔をしていたに違いない。彼に恥をかかせてしまったことが申し訳ないやら恐ろしいやらで、私はサッと背を向けてしまった。
「すみません……!」
「何がだ?」
「え……あ……その……」
空気のように佇んでいた案内係が、私たちが席につくのを確認すると、ゆっくりと口を開く。何やら説明をしているようだったが、先程のミスで頭がいっぱいいっぱいな私の耳には何も届いてこなかった。
「黒部、どうした? まさか具合でも悪いのか?」
「そそそ、そんなことは」
「一体何に動揺している?」
そりゃあ、長年想い続けていた方に初めて食事に誘われて、その後もある──だなんて言われて手まで握られてしまえば動揺くらいしますよ! だなんてお伝え出来るはずもなく、私は夏牙様に「お飲み物はいかがしますか?」と言いながら目を逸らした。
「なるほど」
「……え?」
ああ、顎に手を添えてしたり顔で私を見つめる顔が妖艶すぎる。こんな表情、今まで見せてくれたことなんてなかったのに……! もう夏牙様の反則勝ちでいいので、許してほしい。心臓が保たないもの。
「いや、飲み物は先程注文したんだが……ふぅん……余程動揺していると見える」
と、ここで入口の扉がノックされる。ウエイターが前菜と飲み物を運んできてくれたようだ。目の前に置かれた色鮮やかな皿に、思わず頬が緩む。これは白ワインが合いそうだ。
「黒部、飲むかい?」
「あ……ありがとうございます、頂きます」
淡い黄褐色のワインが注がれた細いグラスを持ち上げ、掲げる。なんて──なんて夢みたいな時間なんだろう。
「安心しろ、俺もだ」
「え?」
一体何の話だったか、グラスの向こうの彼に見惚れて思い出すことが出来ない。グラスにゆっくりと唇を押し当てる。う~ん……美味しい、愛しい方と飲むお酒は格別だ。
「さて黒部……早速だが本題に入っても?」
「はい、なんでしょうか」
「結婚の話だ」
手の中の銀食器を思わず落っことしそうになる。ギョッとして顔を上げると、夏牙様がテーブルの上に何やら小さな箱を置かれた。
「……これは?」
「指輪だ」
「ゆ……びわ?」
「婚約指輪だ」
よく見ればそれはジュエリーボックスで。白い蓋を持ち上げれば、中には大きなダイヤモンドのついたプラチナリングが輝いていた。
「改めて伝えようと思う。黒部……俺と結婚してくれないか?」
「……あ……」
はい、と返事をしたつもりが、私の口から抜けていったのは乾いた音だけで。
「は……あ、の」
私だって夏牙様が大好きだ。幼少からお側で見守り、気がつけば芽生えていたこの恋心は、もう誤魔化すことができなくて。
「し、しかし……子供を授からねば結婚できないというお話だったはずです」
夏牙様のご両親から「子供を授からねば結婚は許さない」と言われたわけではないが、妊娠は絶対条件だった。子供が必要だという話が出ている以上、先に籍を入れて「授かりませんでした」では、夏牙様の籍に傷をつけてしまう。
「わかっている。だが形だけでもこういうことは必要だろう?」
「そうでしょうか?」
「愛を言葉にすることは、大切だと思うが」
愛……! 愛と仰ったの……!?
「君のことは必ず孕ませる。だから……無事妊娠できたら、結婚指輪も受け取ってほしい」
か……必ず孕ませるですって!?
ああ駄目だ……全身がカッと熱くなり、お腹の下の方がキュッと疼いてしまう。身体が夏牙様を求めている──こんなの、食事どころではない。
「黒部、手を出して」
「は……い」
私が震えながら差し出した左手の指先を、夏牙様がそっと摘み上げる。綺麗な指──から、私の薬指に移動したプラチナリングは、不思議とサイズがピッタリだった。リングに嵌ったダイヤモンドは、部屋の照明を受けて眩いほどに煌めいている。
「……黒部?」
「あ……すみません、驚いてしまって」
「何がだ?」
「ゆ、指輪もですが……夏牙様がそのようなことを仰るとは思っていませんでしたので」
愛だの、妊娠だの、孕ませるだの、普段のクールな夏牙様からは想像もできない単語がゴロゴロ転がっているのだ。避けるのに必死で、上手く返事をすることができない。
「俺はずっと君が好きだったんだけどな」
「何と……?」
「ずっとだ。ずっと、厭らしい目で見ていた」
「酔ってます?」
「まさか」
グラスの中のワインは半分ほど減っただろうか。私はザルだが、夏牙様は一体どのくらいお酒が飲める体質なのか……未知である。
「俺達、長い間毎日顔を合わせているが、お互いにまだ知らないことが多いとは思わないか?」
「私も、今同じことを考えていました」
食事の好みや何気ない時に出る癖、仕事に関する考え方なんかは知り尽くしている。けれど私は彼が毎朝どんな風に服を選んでいるかだとか、お風呂でどこから体を洗うのかとか、お酒をどれだけ飲めるのか──そういったことは全く知らない。
──どんな風に女性を抱くのかも、知らない。
「だから、これから出来るだけ色々なことを知りたいと思うんだ」
「光栄です」
次の料理が運ばれてきた。話しながら前菜は口に運んでいたが、目の前の夏牙様に夢中でどんな味だったか記憶に残っていない。本題に入る前のワインの味は覚えているというのに……。
「夏牙様は私のような女の……どこをお気に召したのでしょう?」
「そ、それは……」
「夏牙様?」
「ええっと……」
……照れ隠し? 夏牙様は私から目を逸らしてしまった。いつも真っ直ぐな目線で堂々としていらっしゃるのに、こんな態度──新鮮だわ。
それよりも……好きだと口では言いながら、肝心なところは教えて下さらないなんて──もしかして、そういうこと?
「ありがとうございます。余り物に情をかけてくださっているのですね」
「何だって?」
「そうですよね、ご両親に結婚を急かされたのですよね? それで従順で手頃な私で妥協なさったのですよね?」
自分で言って虚しくなってくる。そうよね、こんな素敵な方が、都合よく私を好きになるはずなんてない。長いこと近くにいたものだから、いいように使われているだけなのだ。それもそれで美味しいけれど、それならばビジネスライクな関係のまま、事務的に孕まされたほうが──
「何を言っている?」
「何を困惑なさっているのでしょうか?」
「いや待て……君は何か勘違いをしている」
夏牙様は手の中のカトラリーを一旦置いて立ち上がる。私の隣まで足を動かすと、目の前で──まるで絵本の中の王子様のように片膝をついて私を見上げた。
「手を貸して」
「はい……」
スッと差し出した私の左手を摘み上げると、夏牙様はあろうことかその甲に唇を落とした。
「あ……わわわわ……」
口から心臓が飛び出しかける。温かくて柔らかな感触に、目が回ってしまう。
「君の好きなところが多すぎて、一言では言い表せない」
「……夏牙様?」
「聡明で頭の回転も早く、思いやりがあって常に他人のために動くところは大変尊敬している。勉強熱心で努力家なところも、その努力をひけらかさないところも、更に高みを目指そうとする姿勢も魅力的だ。何より……時折見せる穏やかな表情や笑顔が……可愛らしくて愛おしい」
「な……何を!」
どこをどう見れば私がこんな風に見えるのだろう。ここまでの褒め言葉、そりゃあ突然問われてスラスラと答えるには恥ずかしすぎるだろう。
「そんなこと……いくらでも言えますよ」
「ほう、君は雇用主である俺の言うことが信用できないと?」
「そういう意味では……ないのですが……」
そりゃあ……私だって、愛しい方がこんな風に言って下さる言葉を嬉しくは思うし信じたい。けれど、あまりにも突拍子がないというか、夢みたいな話しすぎて信じがたいのだ。
「……では、俺がどれだけ君のことを好きなのか、思い知らせてやろう」
「え?」
「食事の後のこと、楽しみにしていなさい」
本当に、今日の夏牙様は一体どうしてしまったのだろう。他所様の令嬢にかける甘い言葉を、私なんかに浴びせるなんて。
あ──そうか……!
「お酒……! やはりお酒のせいですよね? だからそのようなことを」
「さて、どうかな」
いたずらっぽく笑った夏牙様は、手の中のグラスをグイッと煽る。少しだけ潤んだ瞳に、飲み込まれてしまいそうで慌てて目を逸らした。
夏牙様はと言えば、いつも通りの澄し顔のままハンドルを握り続けている。きっと彼からしてみればこんなことは朝飯前で日常茶飯事なのだろう。余裕たっぷりな態度は彼の魅力を更に引き立てた。
そうよね……連れている令嬢がコロコロ変わるようなプレイボーイは、息をするように甘いセリフを吐けるのだろう。しかしそれを嫌悪することは無い──何故なら私が夏牙様に心底惚れているから。我ながら重症だという自覚は勿論ある。けれど、こんなにも好きなんだもの、仕方がない。
予告通り一時間近く走り続けた車が到着したのは、市外でも評判の良いラグジュアリーホテルだった。ここから見える夜景は絶景だと聞く。食事のレベルも高ければ、きめ細やかなサービスも行き届いていると耳にしたことがあった。
「ご予約ありがとうございます。お待ちしておりました」
「ありがとう。行こう、黒部」
フロントで名前を告げた夏牙様は、背後の私を振り返り手を差し出した。これは……まさか。
「手を」
「あ……はい……!」
エスコートだ。まさか愛しの夏牙様に手を取られて歩く日が来るだなんて、夢のようだ。高鳴る胸を隠したくて、つい背中を丸めてしまう。
って──駄目よ、駄目! 夏牙様の隣を歩くのだから、胸を張って背筋をピンと伸ばしておかねば、恥をかくのは夏牙様だ。だらしのない使用人を連れていると噂が立った日には、我がホテルの評判まで落ちてしまう。
静かに息を吸って、ゆっくりと吐く。振り向いた夏牙様の不思議そうな顔に、頬が緩みそうになるのをなんとか堪える。五ミリだけ口角を上げてなんともない風を装い、少しだけ首を横に倒した。
「緊張しなくてもいい。普通のレストランだ」
「本当ですか?」
「ああ。君の父上が作る料理には叶わないかもしれないけれど」
私の父は夏牙様が副支配人を務めるホテルの料理長をしている。そういえば父も母も、楓様から結婚話について聞いたのだろうか。
というより、私が緊張しているの……顔に出ていたの? 上手いこと隠せたと思ったのに、どうやらまだまだのようだ。
「こちらへどうぞ」
レストランの案内係の先導で辿り着いたのは、広いレストランの奥の個室だった。廊下を見れば他にも何部屋か個室があるようで、賑やかなレストランとは打って代わり、廊下はしんと静まり返っている。
「わ……」
個室の広さは我がホテルのレストランと同じくらいだろうか。一面だけガラス張りの壁から見える夜景は絶景だ。
「こういう時に自社と比較してしまうのはよくないが……いい景色だろう?」
「ええ、とても……!」
パッと顔を上げると、隣に立つ夏牙様と目が合った。眉を跳ね上げ顔を赤らめた夏牙様は、視線を斜め下に落としてしまった。
いけない……! 私……今、どんな顔してた?
夏牙様が目も合わせたくないほど、はしゃいだ子供のような顔をしていたに違いない。彼に恥をかかせてしまったことが申し訳ないやら恐ろしいやらで、私はサッと背を向けてしまった。
「すみません……!」
「何がだ?」
「え……あ……その……」
空気のように佇んでいた案内係が、私たちが席につくのを確認すると、ゆっくりと口を開く。何やら説明をしているようだったが、先程のミスで頭がいっぱいいっぱいな私の耳には何も届いてこなかった。
「黒部、どうした? まさか具合でも悪いのか?」
「そそそ、そんなことは」
「一体何に動揺している?」
そりゃあ、長年想い続けていた方に初めて食事に誘われて、その後もある──だなんて言われて手まで握られてしまえば動揺くらいしますよ! だなんてお伝え出来るはずもなく、私は夏牙様に「お飲み物はいかがしますか?」と言いながら目を逸らした。
「なるほど」
「……え?」
ああ、顎に手を添えてしたり顔で私を見つめる顔が妖艶すぎる。こんな表情、今まで見せてくれたことなんてなかったのに……! もう夏牙様の反則勝ちでいいので、許してほしい。心臓が保たないもの。
「いや、飲み物は先程注文したんだが……ふぅん……余程動揺していると見える」
と、ここで入口の扉がノックされる。ウエイターが前菜と飲み物を運んできてくれたようだ。目の前に置かれた色鮮やかな皿に、思わず頬が緩む。これは白ワインが合いそうだ。
「黒部、飲むかい?」
「あ……ありがとうございます、頂きます」
淡い黄褐色のワインが注がれた細いグラスを持ち上げ、掲げる。なんて──なんて夢みたいな時間なんだろう。
「安心しろ、俺もだ」
「え?」
一体何の話だったか、グラスの向こうの彼に見惚れて思い出すことが出来ない。グラスにゆっくりと唇を押し当てる。う~ん……美味しい、愛しい方と飲むお酒は格別だ。
「さて黒部……早速だが本題に入っても?」
「はい、なんでしょうか」
「結婚の話だ」
手の中の銀食器を思わず落っことしそうになる。ギョッとして顔を上げると、夏牙様がテーブルの上に何やら小さな箱を置かれた。
「……これは?」
「指輪だ」
「ゆ……びわ?」
「婚約指輪だ」
よく見ればそれはジュエリーボックスで。白い蓋を持ち上げれば、中には大きなダイヤモンドのついたプラチナリングが輝いていた。
「改めて伝えようと思う。黒部……俺と結婚してくれないか?」
「……あ……」
はい、と返事をしたつもりが、私の口から抜けていったのは乾いた音だけで。
「は……あ、の」
私だって夏牙様が大好きだ。幼少からお側で見守り、気がつけば芽生えていたこの恋心は、もう誤魔化すことができなくて。
「し、しかし……子供を授からねば結婚できないというお話だったはずです」
夏牙様のご両親から「子供を授からねば結婚は許さない」と言われたわけではないが、妊娠は絶対条件だった。子供が必要だという話が出ている以上、先に籍を入れて「授かりませんでした」では、夏牙様の籍に傷をつけてしまう。
「わかっている。だが形だけでもこういうことは必要だろう?」
「そうでしょうか?」
「愛を言葉にすることは、大切だと思うが」
愛……! 愛と仰ったの……!?
「君のことは必ず孕ませる。だから……無事妊娠できたら、結婚指輪も受け取ってほしい」
か……必ず孕ませるですって!?
ああ駄目だ……全身がカッと熱くなり、お腹の下の方がキュッと疼いてしまう。身体が夏牙様を求めている──こんなの、食事どころではない。
「黒部、手を出して」
「は……い」
私が震えながら差し出した左手の指先を、夏牙様がそっと摘み上げる。綺麗な指──から、私の薬指に移動したプラチナリングは、不思議とサイズがピッタリだった。リングに嵌ったダイヤモンドは、部屋の照明を受けて眩いほどに煌めいている。
「……黒部?」
「あ……すみません、驚いてしまって」
「何がだ?」
「ゆ、指輪もですが……夏牙様がそのようなことを仰るとは思っていませんでしたので」
愛だの、妊娠だの、孕ませるだの、普段のクールな夏牙様からは想像もできない単語がゴロゴロ転がっているのだ。避けるのに必死で、上手く返事をすることができない。
「俺はずっと君が好きだったんだけどな」
「何と……?」
「ずっとだ。ずっと、厭らしい目で見ていた」
「酔ってます?」
「まさか」
グラスの中のワインは半分ほど減っただろうか。私はザルだが、夏牙様は一体どのくらいお酒が飲める体質なのか……未知である。
「俺達、長い間毎日顔を合わせているが、お互いにまだ知らないことが多いとは思わないか?」
「私も、今同じことを考えていました」
食事の好みや何気ない時に出る癖、仕事に関する考え方なんかは知り尽くしている。けれど私は彼が毎朝どんな風に服を選んでいるかだとか、お風呂でどこから体を洗うのかとか、お酒をどれだけ飲めるのか──そういったことは全く知らない。
──どんな風に女性を抱くのかも、知らない。
「だから、これから出来るだけ色々なことを知りたいと思うんだ」
「光栄です」
次の料理が運ばれてきた。話しながら前菜は口に運んでいたが、目の前の夏牙様に夢中でどんな味だったか記憶に残っていない。本題に入る前のワインの味は覚えているというのに……。
「夏牙様は私のような女の……どこをお気に召したのでしょう?」
「そ、それは……」
「夏牙様?」
「ええっと……」
……照れ隠し? 夏牙様は私から目を逸らしてしまった。いつも真っ直ぐな目線で堂々としていらっしゃるのに、こんな態度──新鮮だわ。
それよりも……好きだと口では言いながら、肝心なところは教えて下さらないなんて──もしかして、そういうこと?
「ありがとうございます。余り物に情をかけてくださっているのですね」
「何だって?」
「そうですよね、ご両親に結婚を急かされたのですよね? それで従順で手頃な私で妥協なさったのですよね?」
自分で言って虚しくなってくる。そうよね、こんな素敵な方が、都合よく私を好きになるはずなんてない。長いこと近くにいたものだから、いいように使われているだけなのだ。それもそれで美味しいけれど、それならばビジネスライクな関係のまま、事務的に孕まされたほうが──
「何を言っている?」
「何を困惑なさっているのでしょうか?」
「いや待て……君は何か勘違いをしている」
夏牙様は手の中のカトラリーを一旦置いて立ち上がる。私の隣まで足を動かすと、目の前で──まるで絵本の中の王子様のように片膝をついて私を見上げた。
「手を貸して」
「はい……」
スッと差し出した私の左手を摘み上げると、夏牙様はあろうことかその甲に唇を落とした。
「あ……わわわわ……」
口から心臓が飛び出しかける。温かくて柔らかな感触に、目が回ってしまう。
「君の好きなところが多すぎて、一言では言い表せない」
「……夏牙様?」
「聡明で頭の回転も早く、思いやりがあって常に他人のために動くところは大変尊敬している。勉強熱心で努力家なところも、その努力をひけらかさないところも、更に高みを目指そうとする姿勢も魅力的だ。何より……時折見せる穏やかな表情や笑顔が……可愛らしくて愛おしい」
「な……何を!」
どこをどう見れば私がこんな風に見えるのだろう。ここまでの褒め言葉、そりゃあ突然問われてスラスラと答えるには恥ずかしすぎるだろう。
「そんなこと……いくらでも言えますよ」
「ほう、君は雇用主である俺の言うことが信用できないと?」
「そういう意味では……ないのですが……」
そりゃあ……私だって、愛しい方がこんな風に言って下さる言葉を嬉しくは思うし信じたい。けれど、あまりにも突拍子がないというか、夢みたいな話しすぎて信じがたいのだ。
「……では、俺がどれだけ君のことを好きなのか、思い知らせてやろう」
「え?」
「食事の後のこと、楽しみにしていなさい」
本当に、今日の夏牙様は一体どうしてしまったのだろう。他所様の令嬢にかける甘い言葉を、私なんかに浴びせるなんて。
あ──そうか……!
「お酒……! やはりお酒のせいですよね? だからそのようなことを」
「さて、どうかな」
いたずらっぽく笑った夏牙様は、手の中のグラスをグイッと煽る。少しだけ潤んだ瞳に、飲み込まれてしまいそうで慌てて目を逸らした。
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