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1話 旦那様の……匂いがする
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私がこの国に嫁いだのは、遠い親戚であるネヴィアス様の提案が第一であったけれど、自分の意志も強かった。一年前に初めて見かけたあの時、一目見て惹かれてしまったあの方に嫁げるのだと確約された時、この上なく胸が踊ったもの。
シナブル・グランヴィ様。このファイアランス王国の現王弟の息子だという。立場だけ見れば婚姻を結ぶと私も王族の仲間入りをするわけだけれど、この国の王家組織は特殊。国王、王妃、その子達に、親戚やいとこ──つまりはシナブル様達がお傍で仕える形らしい。お仕えして仕事の補助から身の回りのお世話までするとのことで、メイドの上位互換のようなものかと、この時は思っていた。
「サーシャ・オリヴェスイークです。よろしくお願い致します」
「ふふ、久しぶりサーシャ。よろしく」
初めて訪れた──今日より暮らすこととなるこのファイアランス王家の住む城──フィアスシュムート城の城門で私を待っていたのは同郷で遠縁のヴィウィだった。形式ばった挨拶を交わしたが、私とヴィウィはかつての同僚。同じトワクアライト王家の城でメイドとして仕えていた頃からの仲だった。
「顔見知りが多いのは心強いわ、ヴィウィ」
「そう言ってくれると嬉しい。でもサーシャ、この国でのあなたの役目……本当に大丈夫?」
「大丈夫、覚悟はしてきたもの」
この国に──殺し屋一族である王族が治めるこの国に嫁ぐということがどういうことか、予め私は滾々と説明を受けていた。受けて尚、嫁ぎたいという自分の意志も変わることはなかった。
「メイドは別に何人かいるし、あなたのメイドとしての仕事は殆どないわ。世話をされる側になったといえば言いすぎだけれど、各々仕事は与えられる。あなたの持ち場はこの城門で門番を務めること。陛下があなたの実力を買って下さり、直々のご指名よ。時々、事務仕事が回ってくることもあるけど、よろしくね」
「謹んでお受けしますわ」
「城には様々な方が訪ねてくるわ。正式な客人もいれば、勿論王家の方々のお命を狙う輩も。安全な場所とは言えない」
「腕っぷしには自信があるわ」
これでも私はエルフの端くれ。剣術は勿論のことあらゆる武術も身につけている。自分より体格の良い男になんて、負けたことがないもの。
「これ、通信機。仕事中は常に身につけておいて、連絡はこれで取り合って」
「わかったわ」
耳に小型の通信機を取り付け、ヴィウィの後について行く。それにしてもなんと広大な城なのだろう。以前働いていた城──……ネヴィアス様のご実家 トワクアライト家の王城よりも更に広い。うっかり迷子にならないように、しっかり道を覚えておかなくてはならないわね。
「ねえヴィウィ、殺し屋の仕事ってどんな感じ?」
「どんな?」
「あなたも仕事に出るのでしょう?」
「ええ、まあ……でもサーシャが殺しの仕事に出ることはないと思うわよ?」
「そうなの?」
「多分、ね」
とんだ期待外れだわ。並々ならぬ覚悟で嫁いできたというのに、少しだけ拍子抜けしてしまった。
「その辺りに関しては、またネヴィアス様から説明があると思うわ」
ええ、と相槌を打ってふと頭の片隅に 過る……私の旦那様になるシナブル様は、姿を見せてはくれないのだろうかと。ヴィヴィに尋ねてみよう。
「え、シナブル? きっと仕事ね。あの人、真面目人だから。アンナ様も帰って来られたばかりだし、シナブルは部屋から出てこないわよ」
アンナ様──……去年お目にかかったあの美しい姫君かと思い出す。あまり近くでお目にかかる機会はなかったものだから、ふんわりとしか記憶に残っていない。ヴィウィによると、この国の第二の姫であるアンナ様の臣下 シナブル様は、アンナ様のお世話もすれば、殺しの仕事もこなすとのこと。
「ところで何故部屋から出てこないの?」
「アンナ様の済ませた仕事の書類処理が多いのよ……」
「仕事?」
「殺しのね。書類の作成はそれぞれの臣下の務めだから」
「そうなのね」
一旦荷物を置くため、案内された臣下たちの私室棟へと足を踏み込む。階段を上り、二階廊下二つ目の扉の前でヴィウィは足を止めた。
「ここでいいと思う。シナブルの私室でもあるんだけど」
「シナブル様の私室!?」
「ええ。夫婦なら同室でしょう?」
コンコン、とヴィウィはノックをするが勿論返事はなく、ドアノブを引く。室内には誰もおらず、だだっ広い空間が広がっているだけだ。
「広くない……?」
「最初はそう思うわよね。私もそうだった」
家具や調度品は見事な物しかないというのに、物の少ない部屋だ。散らかっている様子も皆無。ヴィウィは廊下で待つというので、私だけが部屋に入り荷物を置いた。
(男の人の……匂いがする)
男性の一人部屋など、胸が高鳴らないわけが無い。 革張りのソファに、一人で眠るには大きすぎるベッド。彼の香りが染み付いているのは、きっとあの辺り。机の上に積み重ねられた本や、窓際に置かれた椅子にさえ胸が高鳴ってしまう。
「バスルームとトイレもあるから、自由に使ってね。自室の掃除は各々だから。困りごとがあれば統括のサン様に声をかけてね」
サン様は、私の義母になる方……つまり、シナブル様のお母上。まだ会えていないので、しっかり挨拶の予行練習をしておかないと。
「サーシャ、そろそろ」
「あ……ごめんなさい」
それにしても、個室だというのにバスルームもトイレも完備されていることに驚いてしまう。
「私室は全室これなの?」
「ええ。あちらはもっとすごいけれど」
あちらと言ってヴィウィが指差すのは左隣の棟。あちらは王の子達の私室だということ。
「あちらの棟に許可なく踏み行っては駄目よ。殺気で気絶するかも」
「殺気で気絶?!」
「アンナ様の殺気は凄いわよ。私だって動けなくなるもの。本気の殺気だと、恐らく意識を失うか失禁する」
「失禁……!?」
なんて恐ろしい方に、シナブル様は仕えていらっしゃるのだろう。仕事だから仕方がないのかもしれないけれど、妻となるからには、私が出来るだけその苦悩を取り除いて差し上げたい。そう心に決めて、静かに部屋を──私と彼の愛の巣となる部屋を後にした。
シナブル・グランヴィ様。このファイアランス王国の現王弟の息子だという。立場だけ見れば婚姻を結ぶと私も王族の仲間入りをするわけだけれど、この国の王家組織は特殊。国王、王妃、その子達に、親戚やいとこ──つまりはシナブル様達がお傍で仕える形らしい。お仕えして仕事の補助から身の回りのお世話までするとのことで、メイドの上位互換のようなものかと、この時は思っていた。
「サーシャ・オリヴェスイークです。よろしくお願い致します」
「ふふ、久しぶりサーシャ。よろしく」
初めて訪れた──今日より暮らすこととなるこのファイアランス王家の住む城──フィアスシュムート城の城門で私を待っていたのは同郷で遠縁のヴィウィだった。形式ばった挨拶を交わしたが、私とヴィウィはかつての同僚。同じトワクアライト王家の城でメイドとして仕えていた頃からの仲だった。
「顔見知りが多いのは心強いわ、ヴィウィ」
「そう言ってくれると嬉しい。でもサーシャ、この国でのあなたの役目……本当に大丈夫?」
「大丈夫、覚悟はしてきたもの」
この国に──殺し屋一族である王族が治めるこの国に嫁ぐということがどういうことか、予め私は滾々と説明を受けていた。受けて尚、嫁ぎたいという自分の意志も変わることはなかった。
「メイドは別に何人かいるし、あなたのメイドとしての仕事は殆どないわ。世話をされる側になったといえば言いすぎだけれど、各々仕事は与えられる。あなたの持ち場はこの城門で門番を務めること。陛下があなたの実力を買って下さり、直々のご指名よ。時々、事務仕事が回ってくることもあるけど、よろしくね」
「謹んでお受けしますわ」
「城には様々な方が訪ねてくるわ。正式な客人もいれば、勿論王家の方々のお命を狙う輩も。安全な場所とは言えない」
「腕っぷしには自信があるわ」
これでも私はエルフの端くれ。剣術は勿論のことあらゆる武術も身につけている。自分より体格の良い男になんて、負けたことがないもの。
「これ、通信機。仕事中は常に身につけておいて、連絡はこれで取り合って」
「わかったわ」
耳に小型の通信機を取り付け、ヴィウィの後について行く。それにしてもなんと広大な城なのだろう。以前働いていた城──……ネヴィアス様のご実家 トワクアライト家の王城よりも更に広い。うっかり迷子にならないように、しっかり道を覚えておかなくてはならないわね。
「ねえヴィウィ、殺し屋の仕事ってどんな感じ?」
「どんな?」
「あなたも仕事に出るのでしょう?」
「ええ、まあ……でもサーシャが殺しの仕事に出ることはないと思うわよ?」
「そうなの?」
「多分、ね」
とんだ期待外れだわ。並々ならぬ覚悟で嫁いできたというのに、少しだけ拍子抜けしてしまった。
「その辺りに関しては、またネヴィアス様から説明があると思うわ」
ええ、と相槌を打ってふと頭の片隅に 過る……私の旦那様になるシナブル様は、姿を見せてはくれないのだろうかと。ヴィヴィに尋ねてみよう。
「え、シナブル? きっと仕事ね。あの人、真面目人だから。アンナ様も帰って来られたばかりだし、シナブルは部屋から出てこないわよ」
アンナ様──……去年お目にかかったあの美しい姫君かと思い出す。あまり近くでお目にかかる機会はなかったものだから、ふんわりとしか記憶に残っていない。ヴィウィによると、この国の第二の姫であるアンナ様の臣下 シナブル様は、アンナ様のお世話もすれば、殺しの仕事もこなすとのこと。
「ところで何故部屋から出てこないの?」
「アンナ様の済ませた仕事の書類処理が多いのよ……」
「仕事?」
「殺しのね。書類の作成はそれぞれの臣下の務めだから」
「そうなのね」
一旦荷物を置くため、案内された臣下たちの私室棟へと足を踏み込む。階段を上り、二階廊下二つ目の扉の前でヴィウィは足を止めた。
「ここでいいと思う。シナブルの私室でもあるんだけど」
「シナブル様の私室!?」
「ええ。夫婦なら同室でしょう?」
コンコン、とヴィウィはノックをするが勿論返事はなく、ドアノブを引く。室内には誰もおらず、だだっ広い空間が広がっているだけだ。
「広くない……?」
「最初はそう思うわよね。私もそうだった」
家具や調度品は見事な物しかないというのに、物の少ない部屋だ。散らかっている様子も皆無。ヴィウィは廊下で待つというので、私だけが部屋に入り荷物を置いた。
(男の人の……匂いがする)
男性の一人部屋など、胸が高鳴らないわけが無い。 革張りのソファに、一人で眠るには大きすぎるベッド。彼の香りが染み付いているのは、きっとあの辺り。机の上に積み重ねられた本や、窓際に置かれた椅子にさえ胸が高鳴ってしまう。
「バスルームとトイレもあるから、自由に使ってね。自室の掃除は各々だから。困りごとがあれば統括のサン様に声をかけてね」
サン様は、私の義母になる方……つまり、シナブル様のお母上。まだ会えていないので、しっかり挨拶の予行練習をしておかないと。
「サーシャ、そろそろ」
「あ……ごめんなさい」
それにしても、個室だというのにバスルームもトイレも完備されていることに驚いてしまう。
「私室は全室これなの?」
「ええ。あちらはもっとすごいけれど」
あちらと言ってヴィウィが指差すのは左隣の棟。あちらは王の子達の私室だということ。
「あちらの棟に許可なく踏み行っては駄目よ。殺気で気絶するかも」
「殺気で気絶?!」
「アンナ様の殺気は凄いわよ。私だって動けなくなるもの。本気の殺気だと、恐らく意識を失うか失禁する」
「失禁……!?」
なんて恐ろしい方に、シナブル様は仕えていらっしゃるのだろう。仕事だから仕方がないのかもしれないけれど、妻となるからには、私が出来るだけその苦悩を取り除いて差し上げたい。そう心に決めて、静かに部屋を──私と彼の愛の巣となる部屋を後にした。
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