中華マフィア若頭の寵愛が重すぎて頭を抱えています

橋本しら子

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 なにか柔らかなものに頬を押されている。ふにふにと、何度も繰り返される動作。それでも相手に反応がないことに痺れを切らしたのか、その動作に激しさが増した。

「んぶっ!」

 ついには顔の上にのし掛かられ、その重さと息苦しさに朱兎は堪らず微睡んでいた意識を覚醒させる。

「……?」

 覚醒した視界に飛び込んできたのは、柔らかくふわふわな茶色と白が混じった前足。そして朱兎を覗き込むようにこちらを見ている、同じ色のふわふわの顔。

「……にゃん」

 それは呆れたようにひと鳴きし、朱兎の口元に乗せていた前足を退ける。そして朱兎の胸の上に行儀良く座り、大きな目でこちらをジッと見つめていた。

「……うに、さん?」
「にゃー」

 なんで? それが率直な感想だった。最近姿を見せないと思っていた野良猫と、まさかスイートルームこんなところで再会しようなど、そんなこと誰が思うだろう。
 そんな朱兎の考えなどお構いなしに、以前見たときよりもふわふわになった毛並みの身体を丸めながら、うには朱兎の上で寛ぎ始めた。

「あ」

 ふと、昨晩鼬瓏が言っていたことを思い出した。あのときはそれどころではなかったので気にしていなかったが、確かに言っていた。1匹連れてくると。どうやらそれは、その言葉の通りだったようだ。

「お前、鼬瓏に拾われてたのかよ」

 その問いには、ゆらゆらと揺れる尻尾が答えてくれる。鼬瓏と出会ったあの日以来姿を見ていなかったので、安否が確認できてなによりだ。
 触れても嫌がる様子のないうにの身体を撫でながら、そういえば珍しく鼬瓏の姿がまだ見えないことに気が付いた。

「鼬瓏はまだ戻ってないのか?」

 常日頃から一緒にいるので忘れていたが、学生は夏休みとはいえ社会人は平日。普通に考えて仕事がある。最近は一緒にいるのが当たり前になりすぎていて、随分と感覚が麻痺していた。
 カタギではないとはいえ、表向きでホテルの経営をしているのだからやることは多くあるはずだ。昼間は大学に行っている朱兎も、鼬瓏が昼間どんな仕事をしているのかは知らない。あくまで想像でしかないが、忙しいのだろう。

「……もうこんな時間じゃねぇか」

 携帯の画面に表示されている時間は朝というには随分と過ぎているが、昼と言うには少し早い時間。昨日の疲れと、夏休みだからと身体が油断しきっているようだ。

「ん~、朝メシ食いっぱぐれた感じ?」
「にゃあ」
「お前はちゃんとメシ貰ったのか?」
「にゃん」

 顎の下を撫でてやれば、ゴロゴロと喉を鳴らしているうに。どうやらこちらはしっかりとエサをもらっている様子だった。

「とりあえず、起きて顔洗ってくるか」

 ベッドサイドに用意されている服に着替え、身だしなみを整える。なぜあらかじめ服が用意されているのか、夏なのに長袖のチャイナ服なのはどうしてか……それはわからないが、きっとホテルの支給品だ。スイートルームなのだから、それくらい置かれているんだろう……知らないけれど。朱兎は目を閉じシャコシャコと歯を磨きながら、そうして無理矢理自分を納得させる。その辺りはもう気にしたらキリがない気がするので、ここで考えるのを止めた。

「あれ、起きてたんだ~。ちょうど良かった」
「紫釉……おはよ」
「うん、おはようアヤト。で、今日のことなんだけど」

 スイートルームはのセキュリティとは。と、思考を巡らせそうになったが、これもすぐに考えることを放棄した。ホテルの主は鼬瓏で、紫釉はその部下なのだからそういうことなのだ。だから、いつ入ってきただのセキュリティやプライバシーだの、そういったことはもはや気にしてはいけない。思い返してみれば、ここ最近は自宅のセキュリティやプライバシーもあったものではなかった。考えるだけ時間の無駄になる。それよりも朝食をどうするかを考える方が有意義だ。
 そういったものを全て押し殺して出てきた一言がおはようだった。着替えている最中ではなかっただけ良しとしておこうと、朱兎は遠い目をしながらなにか喋っている紫釉を悟ったような顔で見ていた。

「うん、これは聞いてないね?」
「こちとら処理する情報が多すぎなんだよ。で、なんだって?」
「あー……昨晩はオタノシミでしたねって話?」

 薄らと聞こえていた内容は、そんな話ではなかった気がした。しかし、紫釉のその一言で昨夜のことを思い出した朱兎は、バッと首元を抑えて赤くなった。

「身体辛いなら寝てて良いよ?」
「――てない」
「ん?」
「まだ喰われてない! いや、喰われてるけど!」

 それで察したのか、紫釉はケラケラと笑いだした。

「鼬瓏そういう性癖があったんだ……知らなかったよ」
「長袖の意味を今理解した! どうすんだよ、今日の夜バイトあんのに!」

 包帯巻いてちょっと事故に巻き込まれたとでも言っておけば大丈夫だと、紫釉は相変わらずケラケラ笑っている。他人事だと思って良い気なものだと、朱兎はグッと拳を握って言葉を飲み込んだ。

「まぁまぁ。とりあえず朝飯にしよう?」
「この諸悪の根源は?」
「オシゴトが長引いててね~。夜には戻ると思うから、今日は俺と……そこの猫ちゃんと遊ぼうか」

 いつの間にか足元に来ていたうに。紫釉に警戒することなく、大人しくしている。

「その猫ちゃん、良い子だよね~……見つけて捕まえるの苦労したけどさぁ」
「え、紫釉がうにのこと捕まえたの?」
「その猫ちゃん、うにちゃんって言うんだ。へぇ~、かわいいね。因みに捕まえたのは麗だよ」

 落ち葉まみれ砂まみれになりながら路地裏を走り回って、可哀想だけどかわいかった。そう言う紫釉だが、普段表情があまり変わらないクールな麗のそんな姿は中々イメージがわかない。

「麗もそんなことするんだな」
「おっかない顔で追い回してたから、うにちゃんには嫌われてるけどね~」
「……にゃー」

 まるでこちらの会話を理解しているかのように、スンっとした顔でひと鳴きするうに。追いかけられたときのことでも思い出しているのかもしれない。

「麗も鼬瓏と一緒にいるから、しばらくは帰ってこないよ」

 うにの目線に合わせるようにしゃがみこんだ紫釉は、その小さな頭を撫でながら安心させるようにそう言った。

「さーて、今日はなにしたい? バーで酒盛り? それともまた綺麗なオネエちゃんたちのところ行っちゃう?」
「猫でも入れる場所にしてくれ」
「おっけー! じゃあ、とりあえず腹ごしらえしながら考えようか!」

 それには賛成だと言えば、どこからともなく現れたホテルの従業員たちにより、次から次へと料理を運び込まれた料理でリビングの大きなテーブルが埋め尽くされるのだった。
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