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第二章
武蔵の特訓
しおりを挟む翌日、目を覚ますとアーノルドの姿は無かった。
昨夜一緒に食事をしたあと、僕は綺麗好きなんだと言い、三時間以上お風呂に入り続けたアーノルドを待ちきれず寝落ちしてしまった。
家中を探してもアーノルドは見つからなかったので、諦めて顔でも洗おうと洗面所に行き鏡を見た。
【キノウノコウエンデマツ。ああのるど】
額にはそう大きく書かれていた。
鏡で反転した下手くそな字を見て俺は怒りが湧いた。
どうしてここに書くんだ。
額が真っ赤になるまで擦り洗いしたが、字は薄まりもせず俺の額に居座り続けた。
あの野郎、ぶん殴ってやる。
俺は急いで着ていた服を脱ぎ、クローゼットからジャージを取り出して着た。この怒りをそのまま闘志にしたかった俺は家を飛び出し全速力で昨日の公園に走った。
「お~、やっと来たな~!えらい遅かったやんけ!」
公園に着くと、汚い歯を剥き出しにして俺に笑顔で手を振る武蔵がいた。ふわふわと産毛のような髪が風になびいている。
俺はそのまま走っていき、見よう見まねで武蔵に飛び蹴りをした。
俺の蹴りは見事に武蔵の腹に入り、武蔵はカエルのような鳴き声を口から吐いた。
「ぐっ…ふ…ふふふ…シュナウザーなんや今日は機嫌ええやんけぇ…。ぅ…でもな、急にくるからな、ちょっと合図くらいあってもええかな思うわ。今日も特訓おねしゃーす!とかな。一言な。いやあれやで、元気がええのは、ええことやねんで。」
武蔵は苦しそうに顔を歪め腹を抑えている。
「なんで顔に書いてくんだよ!紙でいいだろ!それか起こせよ!これ消えないんだけど!」
怒り狂う俺を武蔵は気持ち悪い笑顔で見ている。ふと気付いたが、武蔵も俺のジャージを着ていた。
袖や裾は武蔵には長く何度か折り曲げているのに、大きいお腹だけはジャージから出てしまっていた。
「ちょっと落ち着きぃや、そんな怒らんでもええやん。デコに書いた方がシュナウザー気付きやすいかな思てん。あとちょっとおもろいやん、そっちの方が。」
にやにやと笑いながら言う武蔵。
露出した頭皮に申し訳程度に生えている、残りわずかの髪の毛を一本残らず毟ってやろうかと迷った。
「そのペンな、PITTOのやつやねん。どんなに濡れても擦っても落ちひんけど、専用の液でちょっと拭きさえあれば、あら不思議!一瞬で綺麗に落ちますよーっていう、便利な優れもんや。ちょっと待ちや、すぐそれで拭いたろ。そんな怒りな。」
武蔵はポケットに手を突っ込み中を掻き回すが、すぐにあれ?あれ?と不思議そうにし、なにかを考え込んだ後、あっ、と声を出した。
「シュナウザーすまん!専用の液、PITTOに忘れてきてしもたわ!堪忍やで!あはは!」
「あははじゃねえ!どうすんだよこれ!他に消す方法は!?」
「無いてそんなもん!特別なペンなんやそれは。どーんなに足掻いても、専用の液ないと消されへんわ。PITTOに行くまで、辛抱しぃや。」
俺は絶望した。
いつまでここにいるか決めていないのに、額にこんな無茶苦茶な字を書かれたまま過ごさなければならないのか。これではまともに外を歩けない。
落ち込む俺を見て、武蔵は目尻を吊り上げて満面の笑みを浮かべた。武蔵の頭部全体は、薄らと油を塗られたかのように光っていた。
「まぁそう落ち込みなや!そんなことより特訓や特訓!今日こそシュナウザーの強さを見せてもらわななぁ!」
俺の顔に落書きしておいて、そんなこと呼ばわりされた事に腹が立った。それに、どれだけ中身はアーノルドだと説明されても、どうしても目の前の中年オヤジがアーノルドだとは思えなかった。どこからどう見ても、不潔な中年オヤジだ。
天使のような外見の子供は殴る気になれなかったが、ガサツな中年オヤジとなれば話は違う。昨日レオと対峙した時とは全く違う気持ちで、武蔵と向かい合う。
俺は闘争心剥き出しで武蔵に殴りかかった。
拳が武蔵の頬に当たりそうになった時、武蔵は目を見開き思い切り肺を膨らませたかと思うと、次の瞬間、口から大量の水飛沫を俺の方に向かって噴き出した。
俺の顔は一瞬にしてずぶ濡れになった。
「ぅうわぁぁああぁあ!きっったねぇえええええ!臭!くっっさ!くせぇ!」
武蔵はすかさずパニックになっている俺の襟首を掴み、背を向けそのまま勢いよく持ち上げ地面に叩きつけた。
地面に強く打った背中に強烈な痛みを感じたが、顔中にまとわりつく武蔵の唾液臭で俺はそれどころではなかった。
「むやみやたらに殴りかかればええっちゅーわけではないねん、わかるか?腕力も大事やけどな、戦略も同じくらい大事や。作戦を練ってやな、臨機応変に動かんといかん。わかるかシュナウザー!」
「くっせぇマジで!おっさん何食ったらこんな臭いなるんだよ!まじでくせぇ、最悪だよ!くせぇ!死ね!」
「よっしゃその調子や!」
「なにがだよ!」
ジャージの袖でどれほど顔を拭おうが嫌な臭いは取れそうになかった。
レオとはまた違う方法で精神力を削ってくる武蔵に心底うんざりした俺は、ゆっくりと四つん這いになった。苦しいふりをしつつ地面の砂を掴み、手の中に忍び込ませる。
「ごめんごめん、ちょっとやりすぎたな!
背中、大丈夫か?立てるか?」
俺は手を差し伸べにやにやと笑う武蔵の顔面目掛けて、思い切り手の中の砂を投げた。
砂だけではなく小さな小石なども混じっていたみたいで、武蔵は目を手で抑えながら獣のような呻き声をあげる。
その隙に俺は、武蔵の足元に狙いを定めて勢いよく足払いした。
どすん、と大きな荷物を落とした時のような音がして武蔵は地面に転がった。
涙をぼろぼろと流しながら、武蔵の表情は一秒ごとに喜怒哀楽すべての顔に変わった。
目が痛いのだろう、しきりに目元を掻きむしる仕草をしながら足をジタバタさせている。
「ぬぅぉうぉぉ…ま、学んだんかぁシュナウザーぁあ…ワシの、お、教えを…すぐに…えぇぞぉ、ええぞ、その意気やぁあ…ぃぃたぁい…目がぁあ…」
うわ言のような武蔵の言葉には返事をせず、俺は地面に転がっている武蔵の腹の上に乗り絶え間なく拳を振り続けた。両手の拳に武蔵のぬるりとした皮膚が強く当たる。
「ちょ、痛!待て!待ち!痛い!
痛いて!やめて!シュナウザー!」
俺に乗られ起き上がることも出来ずに、武蔵は苦痛の声をあげた。両腕で必死に自身を守ろうとするが、武蔵のだらしない身体付きは的が大きく、どんなに腕で隠そうとも何処かに当たった。
俺は武蔵を殴っているうちに、こうゆう風に拳を出せば強く当たる、この角度が入りやすいなど、なんとなくコツが掴めた気がした。
武蔵はサンドバッグにはうってつけだった。
「ぐっ…ぅ、ちょ、痛、やめ」
鼻血を出しながらもがき苦しむ武蔵の頬に、
渾身の一撃を出した瞬間。
大きな爆発音と共に視界が一瞬で真っ白になった。
白い濃い煙が辺りに立ち込める。
武蔵の大きいお腹に乗っていた俺の下半身が、ガクンと下に下がった。
一瞬、武蔵がすごい勢いで逃げたのだと思ったが違った。
煙が薄くなり視界が戻った時、
俺の足の間に天使のような輝く笑顔があるのが目に入った。
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