俺とタロと小さな家

鳴神楓

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第1章 子犬編

1 いなくなった恋人

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足りなくなった絵の具を買いに出て戻ると、部屋で待っているはずの恋人がいなくなっていた。
テーブルの上には「今までありがとう。さようなら  ひかり」とだけ書かれたメモが残されている。
慌てて部屋の中を確認すると、洋服や靴や鞄など決して少なくはないはずの光の荷物は、きれいさっぱりなくなっていた。

突然のことに、俺は呆然とするしかなかった。
同棲してもうすぐ1年になる光との仲は特に悪くはなく、こんなふうに光が突然出て行くような心当たりは全くない。
そもそも、つい1時間前に出掛ける時だって、光は笑顔で「いってらっしゃい」と見送ってくれたのだ。

訳がわからずに頭の中を疑問符だらけにして立ち尽くしていると、不意にスマホの着信音が鳴った。

「光!」

相手が誰かも確認せずに電話を取って叫ぶと、電話の向こうから困惑したような声が聞こえてきた。

「いや、元橋だが……」
「なんだ、元橋さんか……。
 って、あ、すいません」

元橋さんは美大時代からお世話になっている画商さんで、決してなんだ呼ばわりしていいような相手ではない。
俺が慌てて謝ると、元橋さんは「いや、それは別にいいんだが」と答えてから、心配そうな声で問いかけてきた。

「それより、どうかしたのか?」
「それが……帰ったら光がいなくなってて。
 さようならって書き置きがあって、光の荷物もなくなってるんです」

俺が焦りつつも状況を説明すると、元橋さんが電話の向こうでうーんとうなった。

「……松下。
 あいつの荷物の他に、何かなくなっているものはないか。
 現金とかクレジットカードとか金になりそうな画材とか」
「……え?」

いきなり妙なことを言い出した元橋さんに、思わず俺は聞き返したのだが、元橋さんは構わずたたみかけてくる。

「先週、新規オープンのカフェ用に売れた絵の代金を振り込んだだろう。
 あれ、取られていないか」
「……まさか、光に限ってそんな……」

確かに先週、何枚かまとまって絵が売れたおかげで口座に数十万円が振り込まれ、その一部を下ろして光と一緒にお祝いの外食をしたばかりだ。
そのお金のほとんどはまだ銀行口座に残っていて、そして光はキャッシュカードの置き場所も暗証番号も知ってはいるが、しかし、まさか。

「いいから、とにかく確認してみろ。
 俺もすぐそっち行くから。
 ちょうど近くまで来てて、お前のところに寄ろうかと思ってたところだったんだ」
「は、はい……わかりました」

俺が返事をすると、元橋さんは「じゃあ後で」と言って電話を切った。
まさかとは思いつつ、俺は元橋さんに言われた通りに貴重品を入れている引き出しを確認することした。

――――――――――

「どうだった?」

俺の部屋に来るなり、元橋さんは俺にそう聞いてきた。

「……現金と、キャッシュカードがなくなってます」

俺が肩を落として答えると、元橋さんは舌打ちをした。

「やっぱりか。
 銀行には電話したか」
「……いえ……」
「すぐ電話して、キャッシュカード止めてもらえ。
 って言うか、俺がかけるから通帳貸せ」

言われるままに通帳を差し出すと、元橋さんはその中に書いてある電話番号を確認して電話を掛けた。

「盗難された可能性があるのでキャッシュカードを止めて欲しいのですが。
 口座番号は……。
 あ、いえ、私は代理の者なので本人に代わります」

そう言った元橋さんに電話を差し出されたので代わると、銀行の人に本人確認だと住所と生年月日を聞かれる。

「……お待たせいたしました。
 口座をお調べしましたが、残高が572円となっております。
 コンビニのATMから2回に渡って限度額いっぱい引き出されていて、最新の引き出しは1時間程前ですね」
「えっ……」

銀行の人の言葉が信じられなくて――というか、信じたくなくて固まってしまった俺の手から、元橋さんが電話を取り上げた。

「すみません、本人が動揺してますので、お電話代わりました。それで……」

元橋さんが俺の代わりに銀行の人に受け答えして声をどこか遠くに聞きながら、俺は呆然と固まったままだった。

元橋さんは銀行との電話を終えると、今度は俺のスマホで光に連絡を取り始めたが、すでに電話もメールも通話アプリも繋がらなくなっていた。

「お前、あいつの行きそうな場所知らないのか。
 友達とか実家とか」
「……いえ」
「劇団俳優だとか言ってたけど、どこの劇団かも知らないんだよな?」
「はい……、見に来られたら恥ずかしいから内緒だって教えてもらえなくて……。
 バイトも短期しかしてなかったから、職場に連絡とかも出来ないし……」

元橋さんの質問に答えながら、俺は自分が光のことをほとんど何も知らなかったことに気付く。
こうして同棲していた部屋を出て行かれ、スマホでの連絡を絶たれたら、光を探すことすら出来ない。

「……まったく。
 だから、あいつはやめておけって言ったのに」
「すみません……」

元橋さんの言葉に、俺は小さくなるしかない。
光と同棲し始めた当初から、元橋さんだけでなく友人たちにも、劇団員とか言ってるけど怪しいとか、家賃も生活費も入れてくれないヒモみたいなやつとは縁を切れとか、散々注意されてはいたのだ。
それでも俺は光のことが好きで、彼に夢中になるあまりに、元橋さんたちの忠告をいつも聞き流してしまっていたのだが、こうなってしまっては、結局彼らの方が正しかったのだと言うほかない。

「……まあ、今更そんなことを言っても仕方ないな。
 ともかく、警察に連絡するぞ」
「……え、警察? なんで?」
「なんでじゃないだろう。
 お前な、これは立派な盗難だぞ?
 あいつに連絡が取れない以上、警察に捕まえてもらうしかないだろう」

そう言って自分のスマホを手に取った元橋さんを、俺は慌てて止める。

「待って、警察はやめてください!
 そんなことしたら、光が犯罪者になってしまう!」

俺がそう叫ぶと、元橋さんがあきれたような声を出した。

「お前、なんであんなやつをかばうんだ。
 あいつは、お前の金を盗んで消えたんだぞ!
 泥棒か、さもなきゃ詐欺師で、立派な犯罪者だ」
「そ、それはそうですけど……。
 でも、たとえ騙されてたんだとしても、俺、光のことが本当に好きだったし、光と一緒に暮らせて幸せだったし……。
 だから、お金のことはもういいですから、警察には連絡しないでください」
「……お前な。
 お人よしにもほどがあるぞ」
「そうですけど……」

自分でもお人よし過ぎると思うし、馬鹿だとも思う。
それでも俺は、光と一緒に暮らした楽しかった日々のことを思うと、警察に連絡して光を犯罪者にしたいとは、どうしても思えなかったのだ。
それにお金は取られたものの、ネットオークションで売ればいくらかの金になる高価な画材や、副業のイラスト描きに使っているパソコンなどに手をつけていないあたり、光にも俺に多少の愛情はあったのだと感じられたので、もういいかという気もしている。

「……まあ、お前がそこまで言うなら」

しばらくの沈黙の後、元橋さんはしぶしぶという感じではあるが、そう言ってスマホをしまってくれた。

「考えようによっては、いつまでもたかられ続けているよりは、すっぱり手が切れて良かったかもしれないな。
 盗まれたのも、今のお前からしたら大金だが、これからもっと絵が売れるようになったら、すぐに稼げる金額ではあるし。
 やっかいなヒモを手切れ金払って追い出したとでも思って、もうあいつのことは忘れちまえよ」
「そうですね……」

元橋さんの手前、一応はそう答えたものの、俺の頭の中は光に裏切られて捨てられたのだという悲しみと、光と過ごした日々のキラキラした思い出でいっぱいになっていた。
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