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二章 立志

宿屋の夜

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 定宿で入浴を済ませた一行は、宿のラウンジで火照りを冷ましていた。各々がカウンターで冷たい果実水を頼み、汗で失った水分を補給している。
 やがて護衛達も所用を済ませて戻ってきて、ジルに報告をすると浴場へと汗を流しに行った。ジルは上機嫌で冷えたエールをあおる。その傍らには美少女と化したアンジェラがぴっとりと寄り添って離れない。

「おい、あれ――」
「ボクは何も見てない!」

 その様子を見たチューヤが、再度何があったのかを訊ねようとするが、マリアンヌは頑なにそれを話す事を拒む。仕方なしにスージィの方へ視線を移すが、彼女はチューヤと視線を合わせようとはしなかった。

「ああ、アンジェラ……君はなんて愛くるしいんだ」
「お姉さま……」

 その間も、ジルはアンジェラに愛を囁き、アンジェラもまた瞳を潤ませて上目遣いにジルを見つめる。
 幸い、食事は各々が部屋で食べる方式らしい。食事の時まで背後に百合の花がたくさん見えそうな光景を見せられるのは勘弁願いたいと思っていた一同は、ホッと胸を撫でおろした。

「何でオメーと相部屋なんだよ」
「仕方あるまい。私とて貴様と同部屋など御免蒙りたいが、急の追加なのだ。宿の方も対応出来なかったのだろう」

 いざ部屋へ案内されると、チューヤとカールの二人は同部屋で、いきなり愕然としてしまっていた。
 部屋は二人部屋としてはかなり広く、ジルの商隊がかなりの上客である事が分かる。通常の宿ならば四人部屋になる程のスペースに、シングルベッドが二つ。
 実は、思春期の男女四人を同部屋にするのはいかがなものかというジルの心遣いで、宿に無理を言って二人部屋にしてもらったのだが、宿の方もジルの無理を快く受け入れるくらいには気心が知れていた。
 一方、ジルは商隊の主として、VIPルームに一人で宿泊の予定だった。その部屋にベッドを詰め込み、マリアンヌ、スージィ、そしてアンジェラと四人部屋にするよう手配していた。

「ねえ、ジルさん? ベッドが三つしかないんだけど?」
「それに、一つはダブルベッドですね……」

 その部屋に一歩足を踏み入れた彼女達は、その不自然さに、もう嫌な予感しかしなかった。
 
「何分、急遽の追加手配だったのでね。ああ、心配はいらないさ。ダブルベッドは私とアンジェラが使うものだ」
「お姉さまったら……うふん」
 
 そのダブルベッドに並んで腰かけた二人が、人目も憚らずにいちゃつき始めるの見て、スージィが言った。

「あの、あたし達はカール達の部屋で食べますね!」
「そ、そうそう! 色々と話さなきゃいけない事もあるんだ!」

 そしてすかさずマリアンヌがそれに相槌を打つ。

「ふむ……それは構わないが。就寝はこの部屋でするようにな」

 それを聞いたジルの視線が厳しくなる。

「な、なぜです?」
「決まっているじゃないか。ミナルディに戻るまでは、私はに君達を任された、言わば保護者同然なんだ。不純異性交遊を認める訳にはいかないよ?」

 何を当然の事を……とでも言いたげな表情でジルはそう宣う。

「ちょっ!? ジルさん? どの口がそんな事言うんです?」
「ん? ああ、アンジェラの事かい? この子は異性じゃないじゃないか。不純異性交遊には該当しないだろう?」

 スージィの当然とも言える抗議に、ジルは涼しい顔でアンジェラを抱き寄せながらそう答えた。
 とんでもないジルの屁理屈に、スージィとマリアンヌはがっくりと肩を落としながら部屋を出て行こうとする。

「あ! お姉ちゃんたち!」

 自分達より少しばかり年下のアンジェラが、目を輝かせて二人に駆け寄っていく。

「ん? なにかな?」
 
 煌めくような美少女に変貌したアンジェラに『お姉ちゃん』と呼ばれる事に、小柄で妹キャラ的な扱いを受ける事が多かったマリアンヌは、ちょっと嬉しかったりした。

「私とお姉さまの為に気を遣ってくれたんですよね!? ありがとう!」
「あ、あははは……」
 
 アンジェラの予想外の発言と、自分達の好意だと信じて疑わぬ輝いた瞳に、マリアンヌは引き攣った笑いを浮かべるしかなかった。
 
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