嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま

中洲める

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1話 なるほど、放置……ですか

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 馬車に揺られて一週間。
 振動というより、もはや拷問。粗末な座席にスプリングなんて洒落た物はなく、ケツが四つに割れた気がする。
 けれど、馬車の窓から『それ』が見えた瞬間、全部どうでもよくなった。

 視界一杯の、緑の絨毯。

 どこまでも続く薬草畑。風が揺らすたび、緑の香りが一気に流れ込んで、胸の奥がぎゅっと熱くなる。

 ああ……本当に来たんだ、辺境領グラフィカ。

 故郷を追われ、名前しか知らない婚約者のもとへ。
 使用人もつかず、馬車は壊れかけ。
 普通の貴族なら泣くところだ。

「……まぁ、僕は普通じゃないからなぁ」

 僕は転生者だ。
 前世で錬金ゲームを骨までしゃぶるほどやり尽くした、どこに出しても恥ずかしい錬金術バカ。
 この世界に錬金術があることを知った時、狂喜してこの道で生きると決めた。

 しかも、最大の幸運は生まれたクロイツ男爵領は薬づくりの名地だった。
 僕は両親と共に錬金術を極める日々。
 けれどその両親は十二歳の時に亡くなり、どこからかやって来た叔父に屋敷はすぐ占領されてしまった。
 僕は屋敷の隅にある調合小屋に押し込められたけれど、ここは両親と一緒に過ごした場所だったから逆に幸せだった。

 たまに来る叔父やその家族の嫌味を適当に聞き流しながら錬金術を極めていく。

 けれど十七歳。
 成人した途端ついに、そこからも追い出された。
 そしてやって来たのはここグラフィカ辺境領ってわけ。
 今日からここで暮らしていく。

 寂しさや哀愁?
 そんなもの、薬草畑を見た瞬間に遥か彼方へ吹っ飛んだ。

「あの葉は『影蛇草』麻痺毒解消に、あっち『活力根』滋養系で……あの花! 『狂喜花弁』興奮系の高品質じゃん、宝の山! 何から調合しよう」

 胸の奥で歓声が上がる。
 この景色を見て心踊らない錬金術オタクがいるだろうか。いや、いない(断言)。
 現に僕のテンションは爆上がりだ。
 一人馬車の中ではしゃぎ回る。

 そうしているうちに、馬車が領主館の門の前で止まった。
 門が開き、馬車が再び動き出す。終着点が近いようだ。
 僕は背伸びをして、固まった体をほぐす。

「痛っ……ほんとにゴリゴリいってる……」

 こんな程度の疲れで魔法を使うのはもったいないし、薬は必要な時のためにあるものだ。

 ストレッチをすると、三つ編みにした銀髪が肩から滑り落ち、窓に映る自分と目が合う。
 両親が可愛いと言ってくれた大きな紺色の瞳だけギラギラしてる。
 ……疲れと興奮がごっちゃになったこの顔で、婚約者に会いに行くのか。
 落ち着け。最初は愛想よく。

 むにむにと頬をほぐし、笑ってみせる。

 うん。可愛いぞ、僕!
 ぴっちぴちの十七歳だからな、若さだけはある! 大丈夫!

 ガラスに映る顔に満足していると、馬車が完全に止まり、降りる準備をした。

 けれど、誰も外からドアを開けてくれる様子はない。

「一応これでも貴族なんだけどなぁ」

 ぼそりと言いながら、自分でドアを押し開ける。
 荷物はトランク一つ。中身は着替えが少しと、残りは大事な調合道具だ。

「お待ちしておりました」

 嫌そう、とはっきり分かる顔で、執事が一人。
 丁寧な言葉と、歓迎ゼロの声色。

「初めまして、僕は……」
「ご案内いたします」

 自己紹介の途中で切られた。

 クロイツ家で叔父に居場所を奪われた時も、こんな扱いだった。

 なんだか懐かしい。
 ……まぁ、いい。叔父が強引に進めた婚約だ。歓迎してもらえるなんて思っていない。

 執事は僕の歩幅なんて一切気にせず、ずんずん進む。
 こっちは重いトランクを片手で持ちながら、必死に足を合わせる。

 このトランクは僕が持つには明らかに大きくて、引きずらずに持ち歩けるギリギリのサイズ感。
 それなのに、「持ちましょうか?」の一言さえない。

 ……あ、いや、もし持とうとしてたら止めてたけど。危ないし。
 僕は身体強化の魔法が使えるから持ち運べるんだけど。
 気持ちの問題がさ……気づかいってやつが! あるじゃん?

 もやもやした気持ちで廊下を歩く。

 館の内装は、戦う領主の領地らしく飾り気がない。
 ただ、どこか緊張感が漂っていた。

 高台にある屋敷の窓から見える真っ黒な森は、グラフィカ辺境領に隣接している魔の森。
 グラフィカ辺境領は、あの森に棲む恐ろしい魔獣から国を守っている。
 そしてこの領地の騎士たちは常に戦いに身を置き、戦線に立っている。
 辺境伯とて例外ではない。

 三年前から、魔の森では魔獣が異常発生している。
 窓の外に見える黒い森の向こう側でも、誰かが今この瞬間戦っているのだと思うと、少しだけ胸の奥がざらついた。
 だから僕なんかに構っている余裕はないんだろう。

 ……それで婚約初日がこんな扱いの理由だと思えば、理解はできる。

 そう。
 理解は、できる。
 けど、納得するかは別問題。

 重たそうな扉の前で執事がノックする。
 返事が返ってくるまでの数秒。

「くれぐれも失礼のないように」

 低い声で囁かれた警告。

 ……ああ、もう。
 こんな扱いには慣れているけれど、失望が湧き上がる。
 一体僕はなんだと思われているんだ。
 強引に婚約を望んだ我儘令息か!?
 世間に流れている評判は僕じゃないんだけど。

 扉が開き、執事の言葉をスルーして、僕は静かに足を踏み入れた。

 中には、書類の山と、その山に顔を埋めるように仕事する青年。
 端整な金髪が揺れるたび、影がきれいに落ちる横顔。
 隣で無表情に書類を整理する黒髪の青年。

 黒髪の青年は紫紺の瞳でちらりとこちらを見て、すぐ興味なさそうに書類へ視線を落とす。
 金髪の方は顔も上げない。

 紙を捲る音と、しばらくはペンを滑らせる音だけが響く。
 そしてようやく口を開いたと思ったら今度は僕にわからない領地だか魔物の話。
 この縁談は叔父が強引にねじ込んだらしいけど、想像以上に疎まれている。

 うん、僕に対する興味ゼロ。
 いっそ清々しい。

 ああ、これが婚約者か。

 もしも気が合うのであれば、夫婦とまではいかなくても協力者くらいにはなれるかと思ったのに。
 これでは無理だな。

 こうしていても一生声はかからないだろうから、とりあえず挨拶だけ済まそうと思った。

「初めまして、僕は……」
「悪いが、君に構っている暇はない。贅沢さえしなければ好きにしていて構わない。執事長、案内を」

 金髪の青年。辺境伯オリバーは、こちらを一度も見なかった。
 いや、視線は一瞬、こちらをかすめた……ような気がした。
 けれどすぐに、紙の音がすべてを打ち消した。

 ……なるほど。

 黒髪の青年には、忌々しそうに睨まれてしまった。

 振り返ると護衛の冷たい視線、開いたままのドアから背中だけ見せて遠ざかっていく執事長が見える。

「ふぅ……」

 ため息をひとつ。

 こんなのは、慣れている。
 元々期待なんてしていない。
 なのに、なんだか無性に笑いたくなった。

 そうして深く深呼吸をして、顔をあげる。

「よし……!」

 そっちがその気なら、こちらも遠慮なくやりたいようにさせてもらう。

 だって別に、いいよね?
 好きにしていいって言われたんだから。

 屋敷にいろなんて、一言も言われてないし。

 僕は執事長の背中を追わず、ドアを出て来た廊下を引き返し、門を出る。

 外の空気は冷たくて、自由の味がした。

「婚約者の役目終わり! 今から僕はただの錬金術師アッシュだ!」

 もう遠慮も義務も、誰かの顔色を伺う必要もない。
 この土地で、好きなだけ薬を作るんだ。

「よっしゃー! 念願のアッシュの工房目指して頑張るぞー!!」

 緑の風が頬を撫でる。

 僕の物語はここからだー!

 元気をつけるようにジャンプをすると、トランクの中の錬金道具が、応援するように微かに鳴った。
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