【完結】嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま

中洲める

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22話 戻って来た

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暴力シーンがあります。苦手な方注意。








 今が何日目なのか、もう分からない。
 何度も意識を落とされているうちに、一日と一時間の区別すら曖昧になった。
 縛られた腕。布を巻かれて塞がれた目。
 意識が浮かび上がるたび、薬を染み込ませた布を押し当てられ、再び闇へ落ちる。
 何度繰り返したかも覚えていない。そのたびに独特なムスク系の香りがして神経を麻痺させる薬を使われているのがわかった。
 けれど、抵抗のひとつも出来なかった。考える間もなくすぐ意識は闇に落とされてしまうからだ。
 揺れる振動と馬が歩く蹄の音で、馬車でどこかへ運ばれていることを理解した。

 どれくらい移動したのかも分からないまま、揺れが止んだことで何度目かの覚醒が訪れる。
 目を開けるより先に鼻へ懐かしい香りが飛び込んできた。

 薬草と薬品と、そして放置された埃の臭い。
 目隠しを外されて、ゆっくりと視界が焦点を結ぶ。

 知っている天井、壁、覚えのあるテーブル。
 ここは伯父たちが来てから押し込められていた、あの調合室。
 棚の上や床に四年間分の埃が積もり、両親と暮らした面影を残していたはずの部屋は、すっかり色を失っている。

 自分の足で戻るつもりだったのに、こんな風に連れてこられるなんて失態だ。
 そしてクロイツにいるということは、浚われてから一週間は過ぎている証でもある。


 両手両足は椅子に縛りつけられて、微動だにできない。
 全身に力が入らない。
 頭ははっきりしているのに、体が自分のものじゃないようだ。
 持っていたはずの圧縮バッグもなくなっている。
 あれにはたくさんの武器や薬が入っていたのに、取り上げられてしまったようだ。
 ロックがかかっていて僕以外の手では起動できないから、たとえ無理にこじ開けられたとしても、中身を取り出すことはできない。
 危険な物もたくさん入っていたから、やってよかったセーフティロック。
 備えあれば患いなし。


 そんなことを思っていたら耳障りな声が届いてくる。

「やっと目を覚ましたか。さっさと薬を作れ」
 
 声の主は名乗らなくても分かった。

「……伯父さん」

 呼んだ途端、ぱんっと音がして頬に鋭い痛みが走り視界が揺れた。

「『領主様』だ」

 頬の熱で、頭が鮮明になり、怒りが湧いた。
 伯父を睨みつけ、不敵に笑う。

「代理、でしょう?」
「……生意気になりやがって。そんな無様な姿で何ができると思っている?」

 鼻で笑う、記憶どおりの卑しい顔だった。
 いや、贅沢でもしていたのか、昔よりずいぶん肥え太っている。
 ここに来た頃はずいぶん大きく恐ろしく見えたが、今ではこんなものかと鼻で笑えてしまう。
 こんな矮小な男に僕たちの領地を好きにさせてしまったのかと怒りすら覚えた。

「無様な姿にしなきゃ、正面から向き合う勇気もないくせに」
「このっ……!」
 伯父の表情が怒りで歪む。
 拳を振り下ろす。
 今度は大した痛みを感じない。その代わり息の荒さが耳を打った。

 なんで殴られた僕より殴った方の呼吸が乱れてるんだ。
 運動不足だよ。何段腹だその腹。
 心の中で悪態をつく。

「子供でしたから、従順に従うしかなかっただけですよ。でも僕が戻ってきたからには、あなたはもう必要ありません」
「うるさい! 勝手に婚約解消するなんて使えねぇな。金づるにもなりゃしない役立たずめ」

 よかった。
 あの人が食い物にされる前に手を離せたんだ。
 そう思うとこの痛みすら誇らしく思う。

「領地の評判を地に落とした『無能』な領主代理に言われたくはないですね、伯父さん」
 あの頃散々かけられた言葉を返してやった。
「この……! お前が向こうで馬鹿みたいに薬を作りまくるから全然儲けられなかっただろうが! このクズ!」

 今度は腹に拳がめり込んだ。
 縛られて逃げられない分、詰まるような衝撃が内臓まで突き抜ける。
 けれど苦しむさまなど見せてやるものか。
 唇を噛んで声を堪え笑う。
「ハッ、ざまぁ」
「きさまぁぁ!」
 乱暴に髪を掴まれた。

「手紙も送ってやったのに、無視しやがって。余計な金がと手間がかかっただろうが!」
 そんなもの、四年の間一通も受け取っていない。
「……手紙、何のことだ?」
「とぼけるな!」
 怒鳴られても何のことか分からない。
 苛立ったように髪を放された。
「いいから薬を作れ」
「今度は僕が作った薬を売って儲けるつもりですか?」
「お前の薬は一級品なんだろう? それを薄めてたくさん売れば、儲かる」

 ……やっぱりこの人はクズだ。

「……父様があなたに薬売りを禁じた、という話は本当だったんですね」
「クソガキ!」
 図星らしい。伯父の目が露骨に吊り上がる。輝きのない濁った目は金しか映していない。

 かつて父が静かな声で話してくれた、自分の兄の話が頭をよぎった。
 クロイツ家は代々錬金術師で、人を救う薬を作ることを誇りとしてきた。
 だが、兄にはその心がなかったのだと、父は一度だけ苦々しい顔で言っていた。

「あなたは薬を人を助ける道具じゃなくて、金を生む道具としてしか見てない。クロイツ領主失格です」
「……なんだと?」
「救いようがない人ですね。おじいさまがあなたを勘当したという話も、本当だったんだ」
「くそ、くそ! そんな話までしていたのか!」
「領地の端っこの別荘で大人しくしていれば、死ぬまで食うには困らない悠々自適な生活だったでしょうに」
 勘当したといっても籍はそのままで、継承権を失っただけなんだけど。
 でも、だからこそ今代理としてしゃしゃり出て来ている。
「本当に欲深い人だ」
「黙れ!」

 苛立ちを隠せず、伯父が横腹を蹴りつける。
 だが目算を誤ったのか、椅子の脚を蹴り、妙な声を上げてよろめいた。

「いってぇぇ! このクソガキが!」
「僕、何もしてません」

 こうして話していると、よく分かる。
 この人には、信念も、尊厳も、何ひとつ宿っていない。

「あなたは、クロイツ家に相応しくない」

 真っ直ぐ目を見てそう告げると、また頬を打たれた。
 口の中に鉄の味が広がる。

「……本当に、弟に似て可愛くないな」
 吐き捨てる声の奥に、ほんのかすかな嫉妬が滲んで見える。
 それすら、自分では認めたくないのだろう。
 父に向けるべきだった言葉を、今こうして僕に重ねて吐き出している。
 劣等感まみれで哀れにすら思う。

「その目が、あいつにそっくりだ!」
 腹を殴られ鈍い痛みが走る。

 身体強化さえ満足に使えれば、こんな男どうとでもできるのに、指一本動かせない。
 いくら魔力を巡らせても、筋肉がまるで他人のものみたいに反応を示さない。
 この鈍い感覚は、筋弛緩剤だ。
 声だけは出せるあたり、最初からこういう状態にするつもりで調整してあるらしい。
 くそ、薬があるからいいと状態異常解除系の魔法を覚えておかなかったのが悔やまれる。
 頭だけは妙に冴えているのがまた腹立たしい。

「まぁいい。どうせお前は、素直にはならんと思っていたからな」

 伯父が手を上げると、その背後から別の気配が近づいてきた。

 目元は落ちくぼみ、肌は荒れ、髪はぼさぼさ。
 けれど、身につけたローブから漂う薬品の匂いだけは濃く、鼻につく。
 僕が最も嫌う、私利私欲のために錬金術を使うタイプの同業者。
 筋弛緩剤を調合したのはきっとこいつだ。

「ひひひ、旦那様。ご安心を。これで可愛いお人形の出来上がりです」

 手に握られているのは、見慣れた形をした注射器。
 中で揺れる蛍光オレンジの薬液を見て、背筋に冷たいものが走った。

 見るだけで血の気が引いて行く。

「洗脳薬」
「ほぅ? 一目で気づくとはさすがだな」
 口の端を歪ませて笑う錬金術師。

 冷汗が体を伝う。

「やめろ……っ!」

 声は出る。
 でも、体は動かない。首すら避けられない。

「さぁ、楽になろうじゃないか」

 針が皮膚を破る。その感触を最後に世界から音が消える。
 鼓動だけが耳の奥で暴れている。

「あ゛……あ、ぐ……あぁ……」

 次の呼吸で、冷たい液体が血管を逆流するように広がった。
 頭の中で鐘が乱打されるような頭痛。
 視界が歪む。

「薬を作れ……作れ……」
 伯父の声が、頭蓋の内側でこだまする。
 耳から入っているのか、脳に直接流し込まれているのかすら分からない。


「薬を作れ。アッシュ」
 一段と鮮明な声が、脳へダイレクトに叩きつけられた。

「が、ぁ……い、嫌だ……っ……!」

 言葉にした瞬間、稲妻みたいな痛みが全身を駆け抜ける。
 骨の髄にまで焼きごてを押し込まれたような、逃げ場のない灼熱。

「ふん、強情だな。しばらくそのまま苦しめ」
「ひひひ。従わない限り、その苦痛は永遠に続くぞ」

「ああああああああ……っ!!」

 叫び声が出ているのかどうかも分からない。
 苦しい。息がうまく吸えない。

 ――薬を作れば、楽になれる。
 いつの間にか、自分の声と伯父の声の区別さえ曖昧になっていく。

 だめだ。
 薬は、人を助けるためのものだ。
 金を搾り取るためでも、人を踏みにじるためでもない。

 分かってる。分かってるのに――。

 頭が割れそうだ。
 吐き気が止まらない。
 視界の端がちらちらと暗く染まっていく。

 ……誰か。
 助けて、とは言えなかった。けれど――。
 名前を呼びたくなって、真っ先に浮かんだ顔があった。

 太陽みたいな金色の髪。
 薬草畑の緑に似たきれいな瞳。

「オリバー……様……」

 名前を口に乗せると、最後に交わしたキスの感触が鮮明に蘇る。
 触れた唇の甘さと、そのすぐ後に押し寄せた、どうしようもない寂しさ。

 会いたい。
 もう一度、名前を呼んでほしい。

 そのささやかな願いごとさえ、痛みの渦に呑まれていく。
 どこかで、遠く、誰かが僕の名前を呼んだ気がした。

 それに答えるようにもう一度名を呼ぶと、唇に残る熱がほんの少しだけ痛みを和らげた。
 その感触を抱きしめたまま、闇に飲まれて行った。
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