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27話 全部、終わった
しおりを挟むゆっくりと瞼を開けた。見慣れない天井と、清潔なシーツの匂い。
体は重く、頭の奥がじんじん痛む。
「目は覚めたか?」
「オリバー様……?」
「アッシュ」
オリバー様が傍に居ると思ったら嬉しくて自然と顔がほころぶ。
そんな僕を見てオリバー様も笑ってくれる。
「この十日間、ほとんど眠ったままだったよ」
「え、そんなに!?」
驚いて起き上がろうとしたが、激しいめまいが襲う。
「薬の後遺症で、脳と神経を休ませる必要があったんだ。無理もないよ」
まだ、寝ていなさいと体を支えられ、僕は再びベッドへ寝かされた。
「何度も、寝たり、起きたりしていて、そのたびにあなたが傍にいで……」
「意識が戻ったり落ちたりを繰り返していたんだ。会話もしただろう?」
「ずっと夢かと思っていました。本当に、オリバー様がいるんですね……」
「ああ、ずっとそばに居たよ」
大きな手が頬を撫でてくれた。
「意識がしっかりするほど回復してくれたんだな」
オリバー様が安心したように長い息を吐きだした。
「死にかけていたんだ。クインたちが徹夜で何度も解毒剤を作り続けたよ」
「そうなんですか、後でちゃんとお礼を言わないと」
「回復したらでいいと言っていたよ。今はまだ休みなさい」
「はい」
布団を掛け直され、体の力を抜く。
しばらく温かい日差しの中、静かな時間が流れる。
ベッド脇に座るオリバー様はずっと僕を見つめていた。
目が合うと、くしゃりとその顔が歪んだ。
「よかった。アッシュ……本当によかった」
オリバー様が僕の手を握り、震えた声で安堵の息を吐きだした。
片手で僕の手を握ったまま、もう片方の手で目を覆い、肩を震わせる。
「オリバー様……泣かないで」
精一杯の声でそう言うと、握られた手が一瞬強く締まった。
その感触に僕の目からも涙が零れ落ちる。
助かったんだ。
助けに来てくれたんだ。
迷惑かけてごめんなさい。
今、あなたが傍に居てくれて……嬉しい。
様々な感情が溢れて、涙と一緒に零れていく。
窓の外からは穏やかな日差しが差し込んでいて、優しい風が流れて来る。
手を握るオリバー様の体温が、現実を実感させてくれた。
「君を助けられたのは浚われてから七日後だ。もっと早く助けたかった。すまない」
後悔に彩られたオリバー様の声が痛い。
僕は掌を包む温かい手を精一杯の力で握り返す。
「来て、くれました。嬉しいです。ありがとうございます」
助けてほしいと願った。オリバー様は来てくれた。
それだけで、報われている。
襲われた後、時間の感覚や思考は、薬と痛みに溶かされていた。
時間間隔を失っていた間の説明をオリバー様がしてくれる。
「クインたちが言っていたよ。一番強い洗脳薬を使われたのは半日ほどだったそうだが、永遠のような時間だったろう?」
頷くと、慰めるように頬を撫でてくれた。
「よく頑張った」
オリバー様の手が懐かしくて、もっと感じたくてすり寄ると、笑って何度も頬を撫でてくれる。
目を覚ましても頭痛や吐き気が治まらず、起き上がろうとするたびに意識が遠のいた。
そんな状態を何度も繰り返し、ようやく僕は『帰って』こられた。
目覚めたなら腹が減っただろうと、オリバー様は部屋を出て行った。
そして五分もしないうちにノックの音がして返事をすると、オリバー様がスープの香りとともに顔を出す。
「食べられそうか?」
優しい香りに刺激されたのか、腹の鳴る音がした。
「はい、お腹が空きました」
そう答えると、盆を持ったオリバー様が近くのテーブルにそれを置き、僕をベッドから起こしてくれる。
「……具なし」
久しぶりの食事だと期待して器の中身を見て肩を落とした僕に、オリバー様は苦笑を浮かべる。
「まずは消化のいいものからだ」
そっか、僕浚われてから碌な物を食べてないもんな。
「はーい」
返事をするとオリバー様は椅子に腰掛け、スプーンを手に取った。
子供みたいに一口ずつスープを口に運ばれるのは、くすぐったくて、恥ずかしくて、それでも安心する。
優しい塩気のとろみのついたスープは、体を温め十分な満足感を与えてくれた。
持って来たスープを飲み干すと、オリバー様は褒めるみたいに僕の頭を撫でて、またベッドへ寝かせてくれる。
再び椅子に座ったオリバー様に手を差し出すと、幸せそうな笑みを浮かべて握ってくれた。
「ところでアッシュ、クロイツ領の件だが……正式に君の手に戻ったよ」
「え?」
「王命令状と伯爵監査で手続きが整った。これで代理の横暴は終わりだ」
そこで言葉を切ったオリバー様は、僕の手を握っている掌に力を込めた。
「よく、ここまで耐えたな」
そんな風に優しく言われたら、また泣いてしまいそうだ。
領主として目標としている人に褒められ、じわじわと胸に喜びが広がっていく。
クロイツが、僕の故郷が、戻ってきたんだ。
でも……。
これで、オリバー様の伴侶になる道は絶たれた。
領主同士が結ばれるには、いくつもの複雑な条件を越えなければならない。
まして、グラフィカとクロイツ。距離の問題だけでも障害は大きい。
僕たちが並び立つ未来は、もう来ないのかもしれない。
それなのにオリバー様の顔には、少しの陰りもない。
その穏やかさが、かえって胸を締めつけた。
どうして、そんなに平然としていられるんですか。
ここまでしてくれた人の想いを、疑う余地なんてあるはずないのに。
なのに、わからない。
どうしてこんな顔で笑えるのか。
そしてようやく、遅れて気づいた。
オリバー様がここにいること自体が、どれほど不自然かということに。
どうして、クロイツ領に?
助けてくれたのは嬉しい。でも、なぜまだ……?
傍にいてくれるのが当たり前みたいで、そんな当たり前を疑うことすら忘れていた。
「そういえば……オリバー様は、どうしてここに?」
錬金術師たちには、クロイツへ行くと話してあったから彼らが来てくれたのは分かる。
でもオリバー様までなぜ?
僕の問いに、オリバー様は少し苦笑してから答えた。
「理由はアッシュがいるから。それ以外に説明のしようがないんだが」
当たり前だと言うように困った表情を浮かべる。
「順を追って説明しようか。君宛に屋敷へ領主代理から手紙が来たんだ」
「ああ! 手紙を出したとか言ってたけど、それだったんだ」
「領地へ帰ってこい、話し合いをしようとかうさんくさいことが書いてあった」
「絶対嘘じゃん」
僕が顔をしかめると、それを見たオリバー様が笑う。
「遅延して届いたんだ」
規定通りに届いていれば、警告を促すことも、保護することもできたのにと悔しそうに言う。
こんな顔をさせてしまったのは僕の我儘のせいだ。
「こんなことになるのなら、護衛を断らなければよかった。……ごめんなさい」
「本当は、こっそり付けることも考えた。でもあの時の君の顔を見たら、無理に守るのは違うと思ったんだ」
「僕の気持ちを尊重してくださってありがとうございます」
「……それでも、守れなかったことは悔やみきれない」
その言葉に込められた痛みが、握られた指を通して伝わってくる。
本当に申し訳なくなる。
僕、自惚れてたなぁ……。強いと思っていたのは、幻想だった。
「それで、その手紙を口実に君へ会いに行ったら、浚われたというじゃないか。そしたら助けたいって思うだろ?」
婚約は解消したのに。関係ないはずなのに。
オリバー様はそんな僕の心を読んだように目を細め、自嘲気味に、けれど優しく苦笑した。
「君を諦めないと言ったはずだ。それは、婚約解消とは関係ないよ」
オリバー様は両手で僕の手を包んで、最初に惚れていると告白するために跪いた時と同じ顔をして、指先にキスをした。
あの時も見惚れた薬草畑を美しい緑色の瞳。
そこには僕の姿が映し出されている。
オリバー様がゆっくりとやわらかいを笑みを浮かべて口を開く。
「俺は、アッシュを愛しているからね」
静かな部屋に、その言葉だけがやけに大きく響いた。
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