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8話 グラフィカ辺境伯夫夫
しおりを挟む馬を厩舎に戻し、俺はナイアさんに連れられて大きなお屋敷の中を歩く。
「うわー、貴族って感じ?」
「それはそうでしょう。ここはグラフィカ辺境伯領領主の屋敷ですからね」
「貴族!」
ファンタジーでちょこっとくらい知識はあるけど、俺の認識は偉い人くらいのものだ。
すれ違う使用人たちはみな男で、燕尾服の人が執事で、ワイシャツとベストにソムリエエプロンをつけているのがメイド的なことをしているんだと教えてくれる。
メイドさんはいないのか。
それはそうか。貴重な女性に身の回りの世話なんてさせられないもんな。
床にはふかふかの絨毯が敷かれていて、調度品はそれほど多くはないけれどなんだか品がいい。
洗練されてるっていうの?
ゴテゴテしてなくて俺は好きだな。
上階の廊下は、足音さえ沈み込むように静かだった。
緊張で喉の奥が乾く。でも、軽口を叩ける雰囲気でもなく、俺はただ一つのよりどころのようにナイアさんの背中を追いかける。
やがて一番奥の部屋の前まで来ると、足を止めた。
二人の騎士が部屋の前に立っている。
森で知り合った気さくな騎士さんたちとは違ってすごく厳格な雰囲気だ。
「魔の森より帰還した。閣下とアッシュ様へ報告をしたい」
「はっ、中でお待ちでございます」
騎士たちは揃った仕草で礼をする。
わー、格好いい。
ぼーっとやり取りを見ていた俺に騎士さんたちが視線を向けて来る。
「そちらは?」
「私の連れだ。問題ない」
「かしこまりました。どうぞ」
騎士さんが部屋のドアを開けてくれる。
「タクマ、行きますよ」
屋敷に入ってからのナイアさんの背中は凛としていて、近づきがたかった。
けど、部屋に入る前にちらっとこちらを振り返って小さく頷いてくれた。
それだけで、少し安心した。
「うん」
腰に添えられた手に促されて中へ一緒に入って行く。
音も香りもない場所で、扉の閉まる音だけが異様に大きく聞こえる。
完全に閉まると外の喧騒が嘘みたいに消えた。
空気が張り詰めて、背筋が伸びる。
絨毯を歩く足音と衣擦れの音が部屋に響く。
執務机の前で少し距離を空けて止まるとそれが途切れる。
正面には二つの執務机が並び、金髪の人物が左に、銀髪の人物が右に座っている。
張りつめた空気の中、俺はナイアさんの視線を追って左を見た。
黒の軍装風の上衣に金髪が映え、鍛えられた体に自然に馴染んでいる。
凛と伸びた背筋と深い緑の瞳が、その場を静かに支配していた。
そして今度は右へ視線を動かす。
薄い青灰色のローブと、前に流した緩い三つ編みの銀髪が、淡い光を受けてゆるやかに揺れている。
濃い青の瞳は穏やかに微笑み、その笑みは春の陽だまりのようだった。
その優しい笑みで張り詰めていた空気が、緩やかに溶けていくように感じられた。
静寂を破ったのは金髪の人。
「ナイア、ご苦労だった」
低く通る声は、鍛え上げられた体と同じだけの重みと威厳があった。
聞くだけで無意識に背筋が伸びる。
「お疲れ様」
続いて銀髪の人が穏やかな笑みを浮かべて柔らかい声で労ってくれる。
「閣下、アッシュ様。ただいま戻りました」
ナイアさんが丁寧な礼をしたので、俺も慌ててそれを真似て頭を下げた。
他の音がしない分、ナイアさんの声が大きく響く。
「こちらが報告書です」
ナイアさんが『閣下』と呼んだ人に報告書を渡す。
たぶん、金髪の人がグラフィカの領主様で、隣の銀髪の人がその伴侶の錬金術師さんなのかな。
「どうだった?」
銀髪の人がナイアさんに問いかけながら席を立ち、金髪の人の肩へ自然に寄り添うように歩み寄る。
辺境伯はそっとその腰を抱き寄せ、一緒に書類を眺めた。
……ナチュラルにイチャついてる。
なんか、父さんと母さん思い出す。
「恙なく終わりました」
「定期的に調査は出来そうか?」
「はい。問題ありません」
「なら、そうだな。一年に一度調査をするか」
「慣れたら騎士たちの訓練の一環としてもいいと思います」
「ああ、そうだな」
ナイアさんが離れてしまったので、心もとない。
俺が口を開いていい雰囲気でもなく、話が一段落するのを待つしかない。
手持ち無沙汰の俺に視線が注がれているのに気づく。
銀髪に柔らかな光が跳ね返って、一瞬だけ部屋が明るくなったように見えた。
その光を受けてきらめく瞳は、夜を映したような深い青。
初めて見るはずなのに、記憶の端に何かが引っかかるようで、目が離せない。
「タクマ、あんまり見てはいけない。不敬になるよ」
「あっ、すみません」
俺たちの様子に気付いたナイアさんが戻ってきてくれた。
それに安心してホッと息を吐き頭を下げた。
「いいよ、僕は気にしないし」
気さくに笑いかけてくれる。その笑みにはまるで雪解けの陽だまりみたいな温かさがあった。
この人、絶対いい人だ。後で話せないかな。友達になりたい。
そんなことを思っていたら牽制するように辺境伯様が彼の腰を抱き寄せた。
「それで? ナイア、それはなんだ? 説明を」
心なしか声も冷たい。
ソレ扱いされたし。ちょっと怖い……。
うわ、やばい。蜜月だからあんまり見るなって言われてたんだった。
俺が怯えたのが伝わったのか、ナイアさんが一瞬だけ視線をよこして、領主様から見えないようにすぐに俺の前に立ってくれた。
不安に駆られた俺は見えないようにナイアさんの服をつかむ。
……ほんと、ナイアさん頼りになるな。
俺にとってこの人はライナスの毛布だ。絶対離さないぞ。
「魔の森でさまよっていたところを保護いたしました。名はカミシロタクマ」
紹介されたので頭を下げる。
「神代拓真です」
「……カミシロタクマ? え、もしかして、日本人?」
「!?」
「アッシュ!?」
「何か知っているのですか!?」
三人の視線が一斉にアッシュと呼ばれた銀髪の人に向かう。
「知ってるっていうか、えーと……なんていえばいいのかな」
腕組みをして、何と説明するか考えている。
「……うーん。えっとね」
言葉を探し、やがてはにかむような笑みを浮かべ、とんでもない爆弾を投下してきた。
「僕、前世、そこで生きてたんだよね」
異世界って、たちの悪いサプライズ多すぎない?
色々あり過ぎて、俺の心臓そろそろ止まるんじゃないかな。
もう新しい驚きはいらないよ……。
話が長くなりそうだからと場所を日当たりのいいソファー席に移して、お茶とお菓子が運ばれてきた。
部屋の中には俺たち四人しかいない。
「まず自己紹介するね。この人はグラフィカ辺境伯オリバー、領主様か辺境伯様って呼ぶといいよ。それから僕はアッシュって呼んで」
貴族っぽいし何と呼んでいいものかと戸惑っている俺に、ナイアさんが耳打ちしてくれる。
「タクマ、アッシュ様と呼ぶといいですよ」
「はい」
本当にナイアさんは頼りになる。
向かいのソファーでは辺境伯様とアッシュ様がイチャイチャし始めた。
「アッシュ、君は誰にでも名前を呼ばせて……」
「じゃあオリバーは僕をハニーって呼べばいいよ。オリバーだけ「特別」に呼ばせてあげる」
誘うような笑みにはぞくりとするような色気を帯びている。なのに辺境伯様は平然と受け止め笑っていた。
「呼んでいいなら人前でも呼ぶが?」
「やっぱナシ」
アッシュ様は悪戯が失敗したというように顔をしかめる。
「遊んでないで話を聞いてください。結構深刻な話なんです」
「すまん」
「ごめんなさい」
ナイアさんに叱られ二人とも大人しくなった。
それだけでこの三人の関係性が見えた気がした。
主従でありながらも友人というより家族みたいで微笑ましい。
そう思っていたら笑ってしまっていた。
「ほら、タクマに笑われてしまいました」
それをナイアさんに見つかってしまい、慌てて表情を改めていると、俺に興味を引かれたのかアッシュ様が身を乗り出してきた。
「あ、そうそう。やっぱり日本人なの?」
「はい」
「名前の漢字ってどう書くの?」
「神様の『神』に、時代の『代』、それから道を切り『拓』くと真実の『真』」
「オッケー、オッケー。こうね」
すらすらとペンと紙を取り出し、「神代拓真」と書いてくれた。
「日本語だー!」
半月ぶりくらいの日本語。なんかすごく嬉しい。
「ちなみにこれは読める?」
すらすらと書いてくれた文字はカミシロタクマと読めた。
「カミシロタクマ?」
「これ、この世界の言語ね。ちなみに今しゃべってるのもそう」
え、日本語じゃなかったのか。そうだよね、異世界だもん。
自動翻訳も備わってたか、よかったー。
「異世界特典本当にあるんだね」
感心するようにうなずくアッシュ様と顔を見合わせ、何度もうなずく。
前世だとしても日本を知ってる人がいるなんて、夢みたいだ。
ナイアさんも俺の言うことを信じてはくれていたけど、実際は半信半疑だっただろうし。
こうして理解してくれる人がいるだけで、安心感が違う。
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