午時葵が咲き 木五倍子編 (高島藤次)

蒼乃悠生

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第一章 木五倍子の蕾

一.出会い

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 西部第二基地。
 西部第一基地に比べると少し小さいが、基地自体は新しいので、特に若い軍人には人気がある。
 東部の技術が入っていて、設備はどこよりも新しく、建物自体が綺麗である。第一基地では机、椅子などの生活用品が木で作られているが、第二基地ではアルミで作られていたり、又は同じ木でも装飾に富んでいる。
 その第二基地のある部屋。
 そこに俺、高島藤次はいた。他に四人くらいの海軍の軍人が休憩をしている。
 ある一人が床でゴロゴロと転がっていた。
「瀬田、なにしてるの?」
 俺は椅子に座って、珈琲を一口。
 奇妙な行動をとる瀬田に対して、躊躇いながらも俺は尋ねた。正直声をかけない方がよかったのではないかと、軽く後悔しながら。
 すると、瀬田はピタッと止まり、俺を見る。
(気味が悪いな……)
 前から変な奴だとは思っていたが、やはり変な奴だ。
「高島隊長!」
「はい」
「一緒に転がりませんか!」
「結構です」
 首を横に振る。
「ここ、いい匂いがします!」
 一体、なんの良い匂いがすると言うのだろうか。
 返答に困っていると、瀬田は続けて嬉々と口を開いた。
「第一基地に比べたら新しい匂いがするっス!異動の申請して、本当によかった……!」
「もしかして、その匂いを嗅いでるの?」
「イエス!!」
 頭を抱えたい。
 こんな変人がいるなんて。
 椅子に座ったまま、伍賀さんの方へ振り返った。
「伍賀さーん」
 この気持ちを共有したい。
 そう思って声をかけた。
「んー?」
 伍賀さんは壁を背にして、床に胡座をかき、漫画を読んでいた。長細い棒状のものを、ポリポリと口に入れながら生返事をする。
 あまりにも良い音をさせるものだから小首を傾げた。
「なにを食べてるんです?」
「んー?ポッキー」
「また東部のお菓子ですか?」
「うーん」
 伍賀さんは漫画から目を離そうとはせず、気の無い返事を返してくれた。
 会話を聞いていた瀬田がこちらを見ていた。
「高島隊長」
「なに?」
「伍賀と高島隊長なら、階級で言うなら高島隊長が上っスよね?」
「ああ、はね」
「どゆことですか?」
 眉を寄せて、理解に苦しむ表情をする。
「生前は伍賀さんが隊長で、俺は伍賀さんの下だったんだよ」
 チラッと伍賀さんを一瞥するが、特に気にしている様子はなく、漫画に集中している。
「俺が戦死してから、伍賀さんより階級が上がっただけさ」
「へー」
 より美味しくなった珈琲を口に含み、苦味を楽しむ。
「この混沌の国自体、統率者もいなければ、基地内の統率者もいない。階級なんてあるようでないようなもの。全く意味を成してないんだよ」
 これが現実。
 戦争をしているようで、全くしていないぐらいだから。
「本当は伍賀さんが隊長になって欲しいんだけど、残念ながら俺が先にここに来ちゃったから」
「ほんまっスか」
 相変わらず伍賀さんは集中していた。
「ね、伍賀さん」
「んー」

 ポリポリポリポリ

 伍賀さんがだんだんとリスのように見えてくる。
 好きなことに対する集中力だけは誰よりもある。
 そんな伍賀さんの様子を見て、俺は軽く溜息を吐いた。
 また一口珈琲を飲もうとしたら、カップにはもうほとんど残っていない。仕方がないので、カップを洗ってから、酒保にでも行こうと立ち上がった。


 酒保に行ったら、まずなにを買おうかと悩む。
(伍賀さんが食べてたぽっきーを食べてみよう)
 基地内にある酒保には、主に東部で作られている日用品、食品類などが売られている。
 戦後の発展を目の当たりにする場所だ。特にシャープペンシルには驚いた。素晴らしい技術である。押せば出てくる鉛筆の芯。小刀で木を削らなくても良いということは、時間を取られずに済むし、最後に短くなった鉛筆も出ることがない。効率化の発展である。
 酒保は部屋から離れた場所にある為、一旦外に出る必要がある。
 お菓子以外にも文具も見ようと考えながら歩いていると、猛スピードで車が目の前を横切った。
(基地内なんだからもっとスピードを落とせよ)
 最近は特に雨が降っていない。あっという間に走り去った車の後は砂煙が酷く、思わず手で顔の前を払った。それでも若干口の中が砂でジャリッとする。
 砂煙が落ち着いてくると、見慣れない形の影が見えてくる。
「ん?」
 完全に砂煙が静まると、影は少女だった。
「んんん?」
 ただ一つおかしいところがある。
 目の前にあるのは、白い物を穿いたおしりが目前にあること。
「どんな体勢……?」
 少女は、万歳をして、仰向けになった状態でお尻を持ち上げ、足で完全に顔を隠していた。体が柔らかいからこそできる芸当だ。
「大丈夫?」
 声をかけると、少女はくるんっと座った。
 丸いほっぺたが赤く染まっている。
「パンツ、見たでしょ!」
「え、ぱんつ?」
 とは、何でしょうか。
「下着!下着のこと!お兄さん、パンツも知らないの!?」
 何故か俺が怒られる。
 ごめんねと謝ると、少女は立ち上がり、服に付いた砂を叩き落とす。
「お兄さん、名前は?」
「名前?」
「うん!」
「高島藤次だよ。君は?」
「木佐ちせ!これでもう知ってる人だね!」
(ん?)
「知らない人とお話しちゃあ駄目ってお母さんが言ってたから!」
 迷いなく、自信満々に話す。
(よく分からないけど、この子のお母さんが言った意味と違う気がする)
「ちせちゃん。どこから来たの?」
 膝に手を置いて中腰の姿勢になり、ちせちゃんと同じ目の高さにする。
「道路!」
 これまた回答に迷いがない。
 むしろ心配になってきた。
(この子、大丈夫かな……)
「そっか。じゃあ、お母さんか、お父さんはどこにいるのかな?」
「お母さんは仕事!」
「お父さんは?」
 そう尋ねると、ちせちゃんの顔から表情が消える。そして、先程までの元気は無くなり、呟くように答えた。
「いない」
 この様子を見て、地雷を踏んでしまったと焦った。
「そっか。ごめんね」
「なんで謝るの?」
 ムスッとした顔だった。あからさまに怒っている。
「辛い思いとか、悲しい思いとかさせちゃったかなって」
 俺はちせちゃんの頭を撫でた。
 すると、ちせちゃんは可愛いほっぺを膨らませた。
「子供扱いしないで!!もう九歳になったんだからね!!」
「そっか~九歳になったんだ~。もうお姉さんだね~」
 怒っているようで、実は嬉しい。ちせちゃんはそんな顔をしているように見えて仕方がなかった。
 一度緩んだ顔はなかなか引き締まらない。
(子供は可愛いなぁ~)
 そこに、韋ノ田いのだ少佐が歩いていた。
 ご家庭持ちの韋ノ田少佐なら子供も安心してくれるかもしれない。
「韋ノ田少佐ー!」
「やっほー、高島大尉。と……」
 目をパチパチと開閉して、ちせちゃんを見て首を傾げる。
「木佐ちせちゃんです。仲良くしてあげてください」
 そう紹介すると、ちせちゃんは俺の背中に隠れた。思った反応と違い、躊躇った。
「わあ~もうすでに避けられてるね」
 韋ノ田少佐は怖がらせないように優しく笑った。
「こんにちは、ちせちゃん」
 腰元から少しだけ顔を覗かせて、ちせちゃんは韋ノ田少佐を凝視する。
 おかしい。こんなに父親顔をしている韋ノ田少佐なのに、警戒心が弱まらないなんて。
「…………こんにちは」
 空気に消え入りそうな小さな声で挨拶をした。
「偉いぞ~。ちゃんと挨拶ができたね」
 渋々でも挨拶が言えたことに対して、俺はちせちゃんの頭をまた撫でた。
 すると、ちせちゃんはあからさまに反抗することなく、小さく頷いた。
「高島がちせちゃんの父親に見えてくるねー」
「えっ」
 二十代にして九歳の子供持ちか。
「じゃ、ニノ中佐に呼ばれてるから先に行くわ」
 韋ノ田少佐は、ズボンのポケットから茶色のレザー生地の財布を取り出し、お金を渡してくれた。
「これでちせちゃんにいいもん食わせてあげ」
「ありがとうございます!」
 右手を軽く上げて、韋ノ田少佐は歩いて行った。
 その背中に、俺は頭を下げた。

 クイクイ

 袖が引っ張られていることに気づき、俺はちせちゃんを振り返った。
「お菓子食べたい!」
 二マァと満面の笑み。
「はいはい」
 ちせちゃんと手を繋ぎ、本来の目的地である酒保に向かった。


 酒保に着くと、先客がいた。
「あ、伍賀さん」
「高島隊長~」
 伍賀さんの手にはビスケットとキャラメルが。
 というか、いつの間に俺を抜かして来たんだろ、この人。
 伍賀さんが俺の方を見ると、ピタッと動きを止める。ちせちゃんを見て驚いているようだった。
「伍賀さん?」
「え、ちょ、なんで孫が来てるの」
「孫?」
 そう聞き返すと、ちせちゃんは訝しむような目で伍賀さんを睨みつけていた。
「お兄さんなんか知らないよ?」
「あ、そうか!姿が違うもんね」
 伍賀さんは頬を指先で搔き、困ったかのように笑う。
「お孫さんって……名字が違いませんか?この子は木佐ですよ」
「あぁ、実は今は木佐って名乗ってんの。ちせは、いろいろ大変なことがあってね」
 お菓子を選ぶちせの姿を見ながら、伍賀さんは言う。
「はあ。じゃあ、なんでの伍賀さんは、旧姓を名乗ってるんです?」
 俺も一緒になって、お菓子を選ぶ。
 そうしたら、伍賀さんもお菓子に視線を戻しながら口を開く。
「俺の友達の木佐は、覚えてるだろ?」
「はい……」
 伍賀さんは淡々と話をするが、俺にとっては消化しきれていない一人だ。彼の最期を昨日のように思い出せてしまう。
「アイツ、天涯孤独だったからさー、名前ぐらい残してやろうと思って改姓してさ。今はもう木佐家として残したから、俺が死んだ後はもう伍賀に戻ろうかなーって」
 ぼんち揚を手に取ったと同時に、伍賀さんも同じものを持っていた。
「それでですか。伍賀さんらしいですね」
 クスッと笑う。
「お兄ちゃん!これ食べたい!麦チョコ!」
 そこに、掌サイズの小袋に入った麦チョコを掲げてやって来るちせちゃん。
「はいはい。麦チョコだけでいいの?」
 そう聞くと、ちせちゃんは更に目を輝かせて「まだ食べる!」と言って、探しに行く。
「ちせ」
 伍賀さんはちせちゃんの様子を見ていた。心配そうな面持ちだった。
「幼くなった気がする」
「そうなんですか?子供なんていないから、俺にはよく分かりません」
 思ったことをそのまま伝えると、伍賀さんは少し驚いた様子で俺を見ていた。
「なんですか」
 俺は怪訝そうに眉を寄せる。
「いや、貴様だからちせは甘えてるのかもしれんなと思って」
「ぇえ?ついさっき会ったばかりですよ」
「馬鹿だなぁ。子供にしか分からない、心を開きやすい人と開きにくい人がいるんだよ」
「はあ」
 いまいちよく分からない。
 伍賀さんは、更にイチゴ味と抹茶味のポッキーも手に取った。
「ま、とりあえず、貴様は香具山様のところに行って来なさい」
「え?」
「決まってるだろ?子供一人でこの国に来た場合は、一旦香具山様の所に行くって」
「あぁ、そういえばそうでしたね」
 経済的に自立する能力を持たない子供に関してのみ、一度、管理人の香具山様と会って、どこに身を寄せるか判断を委ねると言うもの。
 なんだか離れてしまうかもしれないと思うと、寂しくて、香具山様のところに行きたくなくなる。が、どうにもならないことだ。守るべき規律の一つだ。
「ニノ中佐には俺から言っとくから、菓子買って、落ち着いたら行ってきな~」
「はい、そうします」
 生前の上官にも逆らえない。
 伍賀さんの手元には、増えていくお菓子。
「……伍賀さん?」
「ん?」
「食べ過ぎじゃありません?」
 お菓子に視線を送る。
 すると、伍賀さんはハッとなって、顔を背ける。
「こ、これはみんなに配る奴!」
 そう言いながら、山のように増えていくお菓子。
 甘いものが好きなんだなぁと眺めていたら、竹で編んだ小さな籠にお菓子を入れたちせちゃんが帰ってきた。
 これでもかと思うほどお菓子を持った顔は、とても幸せそうに見える。こちらも釣られて微笑んでしまいそうなほど。
「えへへ」
「それでいい?」
「うん!でも……」
 笑顔が翳る。
「こんなに買ってもらってもいいのかな」
 お菓子を見つめながら、うーんと唸っている。
 俺はニッコリと笑って、お菓子の籠を持った。
「今日だけ特別だからいいんだよ」
 すると、ちせちゃんは「ありがとう!」と笑った。


 部屋に帰って来た。
 俺が子供を連れて戻ってくるものだから、部屋でのんびりと過ごしていた瀬田が驚いた様子で俺を凝視してきた。
「隠し子!?」
「違うから」
 言葉を被せ気味に、冷静に対処。
 ちせちゃんは、初めて見る人を前にすると、相変わらず俺の背中に隠れていた。
 そんな彼女を凝視すると、瀬田は何かを思いついたのか、棚に行って小さいものを取り出す。
「これ、なーんだ!」
 そう言って、ちせちゃんの前で膝を折り、見せた。
「野球ボール……」
「せいかーい!」
 ちせちゃんの顔に笑顔が戻る。
「すぐ分かるよ~」
「そうかい?」
 瀬田はニカッと笑った。
 俺は椅子に座る。
 机に肘をつきながら、二人の様子を見守った。
「瀬田ってさ、子供に慣れてるよね」
「うちは妹がいたんで」
「じゃあ、よく遊んであげてたんだね」
 そう言った途端、瀬田はほんの一瞬だけ止まる。
 しかし、すぐ普段の調子に戻った。
「逆っス。俺、思春期だったんで」
 聞き慣れない単語だ。
「ししゅんき?」
「難しいお年頃のことっスよ」
 瀬田は笑った。
 そういえば、瀬田のことをあまり知らない。
「瀬田って、いつ生まれ?」
「昭和っス」
「ちせはギリギリ平成だよー!」
 ちせちゃんと瀬田はボール転がしをしていた。そんな中、ちせは自分も言いたかったようで、合間を見計らって手を挙げて答えた。
「へいせい……あぁ、伍賀さんが言ってた、新しい年号か」
 思い出してよかった。また知らないと言っていたら、ちせちゃんに怒られていたかもしれない。
「ちせはね、なんでも知ってんだぞ!」
 鼻が長く伸びている。
 えへん!と腰に手を当てている間に、瀬田が転がしたボールが股を潜った。
「ちせちゃんは凄いねぇ」
 褒めると、更に嬉しそうに笑う。
 伍賀さんはちせちゃんを見て幼いと言ったが、俺は子供は子供らしくいてもらった方が見ていて安心する。幼いぐらいが丁度良い。変に大人びた子供は、無理をしているのではないかと心配になってくるから。
 ちせちゃんは部屋の隅まで転がったボールを拾い上げると、俺の方に転がしてきた。と、思ったら、そのまま走ってくる。ボールを追い越し、ちせちゃんは飛び込むように、俺に抱きついた。
「うん?どうしたの?」
 俺のお腹に顔を埋めていたちせちゃんは、すっと頭を上げて、屈託のない笑顔を見せてくれた。
「お兄ちゃんって不思議な人だよね!」
「不思議?」
「ちせね、お兄ちゃんには素直になれるの!」
 彼女の本心か。
「ずっとずっとずーっと、お仕事で忙しいお母さんを困らせないようにイイコにしてた。一人でご飯を買いに行ったし、一人で食べたし、一人で遊んだし、一人でお風呂に入ったし、一人で寝たんだよ!!」
 淡々と言う。それが当たり前かのように。
 俺は目を見張った。
「えらいでしょー?」
 きっと母に褒めてもらってないんだ。
 だから、
(我慢して頑張った今までのことを、俺に褒めて欲しいんだ)
 褒めてとも、母に言えずにいたんだ。
「ちせちゃん、それはいつからなの?」
「小学一年生から!」
 俺は無言で瀬田を見た。
「六歳か七歳ですね」
 瀬田も心に引っかかるものがあるようで、おおっぴらにはしていないが、苦しそうな表情をしていた。
「ちせちゃんは六歳頃から今まで、ずーっと一人で生活してきたのかい?」
 そう聞くと、首を縦に大きく振り、「うん!」と元気よく返事をした。
「寂しくないよ!お母さん、お仕事が大変だもん。ちせは九歳だから分かるよ」
 年相応の表情。
「でもね」
 沈んだ声色。
「褒めてもらえないのは、悲しいかなぁ」
 あぁ、この子はずっと迷惑をかけまいと、この子ができる最大限の気を使って、一人でなんでもこなしてきたんだ。言いたいことも言えないまま、弱い自分を見せないまま、ずっと演じてきたんだ。
 彼女の目は暗い影を落としていた。
「ちせちゃん、よく今まで頑張ったね」
 彼女は顔を上げた。
 その目は、涙で潤んでいた。
「偉かったぞ」
 俺はちせちゃんを、ぎゅっと抱きしめた。
 抱き返してくる、弱々しい力。
「ありがとう」
 たった一言だけを呟いて、彼女は泣かなかった。
 伍賀さんが見ていたちせちゃんは、きっと今の彼女の姿。でも、本来のこの子は、恐らく深い悲しみに身を沈め、笑顔の仮面を被った子供だ。
 どうやったら本当の姿を現してくれるのだろうか。
 
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