午時葵が咲き 木五倍子編 (高島藤次)

蒼乃悠生

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第一章 木五倍子の蕾

四.孤独の代償

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※注意書き
不快な描写がありますので、ご注意ください。
また、この作品はフィクションであり、暴力等を推奨するものでもありません。
良い子も悪い子も決して真似をしないようにお願いします。
どんな命でも大切に接しましょう。











 ちせちゃんが来て一週間が経った。
 小秋ちゃんと遊んだり、基地内の兵達と遊んだりしていた、そんなある日。
 突然、ちせちゃんの姿が消えた。
 俺は基地内を走り回る。通り過ぎる人達にちせちゃんを知らないかと聞きながら。
(どこに行ったんだろ……最近、時々姿を消すことはあったけど、今日は朝から見てない)
 おはようの挨拶もしていなければ、朝ご飯も食べていない。もうお昼だというのに、一度も姿を見ていないことが不安で堪まらなかった。心配しない筈がない。
 考え過ぎだと、心配し過ぎだと言われても良い。今は兎に角ちせちゃんの元気な姿を見て安心がしたい。ただそれだけだ。
 基地は広い。
 子供の足なら遠くに行く筈はないと思っているが、大人の予想以上な事をやってみせるのも子供だ。
 汗を拭いながら足を進める。
(嫌な予感がする)
 俺の嫌な予感はよく当たる。だからこそ、早くちせちゃんを見つけて安心したい。
 独身寮にもいない。
 酒保、食堂にもいない。
 あと、ちせちゃんが行きそうな場所、行った場所はどこだろう。
(もしかして一人で基地の外へ……!?)
 小秋ちゃんの場所へ一人で行った可能性も考えられなくもない。
(九歳だから一人で行けるとかなんとか思ってたらどうしよう)
 心配で仕方がない。
 せめて書置きをしてほしい。いや、それでも心配だ。
 俺は門に向かって全力で走る。
 門を出た時だった。
 門の物陰に向日葵が視界の隅に映った。
(向日葵といえば、今日のちせちゃんの服の柄にあった……!)
 ちせちゃんの服は前日に用意している。だから分かる。
 足を止めて、砂煙を立たせながら止まるまで滑った。
「っと……!」
 少しこけそうになりながらも、来た道を戻る。
 そして、門の近くにある木で座り込む子供を見つけた。
(ちせちゃんだ。見つかってよかったぁ)
 歩きながら、ちせちゃんの背中に話しかけた。
「ちせちゃん、探したよ」
 しかし、反応がない。
「ちせちゃん?」
 ちせちゃんを覗き込む。
 子猫の声が聞こえた。
「ちせちゃん……」
 彼女は振り返った。
 虚ろな目で。
 そして、彼女の手元には、首元を紐で結び、木に繋がれた子猫が。
「なにをしているの……」
 子猫は苦しそうな様子を見せなかったが、首に巻かれた紐に違和感があるのか、紐をガジガジと噛んでいる。
「ごめんなさい」
 ちせちゃんは謝った。
 段々と己がした罪を理解してきたのか、怯えるような表情へと変わっていく。
「ごめんな、さい」
 遠くから母猫が鳴いている。
 きっと子猫を呼んでいるのだろう。姿は見えない。
「ごめ、なさい」
 ちせちゃんのすぐそばに、紐とハサミがあった。そのハサミは、無くした俺のハサミだろう。
「ハサミはどこから?」
 俺は腰を低くした。
 ちせちゃんの目線に合わせる。
「お兄ちゃんの机から」
「紐は?」
「酒保のおばちゃんからもらった」
 聞かれれば素直に答える子供だ。
 それなのにどうしてこんなことを。
「子猫に紐を付けたのは?」
「……」
 悪いことだと分かっているから黙ったままなのだろう。
「ちせちゃん」
 顔を俯いたまま、なにも答えない。
「子猫の首に紐なんて付けたら駄目でしょ?」
「……」
「木に結びつけたら、子猫はどこにも行けなくなるよ。母猫と自由に遊びに行けなくなるし、悲しいよね」
「……」 
 暫く黙っていたが、ちせちゃんは俺を見た。
「どうして猫はお母さんに甘えられるのに、わたしは甘えられないの?甘えたら駄目なの?」
 目に溜まる涙。
「どうして猫は幸せそうなのに、わたしは幸せだって思えないの?」
 声が震えている。
 彼女の目が見ているものは、きっと過去の記憶。母の姿が見えているのかもしれない。
「猫にはできて、人間のわたしにはできないの?」
「ちせちゃん」
「猫の羨ましいよ。羨ましい羨ましい、羨ましいッ……!!」
「そんな風に言ったら駄目だよ……」
 大粒の涙を流しながら、彼女は握り拳で俺を殴ってきた。決して痛くない、弱々しい力で。
「酷いよ。猫はわたしに見せびらかしてくる。お母さんに愛されてるって。だからいじわるをしようと思ったの……少しの時間だけ離しちゃおうって。お母さんと会いたくても会えない時間がどれだけ辛いか、猫にも分からせてやろうって思ったの。少しの時間ならいいでしょ?わたしはずっと、ずっと、ずっと甘えられないんだから。わたしだって……わたしだって……お母さんに愛されたい……のに」
 ちせちゃんは俺の首元に抱きついてきた。
 声を上げて泣くちせちゃんを初めて見た。
 ずっと我慢していたものが爆発したように、嗚咽を漏らしながら大声で泣いた。
 俺は小さな体を抱き締める。ゆっくりと、何度も頭を撫でながら。
 小さな体で、小さな心で母からの愛情を求めたくても求められない寂しさ、苦痛さを一身に受けてきたんだ。
「ちせちゃんがやったことは悪いことだよ。分かるね?」
「……うん」
「だから、まず子猫を放してあげよう」
「……うん」
 ちせちゃんはゆっくりと俺から離れ、置いていたハサミを取り、子猫を傷つけないように首に巻いてあった紐を切った。
 子猫は母猫の鳴き声がする方へ走り、そして姿が見えなくなった。
 ちせちゃんはまた俺の首元に抱きつく。
「もうやったら駄目だからね」
「……分かった」
「ちせちゃんの心の中に、子猫には悪いことをしてるな、ていう気持ちがあって良かったよ」
「?」
 ちせちゃんは目から涙を流し、鼻からは鼻水を垂らしながら、小首を傾げる。
「ハサミで子猫を傷つけなかった。君が子猫を傷つけなくて、本当に良かったよ。後悔するような事が起きなくて、本当に……本当に良かった……」
 ちせちゃんの小さな手を両手で握る。
「この手は誰かを傷つける為にあるんじゃないからね」
「うん」
 泣きながら、大きく頷いた。
「君が寂しいなら、俺が一緒にいる。痛いなら、一緒に受け止める。辛いなら、言ってほしい。君は一人じゃないんだよ。俺がいるじゃないか。ずっと傍にいるから」
「うん……ッ」
 ぎゅーっと、ちせちゃんは首元に抱きつく。
 ずっと我慢していたんだ。ずっと。
「ごめんなさい、ごめんなさい、本当に、本当にごめんなさい」
 そして、恐らく、このを誰かに止めてもらいたかったのかもしれない。
 頭の中では悪いことだと理解していても、それを上回る妬みが行動に移させた。
 元の世界では止めてくれる人はいなかっただろう。ましてや、気付いてくれる人もいないのだろう。彼女を真に見てくれる人も。


 それから、猫の親子は見なくなった。どこかへ引越しをしたのだろう。残念がる隊員もいたが、気まぐれな猫のことだから、いつの間にか帰ってくるかもしれないと言って笑っていた。
 一方、ちせちゃんの様子は、今まで特に変わったことはなく、明るく、天真爛漫な笑顔を見せてくれた。
 ちせちゃんの姿が忽然と消えたのは、それから三日後。
 なんの音沙汰もなく、突然の出来事だった。
 伍賀さんに止められたが、香具山様に尋ねてみると、「あの子は生きていたからね。元の世界に帰ったんだろう」と答えた。
 香具山様は分かっていたんだ。こうなることを。
 ちせちゃんは元の世界に帰った。
 彼女にとって、また寂しい世界に帰るということだ。
 それは俺がどれだけ望んでも、どれだけを手を伸ばしても届かない、生者の世界。
 助けてやれない。
 ちせちゃんがどれだけ泣いても助けてやれない。
 香具山様が出した条件の一つにある、『幸せを感じること』。
 元の世界に帰らないのであれば、なんの問題はない。だが、また悲しさと寂しさと辛い世界に戻るのだとしたら、幸せを感じることになんの意味があるのだろう。比較対象が出来てしまい、更に辛い思いをするだけなのではないか。まだ小さな体で上手く割り切れることができるのだろうか。
 俺は、そう思えてならなかった。
 受けた幸せを糧に、生きる。
 そう思えるようになるには、あまりにも時間が短過ぎたから。
「ちせちゃん……」
 彼女の手は小さく、そして温かかった。
 彼女が着ていた服はどうしようか。
(ちせちゃんが着た時はあんなに可愛かったのに、今はただ切なく見えてくるなぁ……)
 もう着てくれる人はいない。
 いない。
「寝よう」
 もう夜だ。明日からまた軍人として動くようになる。長いようで短かった非番も終わりだ。早く寝なければ。
 ベッドに横たわる。
(広いなぁ……)
 今だけは、生前に使っていた、幅の狭いベッドが良かった。

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