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捨て子花
しおりを挟む彼岸花。別名、曼殊沙華。
そこは、真っ赤な絨毯のようだった。
通る者を歓迎するように、道の両脇に曼殊沙華は咲き乱れる。そこは田んぼに挟まれるように、まっすぐ伸びた、一本の道。
アスファルトで舗装されてはいないが、集落に住む人達が行事でよく使っており、地はしっかりと踏み固まっている。大きな石や草はなく、手入れが行き届いていた。
そこは街から離れた場所にある。山を二つ越え、谷にある、人に忘れられた小さな人里。生活が不便で暮らす人が少なったのか、それとも大きくなった子供が集落を出て行ったきり、帰ってこないからか。どちらにせよ、その集落には、音という音も少なく、生活音といえば、たまに車の走る音が轟く程度である。山の木々の葉は風に吹かれて擦れ、川はせせらぎ、飛び交う小鳥、そして虫の鳴き声が小さな里を彩る。
黄昏時。
太陽は沈み、ほんのりと赤みが残る空。
子供の頃は、家に帰る時間だからか、それを見る度に残念な気持ちになって、切なく感じていた。だが、今は違う。そこに救いを求めていた。あの頃に戻れたら、と。大人の事情を知らない、無垢な心で、大好きな人と一緒に遊んだ、あの頃へと。
今の私は、子供のままなのか、大人になったのかわからない。ただ女らしい体つきになったとは思っている。
私は歩く。
ただ一人。寂しくはない。望んで一人になった。
私は逃げるように、いや、求めるように歩く。
沈みゆく太陽の名残を前に、闇のように黒い山に続く道を。途方に暮れるような細く、長い人生を。
『タスケテ』
誰かが言う。
『コロシテ』
誰かが叫ぶ。
その声は誰のものなのか知らない。私はただそれを音楽でも聴くように歩いていく。周りには鳥一羽もいないというのに。
彼岸の日。
それは、私が私としてなくなり、私の身が奈落の底へ堕ちる日。その為に、朝から集落は慌ただしかった。
昨日も歩いた道を、今日も歩く。一人ではなく、儀式のように行列となって華やかな装束を纏った者達が山に向かう。
『お…………は選ば……た』
『…………レを背負って……召さ……』
『人……み様……うか、どうか…………』
聞こえていた人々の声は、ノイズと混ざり合って上手く聞こえない。声と声が重なり合い、どれがどの言葉なのかわからなくなっていた。もしかしたら、その言葉を認識したくないだけなのかもしれない。
私の家では一生羽織ることができないであろう綺麗な着物を着て、宝石のように輝く櫛を髪に挿してもらい、血のような紅色
口紅を塗り、生まれて初めて化粧の施しを受けた。
まるで別人のように、私は美しくなった。
お姫様にでもなったかのような気分だった。
シャンシャン
手足、足首、そして首につけた鈴が鳴る。
山に入った瞬間、不気味なほどに皆が口を閉じ、静まり返った。その空間では、鈴の音がとても大きく聞こえる。
木々に挟まれた小道に、物々しい行列。
それは亡き人を送る葬式のようにも見えるが、そのような重たく悲しい空気ではない。むしろ、婚約の儀のように軽く、明るいもの。しかし、誰一人口を開く者はいない。神聖な山では、〝ある時間〟以外は口を開けてはいけないというしきたりがあるのだ。その理由として、山上に口から魂を抜かれてしまうからと祖母に聞いたことがあるが、私は信じてはいない。
人で成る二列に挟まれるように、私は歩いていた。
今、頭に浮かぶものはない。
無心。
違う。何も思い浮かべてはならないから。そのおうな決まり事だから。未練を、残してはいけないから。
私は、人神(ひとがみ)。
「深夜(みや)ッ‼!」
名前を叫ぶ声は、後ろから聞こえた。どれだけ遠い場所から叫んだのだろう。それはとても小さかった。でも、ハッキリと私
耳に届いた。
その名前は、昨日捨てた私の名前。
艶のある男の声を、私は知っている。
でも、応えてはならない、決して。
「深夜! 深夜! 深夜!」
歩く。
鈴の音と共に、彼岸に続く道を前へと。
「深夜! 深夜! 深夜ぁぁぁああ!!!!」
振り返らない。
私は前だけを見なければならない。それがしきたり。
和足は私の使命を果たす為に。
「深夜! 深夜! 深ッ」
そして、その声は途切れる。列の末端にいる神子に押さえられたのだろうか。放せと叫ぶ声が聞こえた。
シャンシャン
歩く音と鈴の音色だけの空間が返ってくる。
また何も感じない、無が返っていた。あの声を聴く度に、心が、苦しかった。
山の奥の奥。
円を描くように杉の木が五つ並ぶ、その場所は儀式でのみ立ち入りを許されている。
その中心には、人の体ほどの大きさをした台があった。岩を削り、表面を滑らかにした、冷たい台が。目を凝らしてその表面を見ると、黒ずんだシミの跡がある。その形をよく見れば、人の形のようにも見えた。
私は神主様に促されるがまま、その台に仰向けになった。背中にひんやりと伝わる岩の冷たさ。同時に、鉄のような異臭が鼻を刺激し、悪寒が走る。
「あ」
首に巻き付く、注連縄のように太い縄。そして、亮の手首と足首にも縄で縛る。その縄の矛先は杉の木に巻き付けられた。
苦しい。
首の縄が、首を軽く締めあげる。
神主様と五人の巫女が私を囲む。
いきよいきよととなえれば
ひかりはてらし みちはうまれ
しろきたまはゆく
いきよいきよととなえれば
はなはちにゆき こうはうまれ
あかきみへとなる
いきよいきよととなえれば
みくろくなりて いきばしれず
ただたださまよう
いきよいきよとうちつけば
あかきたまに くいをうちつけ
かみともにながす
民謡の歌でも歌うように唱えるその声は、私の耳の奥まで焼き付いていく。
私はその光景を最後まで静かに見ていた。何も思わず、何も感じずに。
視界の隅に黒装束の影が映った。目を凝らしてみれば、それらは皆、集落の人間。成人し、家庭を持ち、子供がいる夫婦だけが参加する。その中には私の母親と父親もいた。どの人間も、一人一本の杭を持って。
集落に住む人は、自身のケガレを杭に込め、人神に打ち付ける。
人神は、そのケガレと共に奈落に落とされる。
これが、私が住んでいた、〝神流し〟の習わし。
人神になる者は、十年事に、村を統べる五大家から選ばれる。石井家、森ノ岡家、白神家、栢(かや)家、そして今回人神に選ばれた千鳥家。二十歳以下の女であり、あらゆるケガレを知らない者であることが条件だ。
もし人神を捧げられないとなれば、長男が選ばれる。そしてそれは家にとって不名誉であるとされ、更に、古き伝統を重んじる集落だからこそ、家を継ぐことにも問題が生じてくる。その長男もいないとなった場合、嫁いだ者がその責を担うことになる。その身をもってあらゆる辱めを受け、誰かわからない子を身籠るまで続くという。だからこそ、この集落に留まる者は子を産むことに執着する。
唄を唱えながら、飾り紐が付いた杭と木槌を持った四人の巫女は、杭を手と足にそれぞれ宛てがう。木槌を天に掲げた。そして、それは力の限り下ろされた。その行動に迷いはない。私も含めて、それが使命なのだ。
「ああああああああああ!!!!!!!!」
赤い飛沫と共に、四肢に突き刺さる杭。しかし、女の力では骨がある四肢を貫くことはなかった。
そして、唄に合わせてさらに杭を打っていく。
カーン
カーン
乾いた音が定期的に山の中に響く。私の悲鳴も吸い込まれていく。
集落の人間が動き始めた。
巫女から木槌を受け取る。赤く汚れたそれを。そして巫女が持っていた杭より一回り小さい杭を、一人一人、言葉を吐きながら私の体に打ち込んだ。心臓と首、頭を避けて。
その言葉は、その人にとってのケガレ、不幸に対する言葉。
「あの病さえなければ保(やすし)さんは死ななかったのに! 隣町の人間が病気を持ち込まなければ!!」
「手術する金さえあれば俺の息子は助かったはずだった……」
私はそれらを全て背負っていく。
気を失いそうになった時には、頭上にいる巫女が用意していた水を顔面に掛けてくる。気を失うことは許されない。決して、許されない。人神として、全てのケガレを背負い終わるまでは。
「お前を産まなければよかった」
次の言葉を聞いた瞬間、目を大きく開けた。
そこには私の母と父の姿が。
どうして、何ていう言葉は言わない。
人神という存在は崇められる存在でも、家族内では疫病神と同様な扱いだから。人神が選ばれた一家は、次の人が見が選ばれるまで、必ず不幸が訪れている。
父と母は、私と一度も目を合わせることなく、杭を打った後姿を消した。
不幸を抱いた人間全てのケガレを背負いきると、私は打たれた杭を抜かれることがないまま歩く。首や手足に巻かれた縄を引きずりながら。
打たれた激痛と大量に流血したことで、頭は朦朧とする。
上手く歩けない。
何度も倒れながら、一人だけの力で立ち上がり、そして再び歩き出す。全身から流れる血を、大地は吸い込んだ。
行きついた場所は、地下へ続く階段。人々はそこを〝彼岸の国の入り口〟と呼んでいる。
私は一段一段、踏み外さないように降りて行った。
墨のように真っ黒な鳥居の向こうには、大きな社がある。
黒い社へ導くように、黒ずんだ赤の足跡が石畳に付着している。それはきっと歴代の人神の血だろう。社に向かうその形は、はっきりと残っている。
私はその足跡を踏みながら間へ進んだ。
ギイィィィィ
社の扉は神主様によって開かれ、私はあらがうことなく足を進める。そして、後ろに付いていた五人の巫女も社に入った。
社の中になにか家具があるわけではない。あるのは、歴代の人神の骨だけ。
巫女は、私の命が尽きたことを確認すると出ていくだけの存在。早く死んでよと言わんばかりの視線に、私は社の壁に寄り掛かり、逃げるように隅を見るだけ。ここに居たくないのだ。異臭とどんよりとした重たい空気。気持ちが良いものではない。
血を流しすぎたのだろうか。体に力が入らない。社の壁に手を添えたまま、ずるずるとその場に崩れる。あとは、死の道へ身と心を委ねるだけ。
もう、楽になりたい……もう……。
瞼が、少しずつ落ちていった。
それは私が選んだこと。悔いは残らない。もう、このまま眠らせて。
「深夜」
聞こえないはずの声が聞こえた。それはきっ幻聴か何かだろうと思っていた。でも、それは何度も耳に届いた。
ゆっくりと重たい瞼を開ける。
「深夜、深夜」
静かな声で、無くされたはずの名前を何度も呼ぶ。
瞼をゆっくりと繰り返し、ぼやけた視界が冴えてくる。
見えてくる輪郭。目、鼻、口、髭、そして体。
知っている。私はこの人を知っている。
名前を呼ぼうと口を開けた。でも、それは音にならず、空気を吐き出しただけ。それでも私はかまわずに口を開閉する。
杭の打たれた醜い腕を、彼に伸ばす。彼を求めるように、指も伸ばして。
その指の矛先が空を切った時、彼は力強く握ってくれた。杭に触れないように、痛みを生じさせないように、手を握ってくれた。
あったかい。
「深夜、集落を出よう。俺と一緒にここから逃げよう」
彼はそう言った。
でも、私には役目がある。役目を果たさなければならない。
「役目、があるから」
役目、とは何だろう。頭によぎる。神主様はいつも変わらない回答をした。
集落に住む人々の幸福をもたらすためだ、と。幸福をもたらすことで、人々はこの集落から離れずに住み続けるのだと、続けて答えた。
それならば、何故父と母にあんな言葉を言われなければならなかったのだろう。
神主様の言う幸福とはどういったものなのかわからない。心の底では気づいていた。神主様は必ず隠しているものがある。しかし、その笑顔の裏側を見る勇気がなかった。
もし、ここで逃げ出してしまえば彼と幸せを掴めるだろう。同時に集落の皆への後ろめたさ、そして家族に抱かせるであろう怨みが怖かった。
だから、首を縦に振れなかった。
「大丈夫、巫女はみんな殺した。もう深夜をここに繋ぎとめるものはない。怖がらなくていいんだ」
彼のあたたかい手が私の頬に振れる。ぬるっとした違和感に、悪寒がした。
言われてから初めて気づく転がる遺体。その姿は目も当てられないほどの酷さ。
こんなことができる人じゃなかった。捨てられた犬を拾い、手当てし、飼い主を探してあげる、優しい人。
なのに、どうして、どうして。
体を動かせば駆け抜ける痛覚。
しかし、私は彼に伝えなければならない。
「あなたは、逃げて。……これ、が……神主様にバレたら……ただでは済まない」
あなたは殺される。
今出せる精一杯の声で、あなたに告げる。
少しでも早くここから離れてほしい。あなたには生きていてほしいから。
頬に触れる彼の手を握り、そして痛みで震える腕を伸ばして私から離した。
嫌だと、子供のように否定し続ける彼の頭を優しく撫でる。
「あなただけでも……逃げて」
「深夜を置いて……俺だけ逃げるなんてできない」
「次の、人神は……きっとあなたの家……栢(かや)家から選ばれる。だから今の内に……選ばれる前に、あなたの妹が……選ばれる、前に」
あなたは妹想いだから、きっと辛い思いをする。
「妹を連れて……この集落からお逃げなさい」
「深夜、君も一緒に」
「無理よ。私は、もう……動けないもの」
「俺が抱えるから! 背負うから!!」
「あなたの……荷物になるのは、イヤよ」
私のことを想ってくれるのは嬉しい。
助けようとしてくれるのは嬉しいよ。
今にでも泣き出しそうに歪む顔を見てると、心が苦しい。
でも、でもね。
「私の今の願いは……あなたが妹さんと共にこの集落を出て幸せに暮らすこと」
彼は静かに聞きながら、私の手に大きな手で重ねて、自分の頬に当てる。あたたかい掌に、少しだけ、私の汚れた手に力が入った気がした。
この温もりは、きっとこれから感じることはないだろう。だから、大切に思う。大切に覚える。
「最後まで、あなたは私を想ってくれた……それだけで、し、あわせ……」
意識が遠のいていく。
眠たい。
今まで苦しめていた痛みが、嘘のように穏やかになっている。激痛で意識が冴えることは、もうない。
このまま目を閉じたら、私はどうなってしまうのだろうか。
最期が近いことを悟ったのか、彼は落ちそうになった私の手を取った。強く、強く握りしめてくれた。
どんな言葉よりも、どんな態度よりも、些細なことが嬉しかった。
あなたのあたたかさを感じれば感じるほど、心の奥が痛くなる。目頭が熱くなる。
そのまま私の手ごと彼の額に当てられる。まるでお祈りをするように。
「…………深夜、お願いだから……お願いだから死なないでくれ」
静まり返る中、重たい口を開いたのは彼。
彼の心地よい声を、黙って聞いた。
「共に、生きたいんだよ」
躊躇いなんてない。力強いその言葉。
これが彼の本心なのだと、聞いてすぐわかる。嘘のつけない人だから。
それを知ってるから……知ってるから……私は……。
「……ッみや…………深夜!!」
あなたが私の名を呼ぶ、その声をずっと聞いていたい。私だけに許された幸福。
名前は捨てられたけど、彼はいつでも、どんなときも、私の名前を呼んでくれるだろう。
「みッ――」
いつまでも、あなたの声を。
うっすら開けたその視界に、彼が倒れる一部始終が映る。
なんらかの液体の飛沫と共に、低い金属音が落ちた。大きい刃を持ったそれは、鎌かなにかか。
そして、支えを失った体が崩れるように倒れ、私の目前になにかがぼとりと落ちる。
それが何なのかを把握した瞬間、意識を失った。
見たくなかった。
この世で一番見たくなかった。
きっと私はどこかで狂ってしまった。どこかで間違ってしまった。
そうでしょう?
そうでしょう?
全ての縁を断ち切るためにもある、神流し。
血を血でもって洗い流すように、人にこびり付いた汚れも人で洗い流す。
古くから行われていた風習もその集落も、今はもう存在しない。
現在は、迷い込んだ人間を喰い殺す魔物がいるだけ。
ずっとずっと、大好きだった人を探すために。
その人が生きてい確証を見つけたくて、ずっと。
洗い流せるなら洗い流して。
降り続ける雨よ。
どうか私の罪も、彼の罪も。そして私に関わった全ての人に罪も。
誰かが悪かったわけじゃない。
人間が作り出した規律が、人を歪ませた。人を狂わせた。そして、悲しみしか生まなくなった。
涙と共に、全てを洗い流して。
ズル
ズル
ズル
引きずる音。
道は赤い。
曼殊沙華が躍る。
血を吸って、更に曼殊沙華は躍る。
道に転がるは、人の一部。
曼殊沙華はそれを喰らい、啜り、空に向かって咲いてみせる。
<あいたい>
<あのひとに>
<もういちど>
<てをにぎってほしい>
<あたためてほしい>
<だれだっけ>
<なまえが>
わからない
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