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ホタテの貝殻
しおりを挟む海の幸と言えば、私にとってホタテ。と言うより、食べるホタテではなく、その貝殻だ。
その関連会社は海沿いに建っている。私の家も海の近くにあるため、学校に行くにしても、遊びに行くにしても、その前を必ず通らなければいけない。毎日のように必然的に目にするわけだ。生まれてから十六年経ったいまでは、あって当たり前の存在である。
その会社の外には、中身を取った貝殻は紐でまとめられ、大量に積み重なっている。それが外に置かれている光景は、特別なことではない。常にあるのだ。トラックなどで運送されるのを目にしたことはないが、溢れ返ったことが一度もないので、定期的にどこかへ運ばれているのだろう。
昔、家にいた親に聞いた話によると、大量に出る貝殻を廃棄処分するのではなく、リサイクルされている。どんな形でリサイクルされているかまでは知らないが、ホタテの貝殻が身近な物であったのは間違いない。
「ふわぁ~」
大きな欠伸をしながら、今日も学校から歩いて帰る途中、ホタテの会社の前を通る。毎日のように眠たい。欠伸をしすぎて目尻に涙が溜まる。
「あ」
普段と異なるのは、一つだけ道路に落ちているホタテの白い貝殻。
そのまま無視をしようかと思ったが、車に轢かれて粉々になるのはもったいない気がして、拾い上げる。遠くから、ただ見ていた以上に、それは大きかった。
「お~」
ホタテの貝殻は綺麗だった。特に内側が。私の目には真珠の色合いに見えた。このまま何かの飾りに使えるんじゃないかと思うくらいに。
「オイ。それ、欲しいのかよ」
突然、前から低い声が聞こえてくる。驚いて顔を上げると、額にタオルを巻き、Tシャツの袖を捲り上げている男がいた。私と同年齢くらいの幼さが残る男だった。
「いや、いりませんとも」
そう言って、彼に貝殻を差し出すが、男は受け取らない。この会社に勤める社員だろうか。磯の匂いが濃く、肌も黄金色。これぞ海の男と言いたくはなるが、そもそもこの会社にいる人達はおじさんやおばさんが多く、若い人が働いていると思っていなかった。意外だ。
「俺に渡されてもいらねーし」
「え? いやいや、私なんかが持ってても仕方がないんで。それにここの人なんでしょ?」
「あー、バイトだけどな」
「ふーん」
アルバイトさんだったのか。
そんふうに考えていたら、作業場のようなところから声が聞こえてきた。
「おーい! 都山(つやま)! どこ行った! サボってないで耳吊りの仕事しろ!」
「うわ、もうバレた」
厳しそうな男の声。都山と呼ばれた、目の前の男はあからさまに嫌な顔をした。そして、私のことを気にかけることもなく、そのまま会社の方へ走っていた。
「あの! ちょ! 待って! 貝殻は……あー……」
私の言葉は受け取ってもらえないまま、空の彼方へと飛んでいった。虚しい。
手に持つ貝殻を一瞥し、会社の建物の方へ置いた。もしかしたら社員が気づいて、どうにかするかもしれない。
私が綺麗な物を持つ資格なんてないのだから。用がなくなったゴミであっても。
静かに家へと向かった。
■ ■ ■
一週間後、またあの都山という男に出会った。同じ場所で、同じ時間に。
彼はタバコを吸い終わり、アスファルトに置いた灰皿に押しつけて、火を消す。道にはまだタバコの臭いが残っていた。前回出会った時はサボっていたし、成人していなさそうな顔でタバコを吸っていたなんて、彼はヤンキーか何かだろうか。あまり関わらない方がいいかもしれない。道の端を通って、できるだけ離れて通ろう。
彼は私に気づくと、躊躇せずに近づいてくる。青い手袋を付けた、もう一方の手に持っていた貝殻を見せてきた。いや、渡そうとしてきた。
「……えっと、何ですか」
無言で差し出されたそれを目にし、訝しむような視線を彼に移す。
「持って帰ってなかったから」
「いや、だから! いらないし!」
私、そんなに物欲しそうな顔していなかったはず。全力で否定したら、都山は非常に驚いた様子で私の顔を見ていた。
「はあ⁉︎ あんなに大事そうに持ってたのに?」
「持ってないし!」
「磨いてきたのになァ」
そう言ってしょげる。彼が持っているホタテの貝殻をよく見てみると、確かに前より色が鮮やかになって綺麗だ。
本当に磨いてきたんだ。
この人、バカなのかな。
あまり知らない人を悪く言うのはよくない。純粋と例えるべきなのか、段々目眩がしてきた。
「えー……」
「じゃあ、もういい。捨てる」
そう言って、身を翻す。
「待って! わかった! 貰う! 貰うから!」
思わず、私は彼のTシャツを掴んだ。
すると、少し面食らったように振り返った。そして、ニカッと笑った。「だろ!」
異性とこんな風に近くで接触する機会はない。
こんな間近で笑顔を見ることはない。
何か、恥ずかしい。
そう感じた瞬間、手を離した。
「やっぱ欲しかったんだろ? 素直にそう言えよ」
コイツはやはりバカだ。
バカ決定。
「まぁたサボりやがって都山!」
ドカドカと大股で近づいてくる中年の男は、緑色の紐の束を鞭のように掌に叩く。恐らく仕事で使うものなのだろう。
そして、津山の前にいる私に気づくと、慌てて笑顔を作った。
「もしかして都山の恋人かね? すまんね~大声出しちゃって。驚かせたでしょ~。声大きいからさ~」
いや、違いますから。彼女ではありません。
この人も都山と似たような匂いがする。
「彼女とかじゃないんで、お構いなく」
そう言って逃げようとすると、ガシッと掴まれる腕。ガッと振り向くと、都山がニコニコと笑っていた。その不気味さと言ったら、お化け屋敷か何かか。
「そうなんスよ、可愛いでしょ、俺の彼女」
ちょっと待て。何を言い出すんだ、この男は。
肩に腕を組まれ、逃げようにも逃げられない。
「待ってください。そもそも私の名前を知ら——」
「知ってるよ」
私の言葉に覆いかぶさってきた。彼は自信ある様子だった。落ち着いた声色で、言った。
「斎藤さんでしょ?」
「え」
「斉藤こよみちゃん」
何ですとオオオオ!
「な、何で知ってるんですか……何で、何で……」
「そりゃあ、彼女の名前を知っていてもおかしくないでしょ?」
いや、だから付き合ってないでしょ。
「こよみちゃんって言うのか~。コイツァ馬鹿だからさ、大変だろうけど、ご両親が亡くなっ」
「桑原さん」
低い声が腹の奥に響く。あまりにも鋭い口調に、私は体をビクッと震わせた。
「まだ話してないんかい。ちゃんと彼女には〝事情〟は話さねえと」
桑原さんが言いかけた話。都山の両親に何かあったようだが、本人はあまり触れて欲しくなさそう。でも、その眼には寂しさの色が見え隠れしていて、それを隠そうとするのは、人を信じていないという思い。何故か、そんな風に見えた。
笑顔の裏には、何が隠れているのだろう。
いつの間にか彼を見つめていたようで、都山は私に向かって笑顔を作った。それが本当に作られたもので、私は彼の胸に軽く頭突きをした。
「可愛くない」
「は?」
彼は拍子抜けした表情をした。
「全然可愛くない。辛いことは辛いって言葉として吐き出さなきゃダメじゃない」
気持ち、わかるよ。
「辛いとか、悲しいとか、溜め込んでたらダメなの、高校生の私でもわかる」
だって、私も——
「お父さんとお母さんが、突然消えるのは、いままでで一番辛かった。都山はいい大人なんだから、ちゃんと吐き出せなきゃダメだよ」
「いい大人って……」
困惑する彼を見上げる。睨みつけるように。
「周りに人がいるんだからちゃんと頼る! 一人で殻に閉じこもらない! 些細なことでもちゃんと口に出すこと。わかった?」
口をへの字にし、大真面目にアドバイスを送ったつもりだ。にも関わらず、都山は何度目かの瞬き後、急に吹き出し、笑い始めた。目尻に溜まった涙を拭う。
訳がわからず、「へぁ?」と声を漏らすと、桑原さんが私の頭に手を乗せた。
「ありがとうな。ハッキリ言ってくれて」
「いや、でも、都山、笑ってるし」
「照れ隠しって奴よ」
のほほんと桑原さんが微笑んでいると、都山は「ちげーわ!」と全力否定。そして、改まった彼は私を見た。
「いやいやいやいやーね。こよみちゃん?」
「……はい」
「俺さァ、まだ高校生なんだけど」
「はあ? タバコ吸ってたじゃん」
見たままを告げると、桑原さんの目つきが変わる。その変貌ぶりと来たら、まさしくアニメのようで、人ってこんなに一瞬で変われるのだなと感心する。
「てめっ……! あんだけタバコは吸うなって言っただろうが!」
「三日は禁煙した、三日は」
「この糞阿呆餓鬼が! 舐めた口聞いてんじゃねえ!」
三日坊主を晒す都山の尻に、クリーンヒットする桑原さんの蹴り。都山は尻を抱えるように両手を添えて、桑原さんから逃げ出した。
その惨めな姿を見ていたら、今度は私が笑えてきて。腹を抱えて笑い始めると、都山が鬼のような形相で「お前、チクんなよ!」と怒ってきた。
「未成年なのに吸う方が悪いんでしょ? 不良め」
「年上を呼び捨てするお前も不良娘だろ」
「年上? アンタ、何歳よ。つか、名前知ってるってことは同じ高校とか?」
「いや、それは違う。俺、高専だし」
「へ? 高専?」
私より頭が良いことが確定。偏差値、全然違う。
「じゃあ、何で名前知ってんの?」
不良より頭が悪いのは、気に食わない。膨れっ面で名前を知ってる謎を追求してみた。
すると、都山はズボンのポケットに手を突っ込み、ある物を取り出した。緑のカバーをされた、小さな手帳——
「生徒手帳」
ニヤリと彼は笑う。そして、その隣では桑原さんが頭を抱えるように長く溜息を吐いた。
「何で生徒手帳を持ってんの⁉︎」
制服のあらゆるポケットに手を突っ込んで探してみるが、見当たらない。どこにもない。なくなっていたことすら気付かなかった。
「この前、あのホタテの貝殻が落ちてた場所に、これが落ちてたんだよ」
「嘘……」
「嬢ちゃん、ごめんなぁ。コイツが大事なもん拾ってるって早くわかってれば返してやれたんだが」
桑原さんは頭を低くして謝ってくれた。
「面白そうだったから、いつ生徒手帳がないことに気づくか、試しに貝殻を置いてみた」
意味わかんねえっつーの。
やはり都山はバカだ。偏差値以外は。
「代わりに貝殻を置く意味がわかりません」
「まっ、俺の気分だから」
そう言って笑う。
遊ばれた気分だ。
「てなわけで、これ、返すわ」
「どうも」素直に生徒手帳を受け取った。
「じゃ、これからもよろしくな。彼女」
「はっ? まだその設定続くの?」
「だって周りの人を頼れって言ったの、こよみちゃんじゃん」
「待ってください。別に私を頼れって言ったわけじゃないんだし」
「責任とっ」
「責任はとれませんから」
明らかに、彼は責任をとってくれと言おうとしていた。それを見事に潰してやったことに満足する。
「彼女になってくれたら、タバコやめるわ」
あら、それは魅力的。
何て思うわけもなく。
すると、何故だか桑原さんが懇願するような目で、私の手を両手で握ってきた。
「斉藤さん、どうかお願いします。タバコだけはやめさせたい……!」
えーと思っていると、桑原さんは津山に聞こえないように耳打ちをしてきた。
「彼女〝役〟でいいんで、コイツの更生に付き合ってもらえませんか」
正直、そんなことを言われても困る。
私なんかより頭の良い学校に在籍しているにも関わらず、態度は不良。ご両親とは訳あり。気持ちはわかるが、私には荷が重い。
しかし——
「こよみちゃんの秘密、みんなにはバレたくないよね」
今度は、都山がコソッと耳元で呟いてきた。
その瞬間、背筋が凍る。頭の中で警報が鳴る。これはよくない前兆だ、と。
「水商売、よくないしね」
心臓をギュッと掴まれたような感覚がした。
両親が消えてから、夜の仕事で生活費を稼いでいる。その名刺を生徒手帳に間違って挟んでしまったのかもしれない。
これはかなりまずい。学校に連絡されたら、退学は間違いない。
唾を飲み込む。脅迫を受けている気分だ。
「学校にチクる気?」
キッと睨みつけるが、手応えはない。完全に遊ばれている。むしろニコッと笑っていた。
「それはこよみちゃん次第かな」
やられた。完全に完敗だ。何も言い返せない。こちらが握っているタバコという弱味よりも、水商売という汚れた仕事の方が脅迫に向いている。
込み上げてくる感情をグッと抑え付け、堪える。誰にも知られたくない秘密を、全く性格を知らない人に知られてしまったという焦りと、脅迫され、従うしかない怒りが、私自身を大きく揺さぶり、冷静さを失わせた。
「わ、わかりました」
そう答えるしかなかった。
こうやって、形の異なる貝殻のように、摩訶不思議なカップルが生まれた。
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