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勘違い男に理不尽
しおりを挟むあぁ。死んだ。
衝突まで数メートル。いつも見上げていた看板が眼前に迫るけどこんなにも大きかったんだな。
辺りがスローモーションのように見える中俺は呑気にそう思った。命が危険にさらされたときは時の流れが遅くなるって言うけど本当だった。
看板はまるで待ち構えていたかのようにスッと落ちてきたけれど、正直じっとしていれば死ななかったと思う。でも少し前を歩いていたおじさんを助けようとしたのが行けなかった。
おじさんはイヤホンを耳につけて歩きスマホをしていたため全く気づいていなくて、俺は助けられると思っておじさんに飛びつくと思いっきり外側に引っ張り投げた。
その結果どうなったと思う?
おじさんは少なくとも俺の倍はある胴回りをしていて、冷静に考えれば動くはずがなかったんだ。そして実際のところ力を込めた指先はおじさんの服と肉に食い込んで、妙な悲鳴は聞こえたものの、引っ張ったはずの俺が滑るように動いてしまい、その拍子に転がるように転倒した。
おじさんは尻餅をついて驚いた表情で見上げた。ようやく気が浮いたんだろう。
そして俺も同じように見上げて人生最後のスローモーションを楽しんで意識がぷつりと消えた。
「え?」
瞬きの間に目に映るものはガラリと変わっていて、俺は状況を理解できずに声を漏らした。
一面、白。ここが部屋であることもすぐには分からなかった。しかし何となく部屋の輪郭を捉えてここが室内であることを理解すると安堵が湧き上がった。
どうにか一命は取り留めたのだろう。手足とかに後遺症がなければいいのだけど。そう思いながら足や手を動かしていく。
あれだけの看板に潰されたというのに驚くほど怪我は見当たらない。それどころか服に汚れもない。
なにかおかしい。
病院ならさすがに服は着替えているんじゃないだろうか。というかベッドではなく床だった。ここは一体。
「はぁ、何をキョロキョロと。あなたのようなクズが何を気にしているんですか?」
声の方向に振り向く。
髪の色は見たことないくらいカラフルだが、顔も看板を飾っていたアイドルにも引けを取らない様な気がする。というか芸能人でドッキリか何かでは?
そんな疑問も湧くがそれよりも妙に不機嫌な様子が俺を萎縮させた。
とにかく起き上がり事情を聞こう。
「あ、あの、ここはどこでしょうか? 俺は会社に行かないと行けないのでドッキリならこの辺にしてもらえたらありがたいんですが」
「勝手にしゃべらないでくれますか」
冷たい彼女の声とともに手を軽く凪いだかと思うとボトリという音ともに床に何か落ちた。
視線を向けると人間の右腕のようであり、まるで本物化のようにドクドクと血が脈打ちながら放出されて床を染めていく。腕にはつい先月買ったばかりの腕時計。俺のだった。
「へ、あ?え……」
呆然と左手で右腕があった場所を探るが空を切る。痛みこそないものの自身の腕が切り落とされている。その事実は取り乱すのに十分すぎる理由だ。
絶望が身を襲い涙が自然と溢れてくる。声にならない叫び声を上げながらのたうち回っているとパチンと指を鳴らしたような音がして俺は気がつくとまた立ち上がっていた。
右腕は身体から離れることなくしっかりと接合されており、床は一面、白い。
次に彼女の声が再び聞こえた。
「私はクズと話す趣味はありませんので」
高圧的な態度だった。
ここが現実世界ではないことは重々に承知した。黙ってその場に立ち尽くしていると女性はあからさまに舌打ちをする。胃が痛くなる。
「ったく何で私がこんなクズの相手を。……あなたは死にました。今から地獄に落ちます。分かりましたね」
女性は蔑んだ目で俺を見る。一体何をしたというのだろう。
「返事の一つもできないんですか?」
「え、いや喋るなって」
「勝手に口を開かない!」
「は、はい!」
なんて無茶苦茶なんだ。
無言で手を挙げる。また腕を切り飛ばされないかとヒヤヒヤしたが彼女の首がかすかに動き、おそらく発言が許可された。
「あ、あの……は、発言よろしいでしょうか?」
仕方なく相手を刺激しないように下手に言った。それでも睨んでは来たがどうやら話し続けてもいいらしい。
「お、俺は看板が落ちてきて死んだんですよね? だとしてもどうして地獄に落ちるんでしょうか」
仮に彼女の言うことが真実だとして本当にあの看板で俺が死んでここは死後の世界ということならばそこはひとまず受け入れよう。だが、地獄に落ちるような悪行はした覚えがない。
もちろん清廉潔白で何一つやましいことはないかと聞かれれば違うが、それでも地獄に落ちるのに理由もないのは納得ができないものだ。
彼女はそんな俺の質問に軽蔑の目を向けている。
「あなたはいい歳してニートのこども部屋おじさんで、毎日両親を泣かせてるじゃない。働けと言われたら無駄にぶくぶく太ったでかい身体を武器に暴力を働く始末。しかもたまに外出したかと思えば買うのはエロゲー。それを結婚の顔合わせ中の妹に見られて逆ギレ。おかげで相手家族はドン引きで結婚は流れた。婚約解消に泣く妹に『そんな薄情なやつ別れて当然だな』なんて笑い飛ばしたあげく家を追い出されて、挙げ句に人生詰んだからJK襲ってやるって街を闊歩していたあなたの人生を強制終了させたのよ。そんなあなたが地獄に落ちるのに納得できないってわけ? ちゃんちゃらおかしくてへそで茶を沸かしちゃうわよ」
スパーンとチラ見せしていたお腹を自分で叩いた彼女は嘲笑うかのような表情を見せているが、残念ながら急にはしたない俳優さんに見えてきた。やっぱり実はカメラがどこかにあって、この女性も俺が名前を知らないだけで有名人なのかな。
どちらにせよ確かに、今言ったような男は地獄に落ちるべきだと思う。人生いいことだけじゃないけど両親を悲しませて、さらには妹も不幸にする。そして関係ないJKまで手に掛けようとするなんて裁かれて当然だ。
ところで
「えっと、それはどちら様でしょうか?」
少なくとも俺ではなかった。
「は? 何言ってるのよ。あなたに決まってるじゃない」
女性は白々しいとでも言わんばかりだ。
「でも、いい歳と言っても俺はまだ二十二歳ですし、こども部屋ではなく一人暮らしです。それに両親とは仲が良いし妹ではなく姉が一人と弟が一人です。ちょっと設定と噛み合わなすぎると思うのですが」
だから俺は指摘してやる。というかこれだけ食い違ってるんだわかると思うのだが。
俺の発言に女性は何もない空間から1枚の紙を表出させたかと思うとそれと俺を何度も見比べた。そして表情は回を重ねるごとに素早くそして険しいものへと変わっていく。
「あー……一応。確認なんだけど、その。あなたの名前は夏風桐男……であってるわよね?」
「いえ。俺は二支辰哉です」
「身長180センチ体重150キロでエロゲーが趣味とにーとよね?」
「いえ。身長174センチ体重65キロで釣りとキャンプが好きな会社員です」
何もかも違う。もはや合ってるのは性別くらいじゃないだろうか。そしてそれは確認すればするほど明らかであり、彼女の顔から明らかに焦燥感が溢れ出ていた。
「こ、この写真は?」
見せてくるのはどう見ても別人。というより目の前を歩いていたおじさんだった。あの人そんなにひどい人だったのか。
「もちろん別人ですね」
どうやらこの裁きが冤罪であるということがわかった俺は心が軽くなるのを感じながら、理不尽に切り飛ばされたはずの右腕を撫でながらそう答えた。
彼女は何とも言えない表情で俺を見つけたかと思うと片方の手のひらをを後頭部にあてて少し舌を出しながら言った。
「ごめん間違えちった」
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