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異世界の穴

651日目 想定外だ……

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 私が部屋を覆い尽くす程の巨大な賢者の石を目にして立ち竦んでいる間に、アスタールさんはペペッとサンダルを脱いでその辺に放り投げると、寝椅子状になっている部分にぺたぺたと歩いて行く。
部屋のほぼ中央に位置するそこは、ゆったりと横たわれるようにしているみたいだ。
広い筈の部屋は、その殆どが賢者の石に占領されていて人が居られる空間はベッド1台分位しかないから中央と言っても歩いて2~3歩位だけど。
閉所恐怖症にでもなりそうな部屋だなと思う。
賢者の石の触感は、水晶と酷似しているから長時間寝転がっていると体が痛くなりそうだけどアスタールさんは平気なんだろうか?
まぁ、魔法薬を使ってるのかもしれないか。

「なんで裸足になるんですか?」

 理由は分からないモノの、同じ様に履物を脱ぎながら、寝椅子に身を預けたアスタールさんに訊ねてみる。


あや。
今度は袖をまくってる。


「精神だけをあちらに送る時に、賢者の石との接触部分が多い方が都合がいいのだ。」

 返ってきた返答にそういうものなのかと頷きながら、寝椅子の傍らに近付くと床部分が変形して私用らしい椅子が形作られた。
これに座れと言う事らしいと、すとんとそこに腰を下ろすと目の前の壁に、やたらと精密な絵とともに見知らぬ記号で埋め尽くされたモノが映し出される。
映し出されるサイズは大きい物の、丁度箱庭を作る時に現れるモノとイメージが近い。

「これが……?」
「異世界の情報媒体の1種だ。」

 目の前のモノをじっと見つめて、その意味を推し量ろうと試みる。
おそらく文字だろうと思われる記号は流石に想像もつかなかったが、一緒に描かれている精密な絵から、少しは書かれている事が分かる様に思えた。
アスタールさんが何か操作をする毎に、増える情報を見ながら質問を投げかける。

「……これって、食べ物の作り方ですか?」
「うむ。是非食べたい。」
「……異世界の食べ物ですか……。」
「うむ。口に入れるとほろほろと融けていくのが面白い食物なのだ。」
「……ご自分で作ればいいじゃないですか。」
「自分で作ると何故か美味しくないのだ。」

 その後も、色々な絵を見せられながら説明が続いていったのだけど、ソレを聞いている内に なんとなく、何が原因で目標に届かないのかが見えた気がしてきた。
なんというかアスタールさんは、気が多すぎるらしい。
そりゃあ、現地の言葉の勉強は必要だろうとは思うけど、現地の俗語まで網羅する必要は無いんじゃないだろうか……。
最低限の会話だけ出来る程度に覚えたら、異世界への穴を広げる事に注力するべきだと思うのに、それ以外の些事に目を向けすぎているみたいだ。
そのせいで少しでも気になる物が出てくると、そっちに意識を持って行かれて一番したい筈の事から遠ざかっているに違いない。
 仕方がない。
まずは私が王都に行く事になる前に、アスタールさんが言っていた話の確認作業だ。

「アスタールさん。」
「何かね?」
「一番やりたい事はなんでしたっけ?」
「向こうの世界に行く事だが……。」
「で、あちらに永住するおつもりなんですよね?」
「うむ。」

 異世界に移住したいと言う気持ちは変わってないと。

「普段の会話の実践は?」
「まだ不明なものがあるにはあるが……。」
「概ね問題ないんですね?」
「上手だと褒められる。」
「それは、前におっしゃっていたあちらの世界にある『疑似世界』ってヤツで実践しての話ですか?」
「うむ。」

 異世界での会話も問題ないらしい。
ちなみに『疑似世界』というのは、アスタールさんが言うには私達の作る『箱庭』に類似した代物で、あちらでは『ブイアールゲーム』とかいうらしい。
その『ブイアールゲーム』には、精神体だけで入り込む事が出来るから、そこで異世界に居住している恋人さんにあっているんだそうだ。
多分、さっき写していた食べ物もそこで食べたんじゃないかな?
ご飯が色々食べられて楽しいと言ってた事があったし。

「あちらの生活様式は?」
「然程、ここと変わらない雰囲気の様な気がする。」
「いきなりふんわりとしましたね……。」

 まぁ、これはあっちに行ったらなんとかするしかないだろうし気にしないで良いか。

「今は何を勉強してるんですか?」
「あちらで生計を立てる為の技術の学習を……。」
「……技術の勉強をしても役に立つとは思えませんが。」
「役に立たないかね?」
「イニティ王国でだって、身元が不確かな人間が出来る仕事なんて肉体労働ぐらいです。異世界がどんな環境かは分かりませんけれど、今見せて貰った絵を見る限りだと多少の技術を付け焼刃で身に付けたところで役に立つとは思えませんね。」

 アスタールさんが異世界に移住するとしたら、どう考えても身元を証明する物がある訳がない。
というか、あるのは不自然だと思う。
もしかしたら、実力主義で身元なんて気にもしないという可能性もあるかもしれないけど、そういう確率は低いと思うんだよね……。
衝撃を受けた様子のアスタールさんを見て、私は深々とため息を着いた。


そうか……。
アスタールさんってば、箱入りのお坊ちゃまだった。


 そうでなくても、グラムナードなんて言う特殊な町の中から成人してからも、殆ど出る事もなく生きてきた人だ。きっと、身元を保証してくれる後ろ盾のあるなしなんて考えた事もないだろう。
逆に、だからこそ私みたいな孤児を何の躊躇いもなく懐に入れたとも言える。
その後に採った弟妹弟子たちも同じ事だなと、今更ながら気が付く。
そうか……、全てはこの人が世間知らずだったから起こった事だったのか。


さて、どうしたものか。


「……そうですね。まずは、アスタールさんが明日から異世界に行けたとして、身元を証明する為の何かが必要なのか、必要な場合どうやれば入手できるのか。アスタールさんが就けるような仕事があるのかどうか。最低それ位は調べて下さい。」
「……昼までには調べておく。」

 また、昼食後に話し合う事にして私はその部屋を後にした。
十中八九、アスタールさんがあちらに行ったところで生活する事は不可能だろうなとは想像が付くから、何か他に彼の希望を叶える手が無いかを考えておかないと。
ああ、そういえば。
アスラーダさんにこの事を話すよって、いつ話題に出せばいいだろう?
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