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まさか初デートなんて
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しおりを挟む――自分が溜息を吐いて、やっと時間の流れが戻ってくる。
あの後、なにをしてどんな風に別れ、家へ帰ってきたのか。過程がぼんやりしている。
既に窓の外は暗くなり始めていた。
夕方になる前に別れてはいたらしい。
(ランチ……は食べた。パスタ……)
おいしかったと思うし、会話も弾んでいた――と思う。
まるで他人事のようにしか思い出せないのは、あの豊さんに忘れられない人がいると知ったせい。
(恋人だって誤解されたら困るのは、単純にそういう相手がいらないからじゃない。もう好きな人がいるから好きになれないよって意味だったんだ)
のろのろとソファから立ち上がり、部屋の電気をつけに行く。
カーテンを閉めたところで心が折れた。
(楽しいデートにしたかったのになぁ……)
最初で最後だろうからと期待した時間は、思いがけない傷を私に与えた。
別れが辛くなるどころの騒ぎではない。
これでは別れた後にも一切チャンスがないことになる。
立ち尽くしたまま顔を覆った。
涙は出てこないけれど、うまく息ができない。
ゆっくりゆっくり深呼吸して今日のことを振り返る。
私はずっと想像していない形での失恋にショックを受けていた。今まで通りを演じているつもりだったけれど、「疲れたのか」と心配された気がする。
どちらにせよやることが決まっていなかったこともあって、陽が暮れる前にデートを切り上げた。
一人で大丈夫だと逃げるように帰宅し、そして。
(こんなの……予想できないでしょ……)
テーブルの上に置かれたままの服をタンスにしまいに行く元気もない。
ふらふらしながら再びソファへ戻ると、座ったタイミングで携帯が震えた。
見ると、メールが一件。
――今日はありがとう、楽しかった。
あの人にしては感情のこもった一文が、届いてほしくないときに届いてしまう。
(……ひどい)
見ない振りをするしかできなかった。
楽しかった、なんて聞きたくない。
私は誰かに縛られている人に縛られてしまっていたのだ。
どうしてそんな相手と三ヶ月の契約なんて引き受けたのか。何度も思い続けてきたそれをどんなに悔やもうと過去は戻らない。
出会ったことを喜んでは悲しみ、また喜び、そして突き落とされる。
これがたった二ヶ月と少しの間に起きているのだから、いっそ笑えてくる。
再び携帯が震えた。
今度は空気の読めない着信音とともに。
(……声なんて聞きたくない)
楽しかったけど、楽しくなかった。
撮影のための時間ではなく、デートと言ってくれたのが本当に嬉しかった。
服を似合うと言ってくれたのも、他では褒めたことがないと言ってくれたのも。
手を繋いでくれた。過去の話を聞かせてくれた。笑ってくれた。大切な時間をくれた。
けれど、私が望まれているのは最初から最後まで『偽物の恋人』でしかない。
(どうして忘れていたの)
あの人が必要としていたのは『恋人というモデル』。
携帯はまだ震えている。
なぜ出ないんだと向こうで文句を言っている気がした。
それも私が無視を続けていると止む。
そうしてなんの音もしなくなった。
それにほっとしたとき、再び通知が入る。
――また誘ってもいいか。
「……っ」
頑張って我慢していたのに、もう無理だった。
ぼろぼろあふれた涙が頬を伝って落ちていく。
たったそれだけのことを話すために電話したのだと思うと、たまらなかった。
「っ……誘わない、で」
返事をしない代わりに嗚咽を漏らす。
(これ以上、あなたに縛られたくない……)
もう、携帯は鳴らなかった。
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