婚約破棄を受け入れる!だってヒロイン様が、怖すぎる

ちゅんりー

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「……着きました。ここが、私の領地の最北端に位置する『牙の森』の別邸です」


アルベルト様が馬車の扉を開けると、そこには視界を遮るほどの濃い霧が立ち込めていた。


湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつく。数メートル先も見えないような、陰鬱で、静まり返った場所だ。


私は馬車から降り、地面を踏みしめた。


「……いいわ。最高だわ。このジメジメした感じ、暗い雰囲気、そして何より『誰もいなさそう』なこの空気感!」


私は歓喜に震えた。


これよ、これこそが私の求めていたシェルターよ!


「……素晴らしい。普通、令嬢ならばこのような辺境の古びた屋敷を見れば、嘆き悲しむもの。ですがターリア様は違う。逆境を愛し、不便さを力に変えようとしている」


アルベルト様が背後で、熱っぽい視線を送ってくる。


「……あ、ええ。そうよ。豪華なベッドなんて、戦士には不要だもの(翻訳:目立つ場所に寝ていたら首を獲られるわ)」


「さすがです。この屋敷は、古の時代に要塞として使われていたものを改装したものです。壁の厚さは一メートル以上、地下道も完備しています」


要塞! 素晴らしい響きだわ。


私は屋敷の中に入ると、まずは窓という窓を確認して回った。


「アルベルト様。この窓、もっと頑丈な鉄格子とか付けられないかしら? あと、外側に落とし穴とか、触れたら鳴る鐘とか、そういうのを大量に設置してほしいの」


「……なるほど。敵を迎え撃つための罠ですね。しかも、単なる防御ではなく、相手の心理を削るための緻密な配置……。承知しました。我が私兵たちに命じ、完璧なキルゾーンを構築させましょう」


「キルゾーンなんて物騒なものじゃなくて、ただの『防犯』なんだけど……まあ、いいわ」


私は屋敷の奥へと進み、最も日当たりの悪い、窓の小さい部屋を選んだ。


「私はここで寝るわ。一番奥の、逃げ道が確保しやすい場所がいいから」


「……身を隠し、反撃の機を伺うための隠れ家ですね。感服しました。貴女ほどの軍略家が、なぜあのような小国で悪役などと呼ばれていたのか、不思議でなりません」


(……軍略家じゃないわよ。ただのビビりよ)


荷解きを終えたハンスが、心配そうに私に歩み寄ってきた。


「お嬢様……。本当にここで暮らすのですか? 魔物の鳴き声も聞こえますし、何より幽霊が出そうですだ」


「ハンス、幽霊なんて怖くないわよ。幽霊は物理でドアノブを引きちぎったりしないでしょ? 馬車と並走して追いかけてこないでしょ?」


「それは……まあ、そうですな」


「だったらここが天国よ。さあ、ハンスも休んで。明日は周囲のトラップ作りを手伝ってもらうわよ」


私は部屋に籠もり、ようやく一息ついた。


アルベルト様が用意してくれたハーブティーを一口飲む。


霧の音。風が木々を揺らす音。


それ以外は何もない。


(……ふふ。これでもう大丈夫。あのフローラ様だって、地図にも載っていないようなこの森の中までは……)


パキッ。


庭の方で、枝が折れるような音がした。


私はティーカップを放り出し、床に伏せた。


「……ひっ!?」


「どうされました、ターリア様!」


アルベルト様が、剣を抜いて部屋に飛び込んできた。


「な、何かいたわ! 外よ! 霧の中に、誰かいる!」


私はアルベルト様の足にしがみつきながら、窓の外を指差した。


アルベルト様は鋭い視線を霧の向こうへと向ける。


「……なにも見えませんが。……待てよ。まさか貴女は、この濃霧の中に潜む、僅かな殺気を感知したというのですか?」


「さ、殺気っていうか……なんか、『お姉様ぁ』っていう幻聴が聞こえた気がして……」


「……! 私が気づかぬほどの遠距離からのプレッシャーを……。なんと鋭敏な感覚だ。私はまだまだ修行が足りないようだ」


アルベルト様は深く反省したように、窓を力一杯閉めた。


「安心してください。外には私の精鋭部隊が二十四時間体制で張り付いています。ネズミ一匹通しません」


「……ありがとう。本当に、頼りにしてるわよ。アルベルト様」


私は彼の逞しい背中を見て、少しだけ安心した。


彼は、あの王子様とは違う。私の話を(盛大に勘違いしてはいるけれど)聞いてくれるし、何より実力がある。


これなら、しばらくは平和な夜を過ごせそうだ。


私はベッドに潜り込み、深く、深い眠りに落ちていった。


……しかし、その頃。


『牙の森』の入り口では、アルベルト自慢の「精鋭部隊」たちが、未曾有の事態に直面していた。


「……おい、何か来るぞ」


「魔物か? いや、あれは――」


霧の中から、ゆらりと現れたのは。


泥だらけになりながらも、相変わらず花が咲いたような笑顔を浮かべ、両手に「巨大な猪(この森の主)」を担いだピンク色の髪の少女だった。


「ごめんくださぁーい。お姉様に、新鮮なジビエをお届けに来ましたのぉ」


「な……!? 止まれ! ここはアルベルト・グランツ卿の私領……」


ドゴォォォォォン!!


「あ、いけませんわ。お腹が空いていたから、つい力が入っちゃいました」


少女が軽く一歩踏み出しただけで、森の地面に巨大なクレーターが穿たれた。


精鋭たちが、言葉を失って立ち尽くす。


「ねえ、お姉様はどちらにいらっしゃいます? 早く会わないと、私……『寂しくて死んじゃう』んですもの」


彼女の瞳が、暗闇の中でアメジスト色に怪しく光った。


牙の森の霧は、彼女にとっては単なる「演出」に過ぎなかったのだ。
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