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辺境の生活が始まって三日。
私は、少しでも「普通の人間」としてこの地に馴染むため、アルベルト様と一緒に麓の村まで買い物にやってきていた。
「……いい、ハンス。今日の目標は『笑顔でパンを買う』ことよ。これさえできれば、私は一歩、平穏な生活に近づけるわ」
私は村の広場で、自分に言い聞かせるように拳を握った。
「お嬢様、顔が強張っていますだ。今の顔、獲物を狙う鷹みたいですぞ」
「失礼ね、これでも精一杯のスマイルを作っているつもりよ!」
私は引きつった頬の筋肉を無理やり持ち上げ、パン屋の屋台へと歩み寄った。
「……そこの店主。このパンを……一つ、貰おうかしら」
店主の男は、私の顔を見た瞬間に、手に持っていたトングをガシャンと落とした。
「ひ、ひぃっ……! あ、あぁ……ど、どうぞ! 好きなだけ持っていってください! お金はいりません! だから、村を焼くのだけは勘弁してください!」
店主が、震えながらパンの山を私に差し出してきた。
「……は?」
私は呆然とした。なぜパンを買おうとしただけで、村の存亡を懸けた交渉になってしまうのか。
「違うわ、お金は払うわよ。私はただ、美味しいパンを食べたいだけで……」
「滅相もございません! 命を助けていただけるなら、小麦の在庫すべて差し上げます!」
店主は床に膝をつき、必死に命乞いを始めた。
周囲の村人たちも、遠巻きに私を見ながら「あれが噂の……」「暗殺ギルドの元締めか?」とヒソヒソと囁き合っている。
(……どうしてこうなるのよ!)
私は絶望に打ちひしがれ、差し出されたパンを力なく受け取った。
すると、後ろで見守っていたアルベルト様が、感動したように私の肩に手を置いた。
「……素晴らしい。さすがはターリア様だ」
「……何がよ、アルベルト様」
「言葉を介さずとも、その圧倒的な風格だけで民を従わせる。本来、支配者とはかくあるべきです。媚を売らず、ただ存在することで秩序をもたらす……。まさに帝王の器だ」
「パンを買っただけよ! それも、カツアゲしたみたいになっちゃってるじゃない!」
私が叫ぶと、周囲の村人たちが一斉に「ヒィッ!」と飛び退いた。
「……もう嫌だ。家へ帰るわ……」
私が肩を落として歩き出した時。
村の入り口の方から、一人の若い男がこちらへ走ってきた。
「あ、あの! そこのお姉さん!」
彼は、この村の自警団の一員らしい。血気盛んな若者といった風情で、私の前に立ちふさがった。
「さっきから見てたけど、あんた、ちょっと目つきが悪すぎるんじゃないか? この村で騒ぎを起こす気なら、俺が黙っちゃいないぜ!」
(……あ、これ、普通の反応だわ。ちょっと嬉しい)
私が少しだけ安心していると、アルベルト様が冷徹な声で一歩前に出た。
「貴様、我が国の貴賓に対して無礼だぞ。道をあけろ」
「な、なんだあんたは! 騎士様か何か知らないが、俺たちはこの村を守る義務があるんだ!」
男が私の顔を覗き込もうと顔を近づけてきた。
その瞬間、私は彼の背後に「何か」を見てしまった。
村の入り口にある大きな木の影。
そこから、ゆらりと現れた――ピンク色のリボンをつけた、巨大な猪の頭。
いや、猪ではない。猪を担いだ「何か」だ。
「……ひっ!?」
私は恐怖のあまり、目の前の男の胸ぐらをガシッと掴んでしまった。
「な、なんだ!? やるのか!?」
「逃げて……! 今すぐ逃げてぇ!!」
私は男の胸ぐらを掴んだまま、全力で揺さぶった。
「……えっ?」
「来るわ! もうそこまで来てる! あの女の……フローラ様の毒気が、この村を包囲してるわ!」
私はガタガタと震えながら、男の顔を睨みつけた(本人は必死の形相のつもり)。
「お、おい……。あんた、急に何を……」
「いいから逃げろって言ってるのよぉおおお! 私の視界から消えて! 巻き込まれたくなかったら全速力で走りなさい!」
私は男を力いっぱい突き飛ばした。
男は尻餅をつき、私のあまりの気迫(恐怖)に、顔を真っ青にして脱兎のごとく逃げ出した。
「……ふふ。ターリア様」
アルベルト様が、またしても慈愛に満ちた瞳で私を見ていた。
「今の振る舞い……感服しました」
「……何が?」
「あえて乱暴な口調で彼を追い払い、迫りくる危機から遠ざけたのですね。自分一人が標的になることで、この村を救おうとするその自己犠牲の精神……。これこそが、真の騎士道というものです」
「……いや、私はただ、邪魔な人をどかしただけで……」
「隠さずとも結構。その震えは、迫りくる強敵への昂ぶり……。私にも伝わってきます。さあ、ターリア様。屋敷へ戻りましょう。防衛線を再構築します!」
アルベルト様は私を抱きかかえるようにして、馬車へと急いだ。
私は馬車の窓から、もう一度村の入り口を振り返った。
そこには、もう誰もいなかった。
ただ、私がさっきまで立っていた地面に――。
可愛らしいピンク色の百合の花が、一輪だけ。
地面に深々と突き刺さっていた。
まるで「見つけたわよ」というメッセージのように。
「……ヒッ、ヒギィ……ッ!!」
私は馬車の床で、虫のように丸まった。
アルベルト様が隣で「おお、戦意が極限まで高まっている……!」と呟いていたが、もはや訂正する気力すら残っていなかった。
私は、少しでも「普通の人間」としてこの地に馴染むため、アルベルト様と一緒に麓の村まで買い物にやってきていた。
「……いい、ハンス。今日の目標は『笑顔でパンを買う』ことよ。これさえできれば、私は一歩、平穏な生活に近づけるわ」
私は村の広場で、自分に言い聞かせるように拳を握った。
「お嬢様、顔が強張っていますだ。今の顔、獲物を狙う鷹みたいですぞ」
「失礼ね、これでも精一杯のスマイルを作っているつもりよ!」
私は引きつった頬の筋肉を無理やり持ち上げ、パン屋の屋台へと歩み寄った。
「……そこの店主。このパンを……一つ、貰おうかしら」
店主の男は、私の顔を見た瞬間に、手に持っていたトングをガシャンと落とした。
「ひ、ひぃっ……! あ、あぁ……ど、どうぞ! 好きなだけ持っていってください! お金はいりません! だから、村を焼くのだけは勘弁してください!」
店主が、震えながらパンの山を私に差し出してきた。
「……は?」
私は呆然とした。なぜパンを買おうとしただけで、村の存亡を懸けた交渉になってしまうのか。
「違うわ、お金は払うわよ。私はただ、美味しいパンを食べたいだけで……」
「滅相もございません! 命を助けていただけるなら、小麦の在庫すべて差し上げます!」
店主は床に膝をつき、必死に命乞いを始めた。
周囲の村人たちも、遠巻きに私を見ながら「あれが噂の……」「暗殺ギルドの元締めか?」とヒソヒソと囁き合っている。
(……どうしてこうなるのよ!)
私は絶望に打ちひしがれ、差し出されたパンを力なく受け取った。
すると、後ろで見守っていたアルベルト様が、感動したように私の肩に手を置いた。
「……素晴らしい。さすがはターリア様だ」
「……何がよ、アルベルト様」
「言葉を介さずとも、その圧倒的な風格だけで民を従わせる。本来、支配者とはかくあるべきです。媚を売らず、ただ存在することで秩序をもたらす……。まさに帝王の器だ」
「パンを買っただけよ! それも、カツアゲしたみたいになっちゃってるじゃない!」
私が叫ぶと、周囲の村人たちが一斉に「ヒィッ!」と飛び退いた。
「……もう嫌だ。家へ帰るわ……」
私が肩を落として歩き出した時。
村の入り口の方から、一人の若い男がこちらへ走ってきた。
「あ、あの! そこのお姉さん!」
彼は、この村の自警団の一員らしい。血気盛んな若者といった風情で、私の前に立ちふさがった。
「さっきから見てたけど、あんた、ちょっと目つきが悪すぎるんじゃないか? この村で騒ぎを起こす気なら、俺が黙っちゃいないぜ!」
(……あ、これ、普通の反応だわ。ちょっと嬉しい)
私が少しだけ安心していると、アルベルト様が冷徹な声で一歩前に出た。
「貴様、我が国の貴賓に対して無礼だぞ。道をあけろ」
「な、なんだあんたは! 騎士様か何か知らないが、俺たちはこの村を守る義務があるんだ!」
男が私の顔を覗き込もうと顔を近づけてきた。
その瞬間、私は彼の背後に「何か」を見てしまった。
村の入り口にある大きな木の影。
そこから、ゆらりと現れた――ピンク色のリボンをつけた、巨大な猪の頭。
いや、猪ではない。猪を担いだ「何か」だ。
「……ひっ!?」
私は恐怖のあまり、目の前の男の胸ぐらをガシッと掴んでしまった。
「な、なんだ!? やるのか!?」
「逃げて……! 今すぐ逃げてぇ!!」
私は男の胸ぐらを掴んだまま、全力で揺さぶった。
「……えっ?」
「来るわ! もうそこまで来てる! あの女の……フローラ様の毒気が、この村を包囲してるわ!」
私はガタガタと震えながら、男の顔を睨みつけた(本人は必死の形相のつもり)。
「お、おい……。あんた、急に何を……」
「いいから逃げろって言ってるのよぉおおお! 私の視界から消えて! 巻き込まれたくなかったら全速力で走りなさい!」
私は男を力いっぱい突き飛ばした。
男は尻餅をつき、私のあまりの気迫(恐怖)に、顔を真っ青にして脱兎のごとく逃げ出した。
「……ふふ。ターリア様」
アルベルト様が、またしても慈愛に満ちた瞳で私を見ていた。
「今の振る舞い……感服しました」
「……何が?」
「あえて乱暴な口調で彼を追い払い、迫りくる危機から遠ざけたのですね。自分一人が標的になることで、この村を救おうとするその自己犠牲の精神……。これこそが、真の騎士道というものです」
「……いや、私はただ、邪魔な人をどかしただけで……」
「隠さずとも結構。その震えは、迫りくる強敵への昂ぶり……。私にも伝わってきます。さあ、ターリア様。屋敷へ戻りましょう。防衛線を再構築します!」
アルベルト様は私を抱きかかえるようにして、馬車へと急いだ。
私は馬車の窓から、もう一度村の入り口を振り返った。
そこには、もう誰もいなかった。
ただ、私がさっきまで立っていた地面に――。
可愛らしいピンク色の百合の花が、一輪だけ。
地面に深々と突き刺さっていた。
まるで「見つけたわよ」というメッセージのように。
「……ヒッ、ヒギィ……ッ!!」
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