婚約破棄を受け入れる!だってヒロイン様が、怖すぎる

ちゅんりー

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「……お、お姉様ぁ。そんなに怯えて、どうなさいましたの?」


月明かりに照らされた、無残に剥がされた馬車の屋根。


その縁に腰掛け、フローラ様が首を傾げて私を見つめていた。


彼女の背後には満月。風にたなびくピンク色の髪。……まるで神話の女神のような美しさだ。


だが、私にとっては、地獄の門番が「お迎え」に来たようにしか見えなかった。


「……お、降りなさいよ。今すぐそこから降りて、どこか遠く……そうね、地球の裏側くらいまで散歩に行ってきなさいよ!」


私はアルベルト様の背中にしがみつき、裏返った声で叫んだ。


「あらぁ。せっかくお姉様を助けに来ましたのに。こんな壊れた馬車の中にいたら、風邪を引いてしまいますわ」


フローラ様は、ふわ、と重力を無視したような動きで車内に舞い降りた。


「止まれ! それ以上、彼女に近づくな!」


アルベルト様が、至近距離から剣を突きつける。


だが、フローラ様はその剣先を、人差し指一本で「チッチッチ」と横に払った。


キンッ、という重い音がして、アルベルト様の腕が大きく弾かれる。


「騎士様。お邪魔をしないでくださる? 私とお姉様は、これから水入らずでお話しをするのですから」


「……貴様、それでも聖女か! この暴力、この威圧感……魔王の間違いではないのか!」


アルベルト様が、冷や汗を流しながらも再び構え直す。


「暴力だなんて心外ですわ。私はただ、お姉様への『愛』が、ちょっとだけ物理的な形になって溢れ出ているだけですもの」


フローラ様は、うふふ、と微笑みながら、私の頬に手を伸ばそうとした。


「ひっ、ひぎぃいいいい!! 来ないでぇ! その『愛(握力)』で私の顔を握り潰すつもりでしょぉおお!!」


私は座席の隅っこに頭を突っ込み、全力で拒絶した。


「お姉様ったら、照れ屋さんですねぇ。……あ、そうだわ。いいことを思いつきましたの」


フローラ様が、ポンと手を叩いた。


「お姉様。この騎士様が邪魔なら、私が『遠く』へ飛ばして差し上げましょうか? 空の彼方なら、きっとお姉様の邪魔は入りませんわ」


「……え? 遠くって、どこ……?」


「そうですわねぇ。お隣の国くらいまでなら、片手でポイッといけると思いますの」


(……物理的に飛ばす気だわ、この子。アルベルト様が流れ星になっちゃう!)


「やめて! アルベルト様を投げないで! 彼は私の……私の、大事な、その、防波堤なんだから!!」


「……防波堤。なるほど、私とお姉様を隔てる壁、というわけですね?」


フローラ様の瞳の奥から、スッと光が消えた。


「……なら、壊さなくては」


「ターリア様、危ない!!」


アルベルト様が私を抱き寄せ、車外へと飛び出した。


その直後。


ドォォォォォン!!


という爆音と共に、さっきまで私たちがいた馬車が、文字通り「木っ端微塵」に粉砕された。


フローラ様が、軽く踏み込んだだけだ。ただそれだけで、頑丈なはずの特注馬車が、マッチ箱のように弾け飛んだのだ。


「……あ、あはは。馬車が、木材のチップになっちゃった……」


私は、アルベルト様の腕の中で、乾いた笑いを漏らすしかなかった。


「お姉様。外は寒いですわよ? さあ、私の胸の中へいらっしゃいな」


煙の中から、無傷のフローラ様がゆっくりと歩いてくる。


彼女の足元では、地面がひび割れ、草木が恐怖に震えるようにざわついている。


「……っ。ターリア様、走れますか」


アルベルト様が、低い声で私に耳打ちした。


「……足が笑っちゃって、生まれたての小鹿みたいになってるけど……頑張るわ」


「私が時間を稼ぎます。貴女は、あそこに見える森の中へ。……いいですね?」


「……アルベルト様、死なないでね。絶対に死なないで。あなたが死んだら、私、本当に地下室行きなんだから!」


「……ええ。貴女の自由のためなら、悪魔とも戦ってみせましょう」


アルベルト様が、全身から青白い闘気を放ち、フローラ様の前に立ちふさがった。


「……行け!!」


その叫びを合図に、私は転がるように走り出した。


背後で、剣とパラソルがぶつかり合う、この世のものとは思えない激しい音が響き渡る。


「お姉様ぁ! 鬼ごっこですのね! 大好きですわぁあああ!!」


フローラ様の歓喜の叫びが、夜の森にこだまする。


私は、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、真っ暗な森の奥へと突き進んだ。


(助けてぇ! 誰か助けてぇええ! もう悪役令嬢なんて辞めるから、普通の村娘Aとしてひっそり死なせてぇええ!!)


私の全力の逃走劇は、まだ始まったばかりだった。
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