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「ふははは! 実に見事な朝だ! 忌々しいエーリカがいなくなって、空気がこれほどまでにおいしいとは!」
昨夜の婚約破棄パーティーから一夜明け、第一王子ジュリアンは意気揚々と執務室の扉を蹴破るようにして開けた。
隣には、ふわふわとしたドレスを纏ったリリアーヌが、花のように微笑んで寄り添っている。
「本当に素敵ですわ、ジュリアン様。今日からは、あの恐ろしいエーリカ様に怯えることなく、二人で愛を語り合えますのね」
「あぁ、もちろんだとも。さて、まずは形だけでも仕事を片付けてしまうか。リリアーヌ、君はそこで私のかっこいい姿を見ていなさい」
ジュリアンが自信満々に執務机へと歩み寄る。
しかし、その足がピタリと止まった。
そこにあったのは、もはや机とは呼べない代物だった。
天板が見えないほどに積み上げられた書類の塔。それも一つや二つではない。十数個の巨大な紙の塔が、執務室を埋め尽くしていたのだ。
「……なんだ、これは」
「殿下! お待ちしておりましたぞ!」
部屋の隅から、目の下にどす黒い隈を作った筆頭書記官が飛び出してきた。
彼の髪はボサボサで、眼鏡は斜めに歪んでいる。
「これらはすべて、エーリカ様が『返品』として置いていかれた案件です! まずはこの赤い表紙の束。これは今朝の十時までに決済を終えないと、西の街道の橋の補修工事が止まり、物流が死にます!」
「じゅ、十時だと? 今はもう九時半だぞ! そんなもの、判子を一つ押せば終わりだろう?」
ジュリアンが一番上の書類を手に取る。
そこには、三つの隣接する領地の利害関係と、資材の調達価格の変動グラフ、そして魔法工学に基づいた耐久指数が、びっしりと細かい文字で書き込まれていた。
「……読めん。何が書いてあるのか、さっぱり読めんぞ!」
「当たり前です! それはエーリカ様が三つの省庁と一ヶ月かけて交渉し、最適解を導き出した最終案なのですから! 内容を理解するだけでも、普通なら三日はかかります!」
ジュリアンの手がプルプルと震え始める。
そんな彼を励ますように、リリアーヌが横から書類を覗き込んだ。
「まぁ、難しい字がいっぱいですわね。ジュリアン様、こんなの適当に可愛いお花のスタンプでも押しておけばよろしいのではないかしら?」
「お、お花のスタンプだと? リリアーヌ、それは名案だ! よし、書記官、今すぐ花のスタンプを持ってこい!」
「できるわけがないでしょうが! そんなことをしたら国庫から金が消え、橋の代わりに花畑が建ちますよ!」
書記官の絶叫が執務室に響き渡る。
しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった。
「殿下、次はこちらの青い表紙の束を! これは来週の予算割り当てですが、エーリカ様の『検算』がないため、計算がまったく合いません! どこの部署も『エーリカ様がいないなら予算を上乗せしろ』と暴動寸前です!」
「なぜ私にそれを言う! 私が王子だぞ! 黙って従わせればいいだろう!」
「無理に決まっているでしょう! 皆さん、エーリカ様の正確無比な数字に平伏していただけなのですから! 殿下の『なんとかなるだろう』という精神論では、誰も財布の紐を緩めません!」
ジュリアンは机の上に突っ伏した。
昨日までの万能感はどこへやら、今の彼は荒波に放り出された仔犬のように震えている。
「あ、あの、ジュリアン様ぁ……。お腹が空いてしまいましたわ。お仕事なんて放っておいて、テラスでティータイムにいたしましょう?」
リリアーヌが袖を引くが、今のジュリアンにはそれに答える余裕すらない。
彼はふと、エーリカが去り際に言った言葉を思い出した。
『愛があれば、算術ができなくてもなんとかなりますよ、多分』
「……あの女、これを分かっていて……!」
「殿下! 大変です! 隣国の辺境伯、クラウス・ハインリヒ閣下が、ものすごい勢いでこちらに向かっております!」
新たな報告に、ジュリアンの顔が土気色になった。
クラウス・ハインリヒ。若き英雄であり、その冷徹さと武力で知られる隣国の虎だ。
「な、なぜあやつがここへ来るのだ! 今は外交の予定などないはずだぞ!」
「分かりません! ただ、『大切な恩人を侮辱した愚か者の面を拝みに来た』と仰っているそうで!」
執務室の温度が数度下がったかのような錯覚。
ジュリアンは、自分がとんでもない地雷を踏み抜いたのではないかと、今更ながらに気づき始めていた。
昨夜の婚約破棄パーティーから一夜明け、第一王子ジュリアンは意気揚々と執務室の扉を蹴破るようにして開けた。
隣には、ふわふわとしたドレスを纏ったリリアーヌが、花のように微笑んで寄り添っている。
「本当に素敵ですわ、ジュリアン様。今日からは、あの恐ろしいエーリカ様に怯えることなく、二人で愛を語り合えますのね」
「あぁ、もちろんだとも。さて、まずは形だけでも仕事を片付けてしまうか。リリアーヌ、君はそこで私のかっこいい姿を見ていなさい」
ジュリアンが自信満々に執務机へと歩み寄る。
しかし、その足がピタリと止まった。
そこにあったのは、もはや机とは呼べない代物だった。
天板が見えないほどに積み上げられた書類の塔。それも一つや二つではない。十数個の巨大な紙の塔が、執務室を埋め尽くしていたのだ。
「……なんだ、これは」
「殿下! お待ちしておりましたぞ!」
部屋の隅から、目の下にどす黒い隈を作った筆頭書記官が飛び出してきた。
彼の髪はボサボサで、眼鏡は斜めに歪んでいる。
「これらはすべて、エーリカ様が『返品』として置いていかれた案件です! まずはこの赤い表紙の束。これは今朝の十時までに決済を終えないと、西の街道の橋の補修工事が止まり、物流が死にます!」
「じゅ、十時だと? 今はもう九時半だぞ! そんなもの、判子を一つ押せば終わりだろう?」
ジュリアンが一番上の書類を手に取る。
そこには、三つの隣接する領地の利害関係と、資材の調達価格の変動グラフ、そして魔法工学に基づいた耐久指数が、びっしりと細かい文字で書き込まれていた。
「……読めん。何が書いてあるのか、さっぱり読めんぞ!」
「当たり前です! それはエーリカ様が三つの省庁と一ヶ月かけて交渉し、最適解を導き出した最終案なのですから! 内容を理解するだけでも、普通なら三日はかかります!」
ジュリアンの手がプルプルと震え始める。
そんな彼を励ますように、リリアーヌが横から書類を覗き込んだ。
「まぁ、難しい字がいっぱいですわね。ジュリアン様、こんなの適当に可愛いお花のスタンプでも押しておけばよろしいのではないかしら?」
「お、お花のスタンプだと? リリアーヌ、それは名案だ! よし、書記官、今すぐ花のスタンプを持ってこい!」
「できるわけがないでしょうが! そんなことをしたら国庫から金が消え、橋の代わりに花畑が建ちますよ!」
書記官の絶叫が執務室に響き渡る。
しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった。
「殿下、次はこちらの青い表紙の束を! これは来週の予算割り当てですが、エーリカ様の『検算』がないため、計算がまったく合いません! どこの部署も『エーリカ様がいないなら予算を上乗せしろ』と暴動寸前です!」
「なぜ私にそれを言う! 私が王子だぞ! 黙って従わせればいいだろう!」
「無理に決まっているでしょう! 皆さん、エーリカ様の正確無比な数字に平伏していただけなのですから! 殿下の『なんとかなるだろう』という精神論では、誰も財布の紐を緩めません!」
ジュリアンは机の上に突っ伏した。
昨日までの万能感はどこへやら、今の彼は荒波に放り出された仔犬のように震えている。
「あ、あの、ジュリアン様ぁ……。お腹が空いてしまいましたわ。お仕事なんて放っておいて、テラスでティータイムにいたしましょう?」
リリアーヌが袖を引くが、今のジュリアンにはそれに答える余裕すらない。
彼はふと、エーリカが去り際に言った言葉を思い出した。
『愛があれば、算術ができなくてもなんとかなりますよ、多分』
「……あの女、これを分かっていて……!」
「殿下! 大変です! 隣国の辺境伯、クラウス・ハインリヒ閣下が、ものすごい勢いでこちらに向かっております!」
新たな報告に、ジュリアンの顔が土気色になった。
クラウス・ハインリヒ。若き英雄であり、その冷徹さと武力で知られる隣国の虎だ。
「な、なぜあやつがここへ来るのだ! 今は外交の予定などないはずだぞ!」
「分かりません! ただ、『大切な恩人を侮辱した愚か者の面を拝みに来た』と仰っているそうで!」
執務室の温度が数度下がったかのような錯覚。
ジュリアンは、自分がとんでもない地雷を踏み抜いたのではないかと、今更ながらに気づき始めていた。
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