婚約破棄? 喜んで! ついでにこれも返却しますね?

ちゅんりー

文字の大きさ
3 / 27

3

しおりを挟む
ガタゴトと揺れる馬車の振動が、今のエーリカにとっては最高の子守唄だった。
王都の門を抜け、追手の影がないことを確認した彼女は、座席に深く身を沈める。

「ああ、ハンス。この振動、この音。まるで行進曲のようですわ」

「お嬢様、それは少しばかり気が立ちすぎではございませんか。普通、追放された令嬢はもっとこう、絶望に打ちひしがれるものですよ」

御者席から小窓越しにハンスが呆れたような声を出す。
しかしエーリカは、扇子で口元を隠しながらも、その瞳は爛々と輝かせていた。

「絶望? まさか。あのアステリア公爵家の重い扉、そして王宮の湿った空気が消えていくのが、これほど清々しいなんて! 見てごらんなさい、あの木々を。あの草花を。あんなに緑色をしていたなんて、今の今まで忘れていましたわ」

「……お嬢様は、三年間も窓のない執務室に籠もりきりでしたからな。無理もありません」

「そうなのよ。私の視界にあるのは常に、白い紙と黒いインク、そして王子の真っ白な頭脳だけでしたもの。これからは何を見ても感動できそうですわ」

エーリカはそう言うと、ふーっと大きく息を吐き出した。
その瞬間、張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。

「……ねえ、ハンス。少しだけ、目を閉じてもよろしいかしら」

「お好きなだけどうぞ。国境まではまだ時間がかかります。誰にも邪魔はさせませんよ」

「ありがとう。じゃあ、一秒だけ……」

一秒だけ、という言葉が言い終わるか終わらないかのうちに、エーリカの意識は深い闇へと沈んでいった。
それは、気絶に近いほどの深い眠りだった。

「……様。お嬢様。エーリカお嬢様!」

どれくらいの時間が経っただろうか。
耳元でハンスの声が聞こえ、エーリカはゆっくりと瞼を持ち上げた。

「……ん、ああ、ハンス。おはようございます。もう朝の五時かしら。昨日の帳簿の続きを……」

「お嬢様、落ち着いてください。今は昼の二時です。それに、もう帳簿なんてどこにもありませんよ」

ハンスの言葉に、エーリカはハッとして周囲を見渡した。
そこは豪華な自室でも、殺風景な執務室でもなく、揺れ続ける馬車の中だった。

「……そうだったわ。私はもう、働かなくていいのね」

「左様でございます。それにしてもお嬢様、随分な寝顔でしたぞ。口が開いておりました」

「なっ! わ、私としたことが! 公爵令嬢として、いえ、国外追放者としてあるまじき失態ですわ!」

エーリカは慌てて手鏡を取り出し、自分の顔を確認した。
そこには、目の下の隈が少しだけ薄くなり、頬に赤みが差した自分の姿があった。

「あら。私、意外と可愛い顔をしていますわね」

「元からですよ。仕事ばかりして、いつも般若のような顔をしていたから誰も気づかなかっただけです」

「般若ですって? 失礼ね。あれは『効率化の神』が取り憑いていただけよ」

エーリカはふふっと笑い、窓の外を眺めた。
遠くには、この国と隣国を隔てる大きな山脈が見え始めている。

「ハンス、国境を越えたら、まずは何をしましょうか」

「まずはまともな食事でしょうな。王宮では、冷めたスープを飲みながらペンを走らせていたのでしょう?」

「ええ。味なんて覚えていないわ。温かくて、誰にも邪魔されない食卓。なんて贅沢なのかしら」

エーリカは背伸びをすると、固まっていた体がバキバキと音を立てた。
その痛みすら、自分が生きている実感を伴って心地よかった。

「さあ、行きましょう。新しい人生の第一歩は、国境の検問所からね。悪役令嬢らしく、堂々と追い出されてあげますわ!」

馬車は速度を上げ、輝く太陽の下をひた走る。
彼女を縛り付けるものは、もう何一つ残っていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

妹に全部取られたけど、幸せ確定の私は「ざまぁ」なんてしない!

石のやっさん
恋愛
マリアはドレーク伯爵家の長女で、ドリアーク伯爵家のフリードと婚約していた。 だが、パーティ会場で一方的に婚約を解消させられる。 しかも新たな婚約者は妹のロゼ。 誰が見てもそれは陥れられた物である事は明らかだった。 だが、敢えて反論もせずにそのまま受け入れた。 それはマリアにとって実にどうでも良い事だったからだ。 主人公は何も「ざまぁ」はしません(正当性の主張はしますが)ですが...二人は。 婚約破棄をすれば、本来なら、こうなるのでは、そんな感じで書いてみました。 この作品は昔の方が良いという感想があったのでそのまま残し。 これに追加して書いていきます。 新しい作品では ①主人公の感情が薄い ②視点変更で読みずらい というご指摘がありましたので、以上2点の修正はこちらでしながら書いてみます。 見比べて見るのも面白いかも知れません。 ご迷惑をお掛けいたしました

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

わたくし、悪女呼ばわりされているのですが……全力で反省しておりますの。

月白ヤトヒコ
恋愛
本日、なんの集まりかはわかりませんが、王城へ召集されておりますの。 まあ、わたくしこれでも現王太子の婚約者なので、その関連だと思うのですが…… 「父上! 僕は、こんな傲慢で鼻持ちならない冷酷非道な悪女と結婚なんかしたくありません! この女は、こともあろうに権力を使って彼女を脅し、相思相愛な僕と彼女を引き離そうとしたんですよっ!? 王妃になるなら、側妃や愛妾くらいで煩く言うのは間違っているでしょうっ!?」 と、王太子が宣いました。 「どうやら、わたくし悪女にされているようですわね。でも、わたくしも反省しておりますわ」 「ハッ! やっぱりな! お前は僕のことを愛してるからな!」 「ああ、人語を解するからと人並の知性と理性を豚に求めたわたくしが悪かったのです。ごめんなさいね? もっと早く、わたくしが決断を下していれば……豚は豚同士で娶うことができたというのに」 設定はふわっと。

婚約破棄されてイラッときたから、目についた男に婚約申し込んだら、幼馴染だった件

ユウキ
恋愛
苦節11年。王家から押し付けられた婚約。我慢に我慢を重ねてきた侯爵令嬢アデレイズは、王宮の人が行き交う大階段で婚約者である第三王子から、婚約破棄を告げられるのだが、いかんせんタイミングが悪すぎた。アデレイズのコンディションは最悪だったのだ。

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

恋の締め切りには注意しましょう

石里 唯
恋愛
 侯爵令嬢シルヴィアは、ウィンデリア国で2番目に強い魔力の持ち主。  幼馴染の公爵家嫡男セドリックを幼いころから慕っている。成長につれ彼女の魔力が強くなった結果、困った副作用が生じ、魔法学園に入学することになる。  最短で学園を卒業し、再びセドリックと会えるようになったものの、二人の仲に進展は見られない。  そうこうしているうちに、幼い頃にシルヴィアが魔力で命を救った王太子リチャードから、 「あと半年でセドリックを落とせなかったら、自分の婚約者になってもらう」と告げられる。  その後、王太子の暗殺計画が予知されセドリックもシルヴィアも忙殺される中、シルヴィアは半年で想いを成就させられるのか…。  「小説家になろう」サイトで完結済みです。なろうサイトでは番外編・後日談をシリーズとして投稿しています。

虐げられ令嬢の最後のチャンス〜今度こそ幸せになりたい

みおな
恋愛
 何度生まれ変わっても、私の未来には死しかない。  死んで異世界転生したら、旦那に虐げられる侯爵夫人だった。  死んだ後、再び転生を果たしたら、今度は親に虐げられる伯爵令嬢だった。  三度目は、婚約者に婚約破棄された挙句に国外追放され夜盗に殺される公爵令嬢。  四度目は、聖女だと偽ったと冤罪をかけられ処刑される平民。  さすがにもう許せないと神様に猛抗議しました。  こんな結末しかない転生なら、もう転生しなくていいとまで言いました。  こんな転生なら、いっそ亀の方が何倍もいいくらいです。  私の怒りに、神様は言いました。 次こそは誰にも虐げられない未来を、とー

処理中です...