婚約破棄? 喜んで! ついでにこれも返却しますね?

ちゅんりー

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「お嬢様。……申し上げにくいのですが、現在のお姿、どこからどう見ても『バリバリの現役』でございますぞ」

シュヴァルツ・シュロス、領主専用の書斎。
ハンスの呆れたような声に、エーリカはハッと我に返った。
彼女の手には、先ほどまで「ちょっと中身を拝見するだけ」と言って手に取った、領地の主要特産品である『魔鉱石』の流通経路図握られている。

しかも、その図面の上には、エーリカの筆跡で真っ赤な修正線が縦横無尽に走り、余白にはびっしりと効率化案が書き込まれていた。

「……ち、違いますわ、ハンス。これは労働ではありません。間違い探しという名のレクリエーションですわ。ほら、ここを見てちょうだい。この運搬ルート、川を渡るのに三回も関税を払っているのよ? 算数のできる子供なら泣き出すレベルの不条理だわ!」

「お嬢様。レクリエーションで関税の撤廃案まで策定する方は、大陸中を探しても貴女様くらいなものです」

「だって、見つけてしまったんですもの! 見つけたのに放置するのは、淑女の嗜みに反しますわ!」

エーリカは鼻息荒く反論したが、内心では冷や汗をかいていた。
温泉でリフレッシュし、ニート生活を満喫するはずだった自分が、なぜ隣国の領主の執務室で、深夜まで灯りを灯してペンを握っているのか。

そこへ、夜食のトレイを持ったクラウスが入ってきた。

「まだ起きていたのか、エーリカ。……おぉ、その図面は。もしや、私が一ヶ月悩んでいた物流のボトルネックを解消したのか?」

「閣下、勝手に見ないでください! これはただの落書きですわ。明日には暖炉に放り込む予定の……」

「素晴らしい! この迂回ルートを廃止して、中継所に保税倉庫を建てるという発想! なぜ今まで誰も思いつかなかったのだ! エーリカ、貴殿はやはり天才だ!」

クラウスはトレイを放り出し(中身はハンスが間一髪で受け止めた)、エーリカの横に並んで図面を凝視した。
二人の距離が近くなり、エーリカは彼の体温と、微かな石鹸の香りに動揺する。

「あ、あの、閣下。距離が近すぎますわ。それに、私はまだ『働く』とは一言も……」

「分かっている。これは『趣味』だろう? 趣味に没頭する貴殿の邪魔はしたくない。だが、この案を実行するには、隣接する辺境伯領との交渉が必要だ。彼らは強欲で有名でな……」

「強欲? ふふん。あの程度の領主、数字の暴力……コホン、論理的な説得で黙らせるのは造作もないことですわ。例えば、彼らが隠している予備費の出所を突きつけて……」

「……」

「……あら、閣下。なぜそんなに慈愛に満ちた目で私を見るのですか?」

エーリカが不審そうに尋ねると、クラウスは彼女の細い手をそっと取り、自分の頬に寄せた。

「嬉しいのだ。貴殿が、我が領の未来を我がことのように語ってくれるのが。……私は決めたぞ。明日、その交渉の場に、貴殿を『私の婚約者』として同席させよう」

「はいぃ!? 話が飛びすぎですわ! 私はただ、効率が悪いのが許せないだけで、閣下と結婚するなんて……」

「交渉には肩書きが必要だろう? 『通りすがりの有能なニート』では、相手も首を縦に振らん。だが『ハインリヒの次期女主人』と言えば、彼らは恐怖で……いや、敬意で震え上がるはずだ」

クラウスの瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
彼は、エーリカの才能を最も輝かせる舞台を、着々と用意しているのだ。

「……閣下。一つ確認ですが、その交渉が終わったら、私は自由になれますわね?」

「あぁ。そのまま昼寝に戻ってもらって構わん。……もっとも、貴殿が私の立て直したばかりの『壊滅的な台帳』を見なければ、の話だが」

「壊滅的? ……どの程度、壊滅的なのですか?」

エーリカの瞳に、抗いがたい知的好奇心が宿る。
クラウスは獲物を罠にかけた猟師のような、不敵な笑みを浮かべた。

「数字の辻褄が一切合わず、昨年の税収がどこに消えたかも不明なレベルだ。どうだ、興味が湧くだろう?」

「……。閣下。あなた、本当に性格が悪いですわ。私の弱点を、完璧に理解していらっしゃる」

エーリカは深いため息をつきながらも、ペンを持ち直した。
どうやら、彼女が本当の意味で「何もしないニート」になれる日は、まだまだ先になりそうだった。

だが、不思議と嫌な気はしなかった。
王宮での孤独な戦いとは違い、今は隣に、自分を信じ、共に歩もうとする騎士がいるのだから。
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