26 / 28
26
しおりを挟む
「……いい。今度こそ、本当の、本当の、本当の……本当のことを話して、すべての誤解を解きますわ」
私は別荘の書斎で、目の前の男に向かって力強く宣言した。
男の名はパスカン。王宮から派遣された記録官だ。
彼は、私が「どうやって奇跡を起こしているのか」を公式記録(正史)に残すべく、羽根ペンを構えて待機している。
「はい、マーリ様。その『叡智の言葉』、一言一句漏らさず書き留めます。さあ、まずは先ほど、飛んできた矢を避けた時の神託からお聞かせください」
「神託ではありませんわ! あちらの茂みからセドリック様が、訓練用矢の弦を引き絞る『ギギギ』という音を立てていたからです。あと、風切り音で速度と角度を計算しただけですわ」
私は必死に、物理的な根拠を並べ立てた。
しかし、パスカンの羽根ペンは、何やらキラキラした文字を紙に刻んでいる。
「……ふむ。『聖女、天からの微かな律動(ギギギ)を聞き取り、因果の矢を無に帰す』。……素晴らしい。実に詩的です」
「詩的にしないで! 事実を書いてくださいな!」
「事実ですよ。貴女が『理(ことわり)』を読み取ったという。……では、次です。サイラス様が床に仕掛けた『不可視の罠』を、目隠しをしながら回避した件について」
私は深いため息を吐き、自分のこめかみを押さえた。
「……あれは、床のワックスの光沢が、そこだけ不自然に『くすんで』いたからです。サイラス様が何かを設置する際、靴の裏の汚れが付着したのでしょう。目隠しをしていても、彼の靴から漂う『古い図書館の埃の匂い』が左側からしたから、そちらに何かあると察しただけですわ」
「……なるほど。『聖女、視覚を封じられてなお、地の汚れ(くすみ)と太古の叡智の香り(埃)を感じ取り、邪悪なる術を退ける』。……これは民衆が泣きますな」
「泣かないで! 私が泣きたいですわ!」
私が机を叩くと、パスカンは「おお、これが聖女の慈悲深き憤りか」と、さらに熱心にペンを走らせた。
もはや、この男の脳内では私の発言すべてが「聖女語」に自動翻訳されているらしい。
「師匠! パスカン殿の記録、順調ですな! 俺も、師匠が毎日食べているクロワッサンの層の数に、国家安泰の秘策が隠されていると証言しておきましたぞ!」
「セドリック様。……余計なことを言わないで。あれは単に、近所のパン屋のおじさんの体調によって、折り込み回数が変わるだけですわ。今日のは層が厚かったから、おじさんの腰痛が少しマシになったのでしょう」
「『パンの層に民の健康を映し出す、慈愛の鏡』……! マーリ、君の観察眼はもはや社会保障の域に達しているね」
窓から逆さまにぶら下がったサイラス様が、感極まったように溜息をついた。
「お二人とも。……いいですか。私は、魔法も、奇跡も、神託も、一切使えません。ただの、よく周りを見ているだけの……少し性格の暗い令嬢なんです。それだけを、国中に伝えてくださる?」
私はパスカンを真っ直ぐに見据えた。
今度こそ、真面目な顔で。
「私は聖女ではありません。ただのマーリです。……もしこの記録に嘘を書くなら、私は一生、別荘の鍵を閉めて引き籠もりますわよ」
パスカンのペンが止まった。
彼は眼鏡を押し上げ、深く頷いた。
「……承知いたしました。マーリ様。貴女のその『真実』を、ありのままに記述いたします」
「……分かってくださったのね?」
私はようやく、胸のつかえが降りるのを感じた。
ああ、これでようやく、普通の令嬢として平穏に暮らせる。
翌週。
王都の掲示板には、パスカンが執筆した『聖女の奇跡・別荘篇』が張り出された。
『聖女、自らを「普通」と称する究極の謙遜を見せる。……その高潔なる魂は、己の力を誇示することなく、ただ「周囲を見る」という至高の愛をもって世界を救わんとす。……全知なるマーリ様、人界に降り立つ……』
「…………」
私は、新聞を握りつぶして湖の底へ投げ捨てた。
「……ねえ、サイラス様。物理的に、あの記録官のペンを折る方法を教えてくださる?」
「無駄だよマーリ。君が否定すればするほど、世界はそれを『新たな奇跡』として補完してしまうんだ。……君という物理法則は、もう誰にも変えられない」
「師匠! 王都からファンクラブの会員が、この湖を聖地巡礼しに来るそうですぞ!」
私の別荘の周りに、物理的な「人の波」という名の巨大な因果が押し寄せてくるのが見えた。
「……予言しましょうか。……私の人生、一生こうやって『勘違い』に追いかけ回されるんですわ。……ああ、もう、勝手になさいな!」
私は、別荘の地下室に「物理的な避難所」を建設するための設計図を広げた。
……もちろん、その設計図すらも、後に『新世界の聖典』として語り継がれることになるのを、今の私はまだ知らなかった。
私は別荘の書斎で、目の前の男に向かって力強く宣言した。
男の名はパスカン。王宮から派遣された記録官だ。
彼は、私が「どうやって奇跡を起こしているのか」を公式記録(正史)に残すべく、羽根ペンを構えて待機している。
「はい、マーリ様。その『叡智の言葉』、一言一句漏らさず書き留めます。さあ、まずは先ほど、飛んできた矢を避けた時の神託からお聞かせください」
「神託ではありませんわ! あちらの茂みからセドリック様が、訓練用矢の弦を引き絞る『ギギギ』という音を立てていたからです。あと、風切り音で速度と角度を計算しただけですわ」
私は必死に、物理的な根拠を並べ立てた。
しかし、パスカンの羽根ペンは、何やらキラキラした文字を紙に刻んでいる。
「……ふむ。『聖女、天からの微かな律動(ギギギ)を聞き取り、因果の矢を無に帰す』。……素晴らしい。実に詩的です」
「詩的にしないで! 事実を書いてくださいな!」
「事実ですよ。貴女が『理(ことわり)』を読み取ったという。……では、次です。サイラス様が床に仕掛けた『不可視の罠』を、目隠しをしながら回避した件について」
私は深いため息を吐き、自分のこめかみを押さえた。
「……あれは、床のワックスの光沢が、そこだけ不自然に『くすんで』いたからです。サイラス様が何かを設置する際、靴の裏の汚れが付着したのでしょう。目隠しをしていても、彼の靴から漂う『古い図書館の埃の匂い』が左側からしたから、そちらに何かあると察しただけですわ」
「……なるほど。『聖女、視覚を封じられてなお、地の汚れ(くすみ)と太古の叡智の香り(埃)を感じ取り、邪悪なる術を退ける』。……これは民衆が泣きますな」
「泣かないで! 私が泣きたいですわ!」
私が机を叩くと、パスカンは「おお、これが聖女の慈悲深き憤りか」と、さらに熱心にペンを走らせた。
もはや、この男の脳内では私の発言すべてが「聖女語」に自動翻訳されているらしい。
「師匠! パスカン殿の記録、順調ですな! 俺も、師匠が毎日食べているクロワッサンの層の数に、国家安泰の秘策が隠されていると証言しておきましたぞ!」
「セドリック様。……余計なことを言わないで。あれは単に、近所のパン屋のおじさんの体調によって、折り込み回数が変わるだけですわ。今日のは層が厚かったから、おじさんの腰痛が少しマシになったのでしょう」
「『パンの層に民の健康を映し出す、慈愛の鏡』……! マーリ、君の観察眼はもはや社会保障の域に達しているね」
窓から逆さまにぶら下がったサイラス様が、感極まったように溜息をついた。
「お二人とも。……いいですか。私は、魔法も、奇跡も、神託も、一切使えません。ただの、よく周りを見ているだけの……少し性格の暗い令嬢なんです。それだけを、国中に伝えてくださる?」
私はパスカンを真っ直ぐに見据えた。
今度こそ、真面目な顔で。
「私は聖女ではありません。ただのマーリです。……もしこの記録に嘘を書くなら、私は一生、別荘の鍵を閉めて引き籠もりますわよ」
パスカンのペンが止まった。
彼は眼鏡を押し上げ、深く頷いた。
「……承知いたしました。マーリ様。貴女のその『真実』を、ありのままに記述いたします」
「……分かってくださったのね?」
私はようやく、胸のつかえが降りるのを感じた。
ああ、これでようやく、普通の令嬢として平穏に暮らせる。
翌週。
王都の掲示板には、パスカンが執筆した『聖女の奇跡・別荘篇』が張り出された。
『聖女、自らを「普通」と称する究極の謙遜を見せる。……その高潔なる魂は、己の力を誇示することなく、ただ「周囲を見る」という至高の愛をもって世界を救わんとす。……全知なるマーリ様、人界に降り立つ……』
「…………」
私は、新聞を握りつぶして湖の底へ投げ捨てた。
「……ねえ、サイラス様。物理的に、あの記録官のペンを折る方法を教えてくださる?」
「無駄だよマーリ。君が否定すればするほど、世界はそれを『新たな奇跡』として補完してしまうんだ。……君という物理法則は、もう誰にも変えられない」
「師匠! 王都からファンクラブの会員が、この湖を聖地巡礼しに来るそうですぞ!」
私の別荘の周りに、物理的な「人の波」という名の巨大な因果が押し寄せてくるのが見えた。
「……予言しましょうか。……私の人生、一生こうやって『勘違い』に追いかけ回されるんですわ。……ああ、もう、勝手になさいな!」
私は、別荘の地下室に「物理的な避難所」を建設するための設計図を広げた。
……もちろん、その設計図すらも、後に『新世界の聖典』として語り継がれることになるのを、今の私はまだ知らなかった。
0
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
貴方が側妃を望んだのです
cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。
「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。
誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。
※2022年6月12日。一部書き足しました。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
史実などに基づいたものではない事をご理解ください。
※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。
表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。
※更新していくうえでタグは幾つか増えます。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
旦那様。私が悪女ならば、愛人の女は何になるのかしら?
白雲八鈴
恋愛
我が公爵家主催の夜会の最中。夫が愛人を連れてやってきたのです。そして、私を悪女という理由で離縁を突きつけてきました。
離縁して欲しいというのであれば、今まで支援してきた金額を全額返済していただけません?
あら?愛人の貴女が支払ってくれると?お優しいわね。
私が悪女というのであれば、妻のいる夫の愛人に収まっている貴女は何なのかしら?
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる