ただ、嫌われたかっただけなんです。婚約破棄を望みます。

ちゅんりー

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「……信じられないわ」

自室のふかふかのソファに倒れ込み、私は天井を仰いだ。

昨日の卒業パーティー。
本来なら私は「稀代の悪女」として糾弾され、今頃は冷たい石畳の牢獄か、あるいは国境行きの馬車に揺られているはずだった。

それなのに、現実はどう?

私の手元には、アラリック様から「仲直りの印に」と贈られた、特大のダイヤモンドが輝くブレスレットが置かれている。
さらに、マリアさんからは「昨日は勇気をいただきありがとうございました!」という、香水が染み込んだ熱烈なファンレターまで届いた。

「どうしてこうなるのよ……!」

私はクッションに顔を埋めて悶絶した。

私の目的は、王太子妃という「ブラック労働」が確定している未来から逃げ出し、悠々自適な独身生活を送ること。
そのために、わざわざ性格の悪い女を演じ、嫌われる努力をしてきたというのに。

「お嬢様、お着替えの準備が整いました。本日はどちらへ?」

侍女のアンナが、どこか生温かい目をして私を見ている。

「……王宮よ。アラリック様に会いに行くわ」

「あら、積極的ですね。昨日の今日で、もう殿下にお会いになりたいなんて。やはりお二人は熱々でいらっしゃいますね」

「違うわよ! あいつの……いえ、殿下の化けの皮を剥ぎに行くのよ!」

私は立ち上がり、鏡の前で自分を鼓舞した。

昨日の失敗の原因は明白だ。
私が用意した「浮気の証拠」が、あまりにも抽象的すぎたのだ。
あんな「良い人」フィルターを通されてしまうような証拠ではなく、もっと決定的な、言い逃れのできない悪事を見つけなければならない。

「(見ていなさい、アラリック様。今日こそあなたの『黒い部分』を暴いて、婚約破棄を承諾させてみせるわ!)」

私は、あえて派手で傲慢に見える紫のドレスに身を包み、意気揚々と王宮へと乗り込んだ。

王宮の廊下を歩いていると、すれ違う兵士や女官たちが、私を見るなり深く頭を下げる。
以前なら「あのアステリア家の高慢ちきな令嬢か」という蔑みの視線を感じたものだが、今は違う。

「(……え、何? なんでみんなニコニコしてるの?)」

「ルト様、昨日のパーティーでのマリア嬢へのご配慮、感動いたしました!」
「殿下との愛の深さ、我ら平民の希望です!」

どこからともなく聞こえてくる賞賛の声。
どうやら、昨日の勘違い劇はすでに王宮中に広まっているらしい。
まずいわ。このままでは「聖女」扱いされてしまう。

私は足早に、アラリック様の執務室へと向かった。
あそこには、きっと何かしら「後ろ暗い書類」があるはずだ。
例えば、重税を課す計画書とか、隣国との密約とか……。

執務室の前に着くと、中から話し声が聞こえてきた。

「……ですから、これは絶対にルトに知られてはいけませんよ」

アラリック様の、低く冷徹な声だ。
私は耳を疑った。

「(……来た! これよ、これ! 『ルトに知られてはいけない』こと!)」

私は廊下の物陰に隠れ、息を殺して聞き耳を立てた。
声の主はアラリック様と、もう一人は……マリアさんだ。

「わかっています、殿下。ルト様はとても繊細な方ですから……もし知られたら、きっと寝込んでしまわれますわ」

「ああ。彼女は責任感が強いからね。自分を責めてしまうに違いない。この件は、僕たちだけで極秘に進めよう」

「(……ふふふ。ついに尻尾を出したわね。責任感が強い? 自分を責める? 寝込む? そんなの、大規模な公金横領か、マリアさんとの隠し子騒動くらいしかあり得ないわ!)」

私は勝利を確信した。
今、この扉を勢いよく開けて、「現場」を押さえるのよ!

「そこまでよ! 悪党ども!」

私は扉を乱暴に開け放ち、中に飛び込んだ。

執務室の中では、アラリック様とマリアさんが、机を挟んで何やら真剣に書類を見つめていた。
私の乱入に、二人は驚いたように顔を上げる。

「ル、ルト!? どうしてここに……」

アラリック様が慌てて、手元の書類を隠そうとした。
その怪しい動き、見逃さないわ!

「隠しても無駄ですわ、アラリック様! あなたの『悪事』は、今私の耳にしっかり届きました! 『ルトには知られてはいけない極秘事項』……それを今すぐ私に見せなさい!」

私は机に詰め寄り、アラリック様が隠した書類をひったくった。

「待つんだ、ルト! それはまだ準備が……」

「問答無用です! さあ、あなたの罪を数えな——……え?」

書類に目を通した瞬間、私の思考が停止した。

そこには、緻密に描かれた図面と、細かな予算案が並んでいた。
しかし、それは「兵器」でも「監獄」でもなかった。

『アステリア公爵令嬢ルト・フォン・アステリア様 専用 世界最高のスイーツ・パラダイス建設・運営計画書』

「……何、これ」

私は震える声で尋ねた。

「……バレてしまったら仕方ない。ルト、君は最近、僕への嫌がらせ……いや、僕に構ってほしくて、わざと無理難題を言っていたよね?『もっと私を自由にさせて!』とか、『甘いものだけ食べて生きていきたい!』とか」

「(……それは、わがままな悪女を演じるためのセリフだったんだけど)」

「僕は考えたんだ。君が公務の合間に、誰にも邪魔されずに世界中のスイーツを楽しめる場所を、王宮の敷地内に作ろうと。マリア嬢は商家の出身で流行に詳しいから、どこの店のケーキが君の好みに合うか、極秘でリサーチを手伝ってもらっていたんだよ」

マリアさんが、申し訳なさそうに手を合わせた。

「ごめんなさい、ルト様! サプライズにしたかったのですが……殿下が『ルトは最近、僕を嫌いになろうと必死に演技をしているみたいなんだ。きっと、僕の愛が足りなくて不安になっているんだね』とおっしゃるから、私も力になりたくて!」

「……」

私は、手に持っていた計画書をパラパラと捲った。

第1章:ルト様を笑顔にするための最高級チョコレートの輸入ルート確保。
第2章:ルト様が「ダイエット中なの!」と怒った時のための、低カロリーかつ絶品な和菓子の開発。
第3章:ルト様が寝転びながらお菓子を食べられる「最高級ソファ」の選定。

「(……バカなの? この人たち、バカなの!?)」

良い人すぎる。
あまりにも、救いようがないほどに、良い人たちすぎる。

「ルト、怒らないでおくれ。君を驚かせたかっただけなんだ。さあ、このプロジェクトの総責任者は、君だ。君が好きなように、この『お菓子の城』を作っていいんだよ」

アラリック様が、慈愛に満ちた笑みを向けてくる。

「ルト様! 私も全力でお手伝いしますわ! あ、でも、前世の話とか、そういう怪しいスピリチュアルなものは一切排除してありますので、ご安心くださいね!」

「……マリアさん、今、さらっとメタ発言しなかった?」

「えっ? メ、メタ……?」

「いいえ、なんでもないわ。……とにかく!」

私は計画書を机に叩きつけた。

「こんなもので私が喜ぶと思ったら大間違いですわ! 私は、私はもっと……こう、ドロドロした、最低な人間関係が見たいのよ!」

「なるほど、ドロドロした人間関係か。……マリア嬢、ルトはもっと濃厚なチョコレートフォンデュを求めているらしい。すぐに準備を」

「承知いたしました、殿下!」

「そうじゃないわよ!!」

私の絶叫は、平和すぎる執務室に空虚に響き渡った。
断罪への道のりは、あまりにも遠く、険しい。
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