婚約破棄。つきましては、こちらに残業代と慰謝料の請求書を

ちゅんりー

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カチ、コチ、カチ、コチ。

執務室の古い時計が、変わらぬリズムで時を刻んでいる。

アムリーは一人、デスクに向かい、一冊の革装のノートを開いていた。

それは彼女が婚約破棄されたあの日から書き綴ってきた、『アムリー・ベルンシュタインの人生損益計算書』の最終ページである。

「……さて、締めくくりですね」

アムリーはペンを執り、これまでの歩みを振り返る。

【項目1:負債の整理】
・実家の借金五億、完済。
・元婚約者(カイル)との腐れ縁、解消。
・過去のトラウマ(恩師クロウリー)、清算完了。

「当初の目標であった『借金完済』は、大幅な前倒しで達成。さらに、元凶たちの労働奉仕による損害賠償スキームも順調に稼働中……。文句なしの黒字です」

アムリーは満足げに頷いた。

地下で機竜の世話に明け暮れるカイルとミナの顔が浮かんだが、彼女の計算機は一ミリの慈悲も叩き出さなかった。自業自得、という四文字で処理済みである。

【項目2:資産の形成】
・ライオット公爵家との婚姻による、盤石な社会的地位の獲得。
・帝国(レグルス皇帝)との強力な外交・通商パイプ。
・「救国の英雄」としての圧倒的なブランド価値。

「資産価値は、結婚前の推定値から約三〇〇%上昇……。レオンという優秀な『将来の有望株』も加わり、長期的な成長性も安泰ですね」

アムリーはペンを置き、ふと自分の左手を見た。

薬指に輝く、大粒のサファイア。

ギルバートから贈られた、愛の証。

かつて、彼女にとって結婚とは「就職」であり、愛とは「不確実な変数」に過ぎなかった。

だが、今の彼女は知っている。

(……数字では表せない資産があることを)

ガチャリ。

扉が開き、レオンを肩車したギルバートが入ってきた。

「お母様! お仕事は終わりですか?」

「アムリー、そろそろ夕食の時間だよ。今日は君の好きなモンブランを、例の有名店から取り寄せたんだ」

「モンブラン……! 全損したあの時のリベンジですね」

アムリーは手帳を閉じ、椅子から立ち上がった。

「パパとお外で競争してきたんだよ! 僕が勝ったから、お母様の隣の席は僕のものだよね?」

「いいや、レオン。それとこれとは別だ。アムリーの隣は私の指定席だよ」

「えー! お父様のけち!」

賑やかに言い合う親子。

アムリーは二人の元へ歩み寄り、ギルバートの手を、そしてレオンの小さな手を握った。

「……ふふっ。お二人とも、騒がしいですね」

「君が静かすぎるのがいけないんだ」

ギルバートが優しく微笑む。

「どうだい、アムリー。今の君の『心』を計算すると、どんな答えが出る?」

アムリーは少し考え、そして最高の笑顔で答えた。

「――算出不能(エラー)です」

「エラー?」

「はい。幸福の指数が、私の用意した計算機の桁を超えてしまいました。……これは、解析に一生かかりそうです」

「それは素晴らしい。私も、一生かけてその計算を手伝うよ」

ギルバートがアムリーの額にキスをする。

レオンが「あー! ずるい!」とはしゃぎ、家族の笑い声が執務室に響き渡った。

アムリーは最後にもう一度だけ、デスクの上のノートに目をやった。

そこには、流麗な文字でこう記されていた。

『本プロジェクト(人生)の結果:予測を遥かに上回る大勝利。……なお、幸せの利息は永続的に加算されるものとする』

アムリーの物語は、ここで一旦の区切りを迎える。

だが、彼女の電卓が止まることはない。

次なる「幸せの投資」を求めて、今日も彼女は軽やかに、そして強欲に、人生を謳歌し続けるのだ。

――悪役令嬢と呼ばれた事務の天才、アムリー・ベルンシュタインの決算報告。

ここに、完結。
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