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九尾との出会い
しおりを挟むその日の帰り道。
俺は学院の裏手へと足を向けていた。
立ち入り禁止区域。
本来、近づく理由などない。
なのに、胸の奥がざわつく。
何かに呼ばれているような、不気味な感覚。
「……変だな」
森の奥へ進むほど、空気が重くなる。
視えないはずの霊が、そこに満ちている気がした。
――視えないはずなのに。
倒木の影で、俺はそれを見つけた。
巨大な狐。
人の背丈を遥かに超える体躯。
金色の毛並みは血に濡れ、息は荒い。
「……狐?」
瞬間、頭の奥に直接声が響いた。
『――来るな、小僧』
威圧的で、低く、
だがどこか弱っている声。
本能が告げる。
関わるな。
逃げろ、死ぬぞ。
けれど――
「……だめだ、放っておけないだろ」
気づけば、俺はそう口にしていた。
霊を扱えない。
術も使えない。
無能と呼ばれる俺に、できることは少ない。
それでも。
この出会いが、
俺の中で何かを壊し、
何かを目覚めさせることになる。
――その予感だけは、確かにあった。
巨大な狐は、九の尻尾を逆立てたまま微動だにせず俺を睨んでいた。
黄金の瞳は鋭く、ただそれだけで心臓を掴まれるような圧を放っている。
『……人の子よ。なぜ逃げぬ』
頭の奥に直接響く声。
言葉というより、意思そのものを流し込まれる感覚だった。
「逃げた方がいいってことくらい‥分かってる」
喉がひりつく。
足はとっく竦んでる。
「でも……あんた、死にかけてるだろ」
こいつは妖怪だ。
人を喰らい、災厄をもたらす存在。
教科書にはそう書いてあった存在。
だから本来なら、助ける理由なんてどこにもない。
それでも――
目の前の妖怪は、確かに“追い詰められて”いた。
『……ほう』
妖怪の口元が、わずかに歪む。
笑ったのか、それとも嘲ったのか。
『霊も扱えぬ身で、よくもそんな戯言を吐ける』
「……やっぱり分かるんだな」
『当然だ。貴様の内側は、異様なほど“歪”だ』
胸の奥が、どくりと脈打った。
『本来、そこには霊力を司る霊泉があるはずだ。
だが貴様の内には、強固な“封”が施されている』
――封。
「どうゆうことだ?」
俺は妖怪に問う。
「……俺は、生まれつき何もできないだけじゃなかったのか」
『違う』
その妖怪は、はっきりと言い切った。
『貴様は呪いによって霊力を封じられている。。
しかも、相当悪質な呪いだ』
頭が追いつかない。
俺はずっと、ただの無能だと思っていた。
『その封は、我の妖力と同質のものだ』
「……同質?」
『更にこれは‥妖怪の王が使う、血脈封殺の呪式か』
その瞬間、妖怪の殺気がわずかに漏れ出した。
森の空気が震える。
『我はかつてそやつに裏切られ、力を削がれた。
そして貴様は――其奴を封じた末裔だ』
末裔。
「……それって俺の先祖が、大妖怪を封じたって話‥なのか?」
『ああ。その通り。』
妖怪は、ゆっくりと息を吐く。
『その報復として、妖怪の親玉が呪いを放った。
血が続く限り、その力を発現させぬようにな』
つまり――
俺は、生まれた瞬間から封じられていた。
怒りよりも、先に湧いたのは虚脱感だった。
「……じゃあ、俺が何年努力しても、無理だったわけだ」
『当然だ』
九尾は淡々と告げる。
『……だが』
黄金の瞳が、俺を射抜いた。
『我を助ければ、その呪いを一時的に緩めることができる』
「……は?」
あまりに唐突で、間の抜けた声が出た。
『完全な解呪ではない。
あくまで“仮”だ』
九尾は、低く言い切る。
『我が妖力を、最小限だけ貴様に流す。
それにより、呪いの表層をこじ開ける』
「……それって、契約ってことか?」
『ああ。ただし――』
一拍、間が置かれる。
『仮契約だ』
仮契約。
聞き慣れない言葉だった。
『本来、人と妖怪の契約は恒久のもの。
だが今の我は弱りきっている』
九尾は、自嘲するように息を吐く。
『完全な契約を結べば、貴様の身が先に壊れる。
ゆえに、条件付き・時間限定の仮契約とする』
頭の中で、必死に整理する。
「……危険性は?」
『無論、ある』
即答だった。
『妖力が流れ込む以上、拒絶反応も起きうる。
最悪、貴様の精神が耐えきれぬ可能性もある』
「……」
それでも。
『だが、乗っ取ることはできぬ』
九尾は、はっきりと断言した。
『仮契約では、我は主導権を握れん。
貴様が拒めば、そこで終わりだ』
それは――
教本に載っていない、例外中の例外。
「……もし、断ったら?」
『貴様は無能のまま生きる。
我はここで消滅する』
沈黙が落ちた。
俺は、自分の手を見る。
何も掴めない、空っぽの手。
「……なあ」
顔を上げる。
「仮でもいい。
それで、俺は“使える側”になれるのか」
九尾は、ほんの一瞬だけ目を細めた。
『――なる』
『本来、貴様が持っていた力の
“入り口”に立てるだけだがな』
それで、十分だった。
「‥なら、やる」
恐怖はある。
だが、それ以上に――
何も変わらないまま終わる方が、ずっと怖い。
「……俺は、西園寺玄弥だ」
震える声で、名を告げる。
「無能って呼ばれるのは、もううんざりだ」
九尾は、しばらく俺を見つめていた。
そして――
『よかろう』
巨体が、淡く光を放つ。
『そなたに我が真名を教えよう。
我が名は――葛葉』
空気が歪み、術式が脳裏へ流れ込む。
知らないはずの文字。
理解できるはずのない構造。
――だが、俺はそれを“読めた”。
『仮契約を結べ、人の子』
「ああ……」
息を整え、言葉を紡ぐ。
「我は西園寺玄弥。
葛葉と仮契約を結ぶ」
次の瞬間――
胸の奥で、何かが軋んだ。
「――っ!」
砕けるほどではない。
だが、確かに“こじ開けられた”感覚。
初めて感じる――
霊力の存在。
空気が、森が、地面が。
ぼんやりと、輪郭を持って迫ってくる。
『これでよい』
葛葉の声が、はっきりと聞こえた。
『だか呪いはまだ健在だ。
だが表層は緩んだ』
『霊力は使える。
……ただし、無理をすれば反動も来る』
それでも。
確かに――
俺は“無能”ではなくなった。
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