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恋と混乱と舞踏会
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「クラリッサ様、舞踏会の準備はすでに整っております」
侍女のエルナの声で、私ははっと我に返った。窓の外では日が沈みかけ、夕陽が空を染めていた。今日という日――アルセリア王立学園の冬の舞踏会は、貴族の子女たちにとって一世一代の大舞台。そして私、クラリッサ・ヴァン・リーベルフェルトにとっても、それは避けて通れぬ「運命の日」だった。
(何事も起きずに終わってほしい。ただ、それだけなのに……)
思い返せばここ最近、平穏を望む私の決意など、もはや風前の灯だった。王太子セシルは毎日私を見つめ、守り、愛を告げてくる。無口な騎士団長レオンは私のそばを離れず、無言のまま心を訴えかけてくる。宰相候補のカイルは甘い微笑とともに、確かな言葉で愛情を注いでくる。
彼らは一様に、私が“昔のクラリッサ”とは違うと気づいていた。そして今の私――前世の記憶を持ち、穏やかに生きたいと願う“ただの一人の女の子”に、真剣に心を向けている。
それは嬉しくもあり、恐ろしくもある。
(私は、誰も選びたくない。けれど、誰かを傷つけずに済む未来なんてあるの?)
私は鏡の前に立ち、深く息を吸った。桜色のドレスは母が仕立ててくれたもので、シルクの光沢がほのかに輝いている。髪はゆるく巻かれ、花飾りがそっと添えられていた。
「……行きましょう」
私は静かに微笑んで、扉を開いた。
大広間はすでに煌びやかな灯りに照らされ、色とりどりのドレスとタキシードが咲き乱れる花園のようだった。音楽が鳴り響き、招待客たちの笑い声が交錯する中、私はできるだけ目立たぬように会場の隅へと向かおうとした。
――だが、それは許されなかった。
「クラリッサ嬢」
聞き慣れた、低く静かな声。振り返れば、そこには王太子セシルがいた。青い礼装に身を包んだ彼は、まるで氷で形作られた彫像のように美しく、そして冷ややかだった。けれど、私を見るその瞳だけは、深く熱い。
「……セシル殿下」
「この舞踏会の最初のダンス、君と踊ることに決めていた」
言葉とともに差し出された手。その指先が、ほんの少しだけ震えていることに気づき、私は胸を打たれた。
(この人も、私と同じで不安なんだ……)
「……よろしくお願いします」
私はそっと手を取った。
音楽が変わり、セシルと私のダンスが始まると、会場の空気が変わった。誰もが視線をこちらに向け、さざ波のようなざわめきが広がる。
けれど、不思議と恐くはなかった。セシルの腕の中は心地よく、彼の視線が私を包んでいた。
「今日の君は、星のように輝いている」
「……お世辞、上手になりましたね」
「本音だ。……俺は君に、何があっても幸せでいてほしいと願っている」
優しく、けれど強い言葉に、私の心は揺れた。
セシルとのダンスを終えると、すぐに別の影が現れた。
「次は私の番でしょう、クラリッサ嬢」
柔らかく笑いながら現れたのはカイル・シュトラール。淡いグレーの礼服に、シンプルな白の薔薇を胸元に添えている。
「カイルさん……」
「君の笑顔を、一番近くで見ていたい」
ダンスは軽やかで、まるで風のようだった。カイルは言葉の魔術師だ。私の緊張を解きほぐし、やさしく心を包んでくれる。
「……ねぇ、クラリッサ嬢。僕にとって、君は希望だよ」
「どうして、私なんかに……」
「“なんか”じゃない。君は、誰よりもまっすぐで、誠実で、美しい」
私は目を逸らしてしまった。こんなにも真っ直ぐに好意を向けられるのは、嬉しい。でも……怖い。
その夜、私は少し人目を避け、バルコニーに出た。冷たい夜風に頬をなでられ、深呼吸する。
そこに、音もなく現れたのは――レオン。
「……寒い」
「……大丈夫です」
「ドレスの布地が薄すぎる。風邪をひく」
彼は黙って、自分の上着を私の肩にかけた。男物のコートに包まれて、私は少しだけ安心した。
「レオンさん……」
「俺には、華やかな言葉はない」
「……はい」
「だが、君のすべてを守りたい。それだけは、誰にも負けない」
まるで誓いのような声だった。私は何も言えず、ただ頷いた。
舞踏会の終盤、思いもよらぬ出来事が起きた。
「クラリッサ・ヴァン・リーベルフェルト嬢に、ここでひとつ――求婚の意思を表明したい」
王太子セシルの言葉に、会場が凍り付いた。
私は信じられなかった。こんな公の場で、こんな重大なことを――
「待ってください、殿下」
私の声が震えた瞬間、エミリア・ブレアが前に出てきた。
「クラリッサ様の心を、尊重すべきです」
彼女は静かに私を見つめ、手を握る。
「貴女は、誰かのためではなく、ご自分の心のために生きていいのです」
その言葉に、涙がこみあげた。
その夜、私は自室で一人、長い夜を過ごした。
セシルの真摯な想い。レオンの寡黙な守り。カイルの包容力。
そして、エミリアの友情。
私はただ処刑回避のために生きようとしていた。でも今は違う。私の中に、確かに「誰かを想う心」が芽生えている。
(私は……誰といたい? 誰に触れてほしい?)
すぐには答えは出なかった。けれど、私は一歩を踏み出す決意をした。
それが、たとえ未来を変えてしまう選択でも。
侍女のエルナの声で、私ははっと我に返った。窓の外では日が沈みかけ、夕陽が空を染めていた。今日という日――アルセリア王立学園の冬の舞踏会は、貴族の子女たちにとって一世一代の大舞台。そして私、クラリッサ・ヴァン・リーベルフェルトにとっても、それは避けて通れぬ「運命の日」だった。
(何事も起きずに終わってほしい。ただ、それだけなのに……)
思い返せばここ最近、平穏を望む私の決意など、もはや風前の灯だった。王太子セシルは毎日私を見つめ、守り、愛を告げてくる。無口な騎士団長レオンは私のそばを離れず、無言のまま心を訴えかけてくる。宰相候補のカイルは甘い微笑とともに、確かな言葉で愛情を注いでくる。
彼らは一様に、私が“昔のクラリッサ”とは違うと気づいていた。そして今の私――前世の記憶を持ち、穏やかに生きたいと願う“ただの一人の女の子”に、真剣に心を向けている。
それは嬉しくもあり、恐ろしくもある。
(私は、誰も選びたくない。けれど、誰かを傷つけずに済む未来なんてあるの?)
私は鏡の前に立ち、深く息を吸った。桜色のドレスは母が仕立ててくれたもので、シルクの光沢がほのかに輝いている。髪はゆるく巻かれ、花飾りがそっと添えられていた。
「……行きましょう」
私は静かに微笑んで、扉を開いた。
大広間はすでに煌びやかな灯りに照らされ、色とりどりのドレスとタキシードが咲き乱れる花園のようだった。音楽が鳴り響き、招待客たちの笑い声が交錯する中、私はできるだけ目立たぬように会場の隅へと向かおうとした。
――だが、それは許されなかった。
「クラリッサ嬢」
聞き慣れた、低く静かな声。振り返れば、そこには王太子セシルがいた。青い礼装に身を包んだ彼は、まるで氷で形作られた彫像のように美しく、そして冷ややかだった。けれど、私を見るその瞳だけは、深く熱い。
「……セシル殿下」
「この舞踏会の最初のダンス、君と踊ることに決めていた」
言葉とともに差し出された手。その指先が、ほんの少しだけ震えていることに気づき、私は胸を打たれた。
(この人も、私と同じで不安なんだ……)
「……よろしくお願いします」
私はそっと手を取った。
音楽が変わり、セシルと私のダンスが始まると、会場の空気が変わった。誰もが視線をこちらに向け、さざ波のようなざわめきが広がる。
けれど、不思議と恐くはなかった。セシルの腕の中は心地よく、彼の視線が私を包んでいた。
「今日の君は、星のように輝いている」
「……お世辞、上手になりましたね」
「本音だ。……俺は君に、何があっても幸せでいてほしいと願っている」
優しく、けれど強い言葉に、私の心は揺れた。
セシルとのダンスを終えると、すぐに別の影が現れた。
「次は私の番でしょう、クラリッサ嬢」
柔らかく笑いながら現れたのはカイル・シュトラール。淡いグレーの礼服に、シンプルな白の薔薇を胸元に添えている。
「カイルさん……」
「君の笑顔を、一番近くで見ていたい」
ダンスは軽やかで、まるで風のようだった。カイルは言葉の魔術師だ。私の緊張を解きほぐし、やさしく心を包んでくれる。
「……ねぇ、クラリッサ嬢。僕にとって、君は希望だよ」
「どうして、私なんかに……」
「“なんか”じゃない。君は、誰よりもまっすぐで、誠実で、美しい」
私は目を逸らしてしまった。こんなにも真っ直ぐに好意を向けられるのは、嬉しい。でも……怖い。
その夜、私は少し人目を避け、バルコニーに出た。冷たい夜風に頬をなでられ、深呼吸する。
そこに、音もなく現れたのは――レオン。
「……寒い」
「……大丈夫です」
「ドレスの布地が薄すぎる。風邪をひく」
彼は黙って、自分の上着を私の肩にかけた。男物のコートに包まれて、私は少しだけ安心した。
「レオンさん……」
「俺には、華やかな言葉はない」
「……はい」
「だが、君のすべてを守りたい。それだけは、誰にも負けない」
まるで誓いのような声だった。私は何も言えず、ただ頷いた。
舞踏会の終盤、思いもよらぬ出来事が起きた。
「クラリッサ・ヴァン・リーベルフェルト嬢に、ここでひとつ――求婚の意思を表明したい」
王太子セシルの言葉に、会場が凍り付いた。
私は信じられなかった。こんな公の場で、こんな重大なことを――
「待ってください、殿下」
私の声が震えた瞬間、エミリア・ブレアが前に出てきた。
「クラリッサ様の心を、尊重すべきです」
彼女は静かに私を見つめ、手を握る。
「貴女は、誰かのためではなく、ご自分の心のために生きていいのです」
その言葉に、涙がこみあげた。
その夜、私は自室で一人、長い夜を過ごした。
セシルの真摯な想い。レオンの寡黙な守り。カイルの包容力。
そして、エミリアの友情。
私はただ処刑回避のために生きようとしていた。でも今は違う。私の中に、確かに「誰かを想う心」が芽生えている。
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