【完結】悪役令嬢に転生したので破滅回避!……したはずが、王太子が執着してきます

22時完結

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心の距離

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 甘美な日々が静かに流れる中で、宮廷内の風景は一層繊細な変化を迎え、レティシアとエドワード殿下の間にも、これまで感じたことのない新たな感情が芽生え始めていた。二人は互いに寄り添いながらも、心の奥底に秘めた孤独や過去の痛み、そして未来への不安を、言葉にするにはあまりにも重いものとして抱えていた。そのため、普段のやわらかな会話の裏側には、時折、互いの心の距離を感じさせる曖昧な沈黙が漂っていた。

 ある穏やかな朝、宮殿の庭園は露に濡れ、淡い光が葉を透かして輝いていた。レティシアは、いつものようにひとり庭園を散策していたが、その瞳には、これまで以上にどこか物憂げな色が宿っていた。胸の奥で、運命に抗う決意と共に、ふと湧き上がる不安―自分自身の本当の想いが、心の奥に封じ込められているのではないかという、かすかな疑念。彼女は、自分でも気づかぬうちに、他人にすら見せられないほどの深い孤独に苛まれているのだと、感じ始めていた。

 その日の午後、エドワード殿下は、図書室の奥深くでひっそりと本を読むひとときを過ごしていた。重厚な書物の間に佇む彼の表情は、普段の厳格な面影を残しながらも、どこか遠くの記憶をたどるような、儚い影を含んでいた。ふと、窓の外に広がる庭園を見つめながら、彼は呟いた。
「あの日、君と交わした言葉の中に、私の知らぬ真実が隠されているような気がする……」
 その声には、ただの好奇心を超えた切実な想いが込められていた。彼は、レティシアの存在が自分にとってどれほど大きく、また、同時に彼女自身が抱える重荷にどれだけ苦しんでいるのかを、もっと知りたかった。しかし、王太子としての威厳と自らのプライドのせいで、直接問い詰めることにはためらいがあった。

 夕暮れ時、宮廷の一角に設けられた小さな茶室にて、レティシアはひっそりと座っていた。室内は柔らかな灯りに包まれ、外の夕陽が薄紅色の影を落としている。彼女は、今日一日の出来事や、心に浮かぶ不安、そしてこれまで隠してきた想いを、ひとり言のように日記に記し留めようとしていた。だが、筆が進むたびに、言葉にすることの難しさに心が乱れ、手が震えるのを感じた。

 その時、扉の静かな軋みとともに、エドワード殿下が茶室に現れた。いつもは控えめな挨拶すら必要としない彼の姿だが、今日はどこか心を痛めたような重苦しさを漂わせていた。レティシアは、驚きと共に目を上げ、互いに静かな視線が交わされた。
「レティシア、少しだけお話ししてもよろしいだろうか」
 殿下の声は、厳しさと同時に、優しさを含む温かい響きを帯びていた。彼は、そっと隣に腰を下ろすと、ためらいなく続けた。
「君の眼差しには、私には到底理解できぬほどの深い闇が隠されているように感じる。君は……一体何を抱えているのか、もしよければ、私に打ち明けてもらえないだろうか」

 レティシアは、しばらく言葉を探すように沈黙した。これまで、殿下との甘美な日々の中では、互いに心を開く瞬間があった。しかし、今回の問いかけは、まるで自分の魂の奥深くに踏み込むかのようで、彼女の心を大いに揺さぶった。
「殿下……」
 かすかな声で呟くと、彼女は目を伏せ、しずくが頬を伝うかのような感覚に襲われた。
「私は……過去の重い影を、ずっと心に秘めてきました。運命に逆らうために、自分自身の弱ささえも、見せたくないと思って……」
 その告白は、長い間胸の内に溜め込んできた痛みが、一筋の光となって溢れ出すような、重々しくも儚い響きを持っていた。

 殿下は、彼女の瞳の奥に潜む悲哀を見逃さず、優しく手を伸ばした。
「君は決して一人ではない。私もまた、君とは違った形で、心に深い傷を抱えている。だからこそ、君と心を通わせ、共にその傷を癒すことができたらと、私は強く願っている」
 その言葉は、茶室の静寂を優しく包み込み、レティシアの心に温かな灯火をともした。彼女は、これまで誰にも見せなかった自分の弱さを、ようやく殿下の前にさらけ出すことができたことに、驚きと同時にほっとしたような感情を覚えた。

 その後、二人は長い時間をかけて、互いの過去や心の奥底にある想いについて語り合った。エドワード殿下は、自身が王太子として背負う重圧や、幼い頃に感じた孤独、そして数々の政治的義務の中で失われた純粋な感情を、ひとつひとつ丁寧に語った。レティシアもまた、自らの転生という奇妙な運命と、悪役令嬢として刻まれた過去の記憶、そしてその運命に抗うために抱えた不安や葛藤を、涙ながらに吐露した。

 言葉が交わされるたびに、二人の間の「心の距離」は、次第に狭まっていくように感じられた。しかし、同時にそれは、互いの傷跡を確認し合うかのような、痛みを伴う作業でもあった。
「私には、今まで自分の弱さを認めることができなかった。だから、君の前でも、本当の自分を隠してしまっていたのかもしれない」
 レティシアは、ふと手にしたティーカップを見つめながら、静かに語った。その声は、内に秘めた長い苦悩がこもり、微かに震えていた。
「殿下、あなたにすべてを打ち明けることが、こんなにも恐ろしいことだとは……」
 エドワード殿下は、彼女の手をしっかりと握り返し、真摯な眼差しで答えた。
「恐れることはない。君がどんなに傷ついていようとも、私はそのすべてを受け止める覚悟がある。君の痛みが、私の痛みでもあると感じるから」

 こうして、二人はお互いの心の奥にある本当の感情を共有し、以前よりも深い絆を結び始めた。互いの弱さや傷を隠さずさらけ出すことは、決して容易なことではなかったが、その過程で二人は、真に理解し合うための一歩を踏み出していた。まるで、長い冬が終わりを告げ、柔らかな春の日差しが差し込むかのように、互いの心は徐々に温かさを取り戻していった。

 その晩、月明かりが宮殿の回廊を淡く照らす中で、エドワード殿下は自室に戻り、窓辺に腰掛けながら、今日の出来事を静かに思い返していた。
「今日、君が見せてくれたあの涙の輝き……それは、決して弱さではなく、君の本当の強さの証だ」
 彼は、心の中でそっと誓うように筆を走らせ、日記に今日の感情と、互いに語り合った言葉を記していった。
「人は、心の距離を縮めることで、初めて真実の愛に辿り着けるのだろう。君と私が歩むこの道は、決して平坦ではない。しかし、共に涙を流し、笑い合い、互いを支え合うことができれば、その先にある未来は、確かな光に包まれるはずだ」

 翌朝、レティシアはいつものように宮廷の一角で朝の儀式に参加したが、心の中には昨夜交わした言葉と温かな記憶が、確かな形で根付いていた。以前よりも少しだけ、そして確実に、彼女の顔には柔らかな笑みが浮かんでいるように見えた。
「私も、殿下と共に歩む未来を信じてみよう……」
 そう自分自身に囁くように、彼女は新たな決意を胸に秘めた。
 また、エドワード殿下もまた、今日の朝の儀式の中で、以前よりもずっと穏やかで、温かい眼差しをふとレティシアに向けていた。宮廷の喧騒の中にも、二人だけの静かな約束が確かに息づいているように感じられた。
 こうして、心の距離は、互いの真実を認め合うことにより、以前よりも確実に縮まっていった。どんなに激しい嵐が二人の未来を脅かそうとも、この日々の小さな誓いが、静かに、しかし確かな力として、二人を結びつける絆となることを、誰もが感じ取れるようになっていた。

 そして、時折、夜の静寂の中でふたりは、ひそやかに立ち寄った回廊で、今まで言葉にできなかった想いを、ただ互いの眼差しで伝え合うのであった。その瞬間、無数の星が夜空に煌めくように、二人の心は、互いの存在に完全に寄り添い、心の距離はもう、もはや障壁ではなく、未来への架け橋として輝きを放っていた。

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