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揺れる心
しおりを挟む夜の静寂が森を包み込んでいた。木々の間を通り抜ける風が葉を揺らし、かすかなざわめきを生み出している。その音は、まるで遠い記憶を呼び覚ますように紗耶の耳に響いた。
小さな小屋の前に立つエドモンド公爵の姿は、闇の中で一層際立っていた。彼の存在が、逃げ続けてきたはずの紗耶の心を揺さぶる。
「なぜ、ここに……」
紗耶はかすれた声で問いかけた。
「お前を探し続けたからだ。」
エドモンドの声は低く、しかし迷いのない響きを持っていた。その瞳は紗耶をまっすぐに捉え、逃げ場のない感情を突きつけてくる。
「……私を捕らえるために?」
「いや、確かめるためだ。」
「確かめる?」
「お前が何を恐れているのか、なぜ逃げたのか。そして……私はなぜ、お前をこうまでして追うのか。」
その言葉に、紗耶の胸が激しく波打った。
彼はただ冷徹な貴族として、義務のために彼女を追っているのではない。何か、それ以上の感情がそこにある。
「あなたが……私のことを知って、どうするの?」
「知った上で、私は選びたい。」
「選ぶ?」
「そうだ。お前の運命を、ただ決めつけるのではなく、お前が何を望むのか、私自身の心で確かめたい。」
エドモンドは、静かに手を差し出した。
「お前が望むなら、今ここで私を拒め。そうすれば、私は二度とお前の前には現れない。」
紗耶は、驚いたように彼を見上げた。
逃げることはできる。拒めば、彼は去ると言っている。
だが――
彼がいなくなることを、なぜか考えたくない自分がいる。
彼の手を取れば、再び何かに縛られるかもしれない。けれど、逃げ続けることが本当に彼女の望む自由なのか――それすらも、今はわからなかった。
「私は……」
言葉が詰まる。
エドモンドは、黙って彼女を待っていた。
長い沈黙のあと、紗耶はゆっくりと視線を落とした。
「私は……あなたを信じることができない。」
そう言った瞬間、胸が苦しくなるのを感じた。
エドモンドの表情は変わらない。ただ、静かに目を閉じ、一度深く息をついた。
「それでも、私はお前を諦めない。」
静かな決意が込められた声。
紗耶は、戸惑いとともに彼を見つめた。
「私は、ただ逃げたかった。でも、今はわからない。何を恐れているのか、何を求めているのか……」
「それなら、見つけるまで私と共にいろ。」
エドモンドの言葉に、紗耶は思わず息を呑んだ。
「……一緒に?」
「そうだ。私と共にいれば、お前はもう一人ではない。」
「私は……」
紗耶は震える手を胸に当てる。
エドモンドの言葉は、どこか彼女の心の奥深くに触れた。
彼女はこれまで一人で生きてきた。誰にも頼らず、誰も信じず。
でも、もしも。
もしも誰かと共にいることで、本当に心が救われるのだとしたら――
彼女の瞳が揺れる。
エドモンドは、再びゆっくりと手を差し出した。
「お前が望むなら、私はお前を守る。」
その言葉は、今までに聞いたどんな言葉よりも、彼女の胸に響いた。
紗耶は、迷いながらも、そっとその手に触れようとした。
だが――
その瞬間、森の奥から何者かの気配が近づいてくるのを感じた。
エドモンドの表情が一瞬鋭くなる。
「誰か来る……!」
紗耶の心臓が跳ね上がる。
そして、次の瞬間。
森の闇から、複数の影が現れた。
「見つけたぞ!」
男たちの声が響く。
それは、エドモンドの追跡隊ではなかった。
「……っ!」
紗耶は反射的に身を引いた。
エドモンドは即座に剣を抜き、紗耶の前に立った。
「お前たちは何者だ。」
低く、しかし威圧的な声。
男たちは、にやりと笑った。
「さあな。だが、こいつを連れて行くよう命じられている。」
「誰の命令だ。」
「貴族なんて、皆同じだろう?」
エドモンドの目が鋭く光る。
紗耶は、息を詰まらせながらその場を見つめた。
何が起こっているのか。
なぜ、彼らは自分を追ってきたのか。
恐怖が胸を締め付ける。
「下がっていろ。」
エドモンドの言葉に、紗耶ははっとする。
彼は、間違いなく彼女を守ろうとしている。
しかし、ここでまた誰かに守られたら、自分はまた囚われてしまうのではないか――
「私は……」
紗耶は、震える声を押し殺しながら呟いた。
「私は、もう誰にも縛られたくない……!」
彼女は、その場から駆け出そうとした。
だが、次の瞬間。
エドモンドの腕が、彼女の手をしっかりと掴んだ。
「お前が望む自由とは、こういうことなのか。」
「っ……!」
彼の瞳が、まっすぐに紗耶を見つめる。
「お前が本当に望むものが何なのか、まだわからないのなら――せめて、私のそばで見つけろ。」
その言葉に、紗耶の足が止まった。
そして――
森の影の中で、新たな戦いが幕を開ける。
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