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石炭姫と大熊王
しおりを挟む「露華、急遽そなたにカルブンクルス国へ行ってもらうことになった」
御簾の向こうから放たれたのは、冬の雨のように冷たい声。
「お待ちください、父上。カルブンクルスへ輿入れするのは、茉莉花姉様だったはずでは?」
濡羽色の黒髪をさらりと揺らし、少女――神珠国第六王女、露華――は眉をひそめ抗議した。
「事情が変わった。これはもう決定事項だ。そなたの意思は関係ない」
「……承知いたしました」
※ ※ ※ ※
神珠国。
特筆すべき特産品も、強大な軍事力も、肥沃な大地も何もない、四方を海に囲まれた、海神を祀る小さな島国。
「私だけは、絶対ないと思っていたのに」
露華は小さくため息をつくと、行儀を無視して仰向けで寝台に倒れ込んだ。
「神珠国の石炭姫なんて出荷したところで、良くて返品、悪ければ同盟解消……同盟強化のための輿入れだというのに、父上はいったい何をお考えなのかしら」
露華は己の黒髪を一房手に取ると、それを見て自嘲とため息をこぼす。
「神珠国の真珠姫。何もないこの国の、唯一の特産品。けれど、私は……」
神珠国の真珠姫――
虹色の光をたたえた乳白色の、まるで真珠のような髪と瞳を持つ姫君たち。海神に仕えし神珠国の王族のみに発現するその特別な色と、美しい顔をもつ神の祝福を受けた者たち。
――茉莉花姉様が行けないとなると、確かに私しかいないのよね。妹たちはまだまだ幼いし、他の姉様たちは皆様とうに嫁いでらっしゃるし。
「でも、私は祝福を授けられなかった不良品」
家族たちがもつ真珠の輝きを、露華だけは持っていなかった。王族ならば必ず授かるはずの、約束された祝福を。
――カルブンクルス王には申し訳ないけれど、こんな不良品でも納得していただけないかしら。あちらには後宮があるということだし、同盟さえどうにかなれば、後は好きなようにしていただいて構わないから……
※ ※ ※ ※
カルブンクルス国へ到着するとすぐに謁見となり、露華はろくに身支度も整えられぬまま王の前へと差し出された。
「陛下におかれましては、ご機嫌も麗しいご様子と存知たてまつります」
「よく来てくれた。それと、そのように堅くならずともよい。いずれ夫婦となるのだ。妙な遠慮は無用」
露華に返ってきたのは、落胆のため息でも、不良品だと罵る声でもなかった。ごく普通の、むしろ気遣いさえある返事だった。
「陛下――」
「ウルサだ。陛下呼びはやめてくれ。息が詰まってしまう」
「承知いたしました、ウルサ様。わたくしは神珠国第六王女、露華と申します」
カルブンクルス王ウルサ。
武を誇る国の王らしく、筋骨隆々とした精悍な青年。先の大戦で祖父を、昨年は病で父を亡くし、若くして王となった――露華は嫁ぐ前に頭に入れてきた情報を引き出すと、改めて玉座のウルサを見上げた。
――なんて大きな方なのかしら。焦茶色の御髪も相まって、まるで熊のよう。
ウルサは露華より三つ上の十九歳。けれど同年代の中でも小柄な露華が彼と並ぶと、その見た目はまるで大人と子供。
――私のような貧相な石炭姫がこの方の隣に立つなど、分不相応というものだわ。
「長旅で疲れているだろう。部屋を用意してある、ゆっくり体を休めてくれ。それと、この後宮内ならば空いた時間は好きに過ごしてもらって構わない。慣れぬ異国の地だ、不自由があれば遠慮なく言ってくれ」
期待外れの石炭姫であっただろうに嫌な顔ひとつ見せず、なおかつ気遣いまでしてくれるウルサ。そんな彼に、露華の心はじんわりと温かくなっていた。
「お心遣い、ありがとう存じます」
一通りの挨拶を済ませたあと、露華は後宮の一室に案内された。優しい陽の光がたっぷり入る、飾り気こそないが清潔で過ごしやすそうな部屋。
その部屋の雰囲気に、露華はつい今しがた会ったばかりのウルサを思い出していた。
――誠実そうな方でよかった。
お茶を淹れてもらうと侍女を下がらせ、露華はソファにとさりと身を投げだす。
「同盟強化のために真珠姫を所望する後宮持ちの英雄王……なんて、いったいどんな好色漢に出荷されたのかと思っていたのに」
蓋を開けてみれば、カルブンクルスの王は露華が想像していたものとは全く違っていた。
「ウルサ様……真珠に混じった石炭の私には……もったいなさすぎる……お方…………」
長旅の疲れと追い返されなかったことへの安堵で、露華は瞬く間に夢の中へと落ちていった。
※ ※ ※ ※
翌朝。露華が目を覚ましたのはベッドの上、ふかふかの布団の中だった。
侍女たちに支度を整えてもらうと朝食を済ませ、その後は結婚の儀の打ち合わせやカルブンクルスの作法の勉強と、露華の午前の時間は瞬く間に過ぎ去ってしまった。
「後宮なんて言うから、てっきりたくさんの女性を囲っているものだとばかり思っていたのに」
午前の授業で、露華はカルブンクルスの後宮の真の姿を知った。
この後宮の役割は、一般的な王家の血を繋ぐためのものや、王の快楽目的のためのものなどではなかった。ウルサの祖父の代に起こった戦争や、父の代で起こった流行り病、そういうもので夫を喪った女たちや親を喪った子供たちを保護、教育する――そんな、後宮とは名ばかりの施設だった。
けれど、その女や子供たちもほぼ巣立ち、この施設は今やその役割を終えていた。
露華は昼を済ませると、午後は特に目的もなく後宮内の庭園を歩いていた。
「緋衣草! 神珠の王宮にも、たくさん咲いてたな……」
燃えるような鮮やかな赤い花が揺れる花壇を見つめ、露華は故郷を想い目を細めた。
「この花は、願いを込めて植えたんだ」
「陛――、ウルサ様!?」
ひとりだと思い口に出していた言葉。そんな独り言に返ってきた言葉に、露華は思わず目を白黒させた。
「緋衣草の花言葉は『家族愛』、『よい家庭』。たとえ政略で互いに男女の愛が生まれなかったとしても、共に国を背負う伴侶として家族になりたい……そんな願いを込めて」
「とても……とても、素敵な願いだと思います」
一瞬だけはしった胸の痛みを黙殺すると、露華は精一杯の笑みを浮かべた。
とそのとき、遠くの方から「陛下ーー」というたくさんの人の慌てた声が聞こえてきた。
「ウルサ様、ここへはもしかして」
「すまん、大臣たちをまいてきた。庭へ向かう露華の姿が見えたんで、ついな」
「まあ。わたくしなどにそのようなお心遣い、もったいなく存じます。どうぞ早く皆様のもとへお戻りください」
露華としては普通のことを言ったつもりだったのだが、返ってきたのは苦虫を噛み潰したようなウルサの顔だった。
「露華。あなたはもう少し自分のことを大切にするべきだと思う」
突然投げかけられた言葉に露華が固まっていると、ウルサは小さくため息をついたあと、呼び声の方へと戻っていった。
――私、何か失敗してしまった? ウルサ様を、失望させてしまった?
なぜウルサはあのような顔をしたのか、ウルサの言葉はどういう意味なのか……どんなに考えても、露華にはそのどちらの答えもわからなくて。
このままでは同盟に悪い影響が出てしまうのではないかと、露華はその日の午後、ずっと気が重いまま過ごすことになってしまった。
「露華! あなたは緋衣草が好きなようだったから、今日は他の種類のものも持ってきたぞ」
翌日。ウルサはたくさんの花を抱えて、満面の笑みで後宮の露華の部屋にやって来た。
「ウルサ、様? あの、わたくし、昨日は大変失礼なことを」
「失礼? なんのことだ? それよりほら、露華はどれが一番好きだ?」
テーブルの上に置かれたたくさんの緋衣草。赤いものに混じって、いくつか青紫の花をつけているものもあった。
「この青紫の花をつけているものは薬用鼠尾草ですね。消炎効果や疲労回復、それに肉の臭み消しなどにも使われる薬草で――」
「おお、よく知っているな。薬草園に咲いてるのを見つけたんで持ってきたんだ」
「ウルサ様、いちおうお伺いいたしますが……管理者の方にはきちんと許可をお取りになられましたよね?」
露華の確認に勢いよく目をそらすウルサ。
「ウルサ様!」
「すまん! 次からは気を付ける……なるべく」
「なるべくではありません! 絶対に、です。それと、こちらの抜いてしまった分もきちんと報告してくださいね」
最初こそ露華の剣幕にたじろいでいたウルサだったが、だんだんとその顔には笑みが広がってきて。
「笑いごとではないのですよ! 薬草の管理は――」
「すまん。いや、露華があまりに楽しそうに語るんで、ついこちらまで楽しくなってしまったんだ」
楽しそうに笑うウルサの姿に。その邪気のない笑顔に、まっすぐな言葉に。露華の心臓は早鐘のような鼓動を刻んでいた。
翌日も、その翌日も。なんだかんだと理由をつけては露華の前に現れて、たわいないやりとりをしていくウルサ。そんな日々を重ねるうちに、露華の心の中にはいつしか黙殺できないほどのウルサへの気持ちが積もっていた。
「けれど、私は石炭姫。輝く真珠のような姉様たちとは違うもの。私なんて……」
夜風に揺れる緋衣草を見つめる露華の口からこぼれ落ちたのは、長年彼女を蝕み縛り付ける呪いの言葉。結婚の儀を翌日に控え、露華は今までになく情緒不安定になっていた。
「だって、ウルサ様もおっしゃってたじゃない。男女の愛はなくとも、共に国を背負う伴侶に、家族になりたいと。それで十分じゃない。私なんかがそれ以上を望むなど、分不相応にも――」
「そこまでだ、露華」
慌てて振り返った露華の目の前にいたのは、険しい顔をしたウルサだった。
「それ以上はいけない。たとえ露華であっても、露華を貶めることは私が許さない」
「ウルサ様、ですが!」
「露華。結婚の儀の前に、あなたに聞いて欲しいことがある」
ウルサにまっすぐ見つめられ、露華はそれ以上言葉を発することができなくなってしまった。するとウルサは足下から緋衣草を一本手折り、それを露華へと差し出した。
「この花に込めた願い、それは今も変わっていない。私はあなたと家族になりたいと思っている。共に背負い、歩み、支えあう伴侶になりたいと思っている」
ウルサの言葉に、露華は心の中で涙を流した。
「……はい。わたくしにはもったいないお言葉にございます」
家族になりたい、その言葉でも十分すぎるほどだったはずなのに。露華の心はいつの間にか、それ以上の別のものまで欲するようになっていた。
「最初に言った願いは変わってない。けれど、それらに一つ、新しい願いが加わったんだ」
「新しい、願い?」
不思議そうに首をかしげた露華の目にひざまずくと、ウルサは彼女をまっすぐ見上げて言った。
「燃える思い」
ウルサの言葉の意味が読み取れず、露華はすがるように彼を見つめ、その言葉の続きを待った。
「露華。あなたに出会って、最初は同志として共に歩めるならばそれでも十分だと思った。けれど、あなたと思い出を重ねるうちに、私はそれでは満足できなくなっていたんだ」
「それ、は……」
あり得ないという思いと、もしかしたらという思いが、露華の中で激しくせめぎあっていた。石炭姫と揶揄され、いらないと言われ続けてきたこれまでの記憶が、もしかしたらという希望をまたもや消し去ろうとしている。
「気がつけば私の心の中は、あなたへの燃える思いでいっぱいになっていた。露華、あなたを愛している」
「でも! 私は姉様たちのように真珠の祝福を与えられなかった、出来損ないの石炭姫で――」
「そんなもの関係ない!!」
ウルサの大きな声に、露華の肩がびくりと震えた。
「あ……その、驚かせてすまなかった」
「そんなものって、だって……ウルサ様だって、海神の祝福を受けた美しい真珠姫が欲しかったからこそ、わざわざなんの力も持っていない神珠国などに縁談を申し込んだのではないのですか?」
「誤解だ。私は真珠姫が欲しかったわけではない。周辺国との均衡を保つため、私の代ではそれらと関係のない国から妻を娶りたかった。その条件を満たし、なおかつ年頃の姫がいたのが神珠国だった。それだけのことだ」
明かされた縁談の真実に、露華はただ呆然とするしかなかった。茉莉花が候補から外されたのは、ウルサが真珠姫を求めていなかったから。求めていない者にわざわざ貴重な真珠姫を与える必要はない。
「わた、し……私なんかで、本当によろしいのですか?」
まだ戸惑い訝しむ露華に、ウルサは顔をしかめて「しつこい」と言い放った。
「私が欲しいのは露華、あなただけだ」
「ですが、私には真珠の輝きも、海神の祝福もないのですよ」
「そんなもの必要ない。私の好きな色は何物にも染まらない黒だし、好きなことを楽しそうに語り、私が間違ったときにはきちんと叱ってくれる、そんな露華だから欲しいと思ったんだ」
出来損ないの真珠姫ではない、露華そのものが欲しいと言ってくれたウルサ。その真心に、まっすぐな言葉に、凍り付いていた露華の心はようやく雪解けのときを迎えた。
「私、卑屈だしすぐ落ち込むし諦めるし、すごくすごく面倒な女ですよ」
「ならば私が毎日露華のいいところを自慢するし、落ち込んだらそばにいるし、諦めそうになったら隣で支えよう。それに言っておくが、実は私も相当面倒な男だぞ」
胸を張ったウルサに露華はとうとうこらえきれずふき出してしまった。
「承知いたしました。ならば私もウルサ様の美点を自慢いたしますし、辛いときはおそばにいます。倒れそうなときはもちろん隣でお支えいたします。ウルサ様の燃える思い、確かにいただきました」
露華は緋衣草に口づけを落とすと、それをウルサに差し出した。
「露華の燃える思い、確かに受け取った」
ウルサは受け取った緋衣草に口づけを落とすと、そのまま露華を抱き寄せた。そして月明かりの下、揺れる緋衣草の前で二つの影は一つに重なり……
翌日、雲一つなく晴れ渡った空の下。英雄王と黒真珠姫の盛大な結婚の儀は執り行われ、この佳き日、世界にまた一組の新しい夫婦が誕生した。
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