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黒玉の章 ~ジェット~
18.真実の愛
しおりを挟む「……は?」
「だから、鈍感ヘタレ王子って言ったのよ」
突如攻撃的になったアルビジアの様子にオルロフは何が何だかわからず、呆然と立ち尽くした。
「黄水仙と赤いアネモネ。多分だけど……本来はこれ、殿下に使いたかったんだと思うわ」
「俺に? ……気づかないうちに、俺はそこまであいつに嫌われていたのか」
どんよりと落ち込むオルロフにアルビジアは呆れのため息をつくと、きっぱりと否定した。
「違います。いいですか? 花言葉は一つの花に一つだけ、というわけではないんです。たとえば黄水仙。これは、私のもとへ帰って、もう一度愛して、そして『愛に応えて』です」
黄水仙の花言葉を聞かされたオルロフは決まり悪そうな顔をすると、アルビジアから視線を逸らした。アルビジアはそんなオルロフを見て、心の中で「やっぱりお前が原因か、このヘタレ王子が」と再び悪態をつく。
「あとアネモネ。それも、赤色のものだけが持つ花言葉。それは『君を愛す』です」
アルビジアから視線をそらしたまま拳を固く握りしめ、オルロフはぽつりと「俺が拒否……したからか」と呟くとうつむいた。
と、その時。夜の香りが風に運ばれてきた。部屋の中の者全員、はっとしたように風が吹いてきた方に顔を向ける。すると、露台に面した両開きの窓がいつの間にか開け放たれおり、夜風にレースのカーテンが踊っていた。
「お取込み中、失礼しますよぅ」
緊張感のない間の抜けた声と共に現れたのは、一匹の鮮緑色の蛙。額に深紅の宝石を頂き、背に蝙蝠のような赤い羽根を生やし、二足歩行で人のように振る舞う蛙。
「どーもぉ、夜分遅くに失礼しますよぅ。ご主人……えっと、百花の魔法使いの使いで来ましたよぅ」
場の空気を一切読まないマイペースな蛙もどきは、間延びした声で喋りながらペタペタと器用に歩き、オルロフの前まで来ると立ち止まった。
「この中で一番魔力を持ってるのは、あなたですよねぇ。だからぁ、ハイ」
蛙もどきは、いくつもの小さな花を咲かせる青い花を差し出してきた。
突然正体不明の謎生物が差し出してきたもの、当然オルロフは受け取りを拒否した。
「お前の言うことを信じるならば、それは百花の魔法使いからなのだろう? 何が仕込まれているかわからないそんなもの、易々と受け取るわけないだろう。そもそも本当に責任を感じているというのなら、本人が来るべきじゃないのか?」
「残念ながらぁ、ご主人は今、事情があってここには来られないんですよぅ。でも、今回のこともちゃんと責任を感じてるからこそ、こうして私が代理でこれを持って来たんですってばよぅ。信じてくださいよぅ」
蛙もどきは大きめの猫ほどの体を精一杯伸ばして、何とかオルロフに青い花を受け取ってもらおうと主人をフォローする。
「そのお嬢さん、助けたいんでしょう? だったら、受け取ってくださいよぅ。早くしないとぉ、お嬢さん、本当に死んじゃいますよぉ」
ぐいぐいと脛に花を押し付けてくる蛙もどきの、「死んじゃいますよぉ」という縁起でもない言葉にオルロフの心は揺れる。そして何回かのやり取りの後、オルロフは蛙もどきの羽根をつまむと自分の顔の高さまで持ってきて、その手から奪うように青い花をひったくった。
「この花は……」
オルロフは手の中の青い花をじっと見つめながら、今まで聞いたことのある百花の魔法使いに関するうわさを思い出す。
伝え聞くうわさが真実ならば、ヤツの起こした事件で死人が出たことはない。ただ、迷惑をまき散らしただけだ。それにこの蛙もどきが言っていることが真実ならば、ミオソティスにはもう時間がない。
そこまで考えると、オルロフは覚悟を決めた。
「いいだろう、信じてやる。だからさっさと方法を教えろ、蛙もどき」
「蛙もどきって、ひどいですよぅ。私は蛙もどきじゃなくてカーバンクルですよぅ」
「お前の種族名に興味はない。さっさと自分の使命を果たせ、蛙もどき」
「もう、いいですよぅ、蛙もどきで。じゃあ、まずはお嬢さんの手にこの花を握らせて、その手をあなたが握って、そんで発動の言葉を言うんですよぅ」
「簡単でしょう?」と得意気に言うと、蛙もどきことカーバンクルはケロケロと喉を膨らませながら笑った。
「その言葉ってのは、なんだ?」
「今回の場合はぁ、『真実の愛』ですよぅ。あっ、その花を持っている間は絶対口にしないでくださいよぅ。私にかけられても困っちゃいますからねぇ」
オルロフは苦虫を噛み潰したような顔で一睨みすると、ケロケロと笑うカーバンクルを放り投げてミオソティスの元へと向かった。
「ねえ、カーバンクルさん。どうしてキーワードが『真実の愛』なの? 花言葉なら、花蘇芳の『目覚め』とかの方がいいんじゃない?」
放り投げられてひっくり返っていたカーバンクルに手を貸しながら、アルビジアが不思議そうに問いかける。
「それはぁ、ご主人の趣味ですよぅ! あと花蘇芳はぁ、ちょっと扱いが難しいんですよぅ」
「ふーん……。まあ、ティスが助かるのなら何でもいいんだけど。でも、真実の愛でどうやって助けるの?」
「それはまあ、見てからのお楽しみってやつですよぅ」
そう言うとカーバンクルはケロケロと喉を膨らませ、オルロフの方を見てほくそ笑んだ。
一方オルロフはベッドの前に跪くと、ミオソティスの手をそっと取った。
艶やかな濡羽色の髪をシーツの海に泳がせ、身動ぎ一つせず眠り続ける美しい少女。長い睫毛に縁取られた空色の瞳は固く閉ざされ、血の気の引いた肌は白く冷たかった。温もりを感じさせないその姿はまるで人形のようで、見つめていると、オルロフは心臓がきりきりと締め付けられるような気がしてくる。
気を取り直し、オルロフはカーバンクルに渡された小さな青い花をミオソティスの手に握らせた。そして、その小さく冷たい手に己の温もりを分け与えるように包み込み、言葉に魔力を乗せる。
「……真実の愛」
皆が固唾を飲み見守る中、オルロフが花言葉に魔力をのせ呟いた。
――が、しかし、何も起こらなかった。
皆が呆然とする中、部屋の中にオルロフの怒りに震える声が響き渡る。
「おい、蛙もどき! これは一体どういうことだ!!」
怒るオルロフにカーバンクルはけろりとした様子で、「ああ、言い忘れてましたよぉ」と自分の額をぺちんと叩いた。
「キスしてくださいですよぅ。兄さんがお嬢さんに目覚めの口づけをしてぇ、それでこの魔法は完成するんですよぅ」
その言葉にオルロフは固まり、フォシル夫妻は困惑し、アルビジアは半眼でカーバンクルを睨んだ。
「カーバンクルさん。あなた、わざと言い忘れたんでしょう」
「嫌ですよぅ、ただのウッカリですよぅ。でもぉ、これでうちのご主人の夢見がちな趣味がわかったでしょう? 物語の定番、目覚めのキス! お姫様を助けるのは王子様の真実の愛、ってやつですよぅ」
怒りと恥じらいに顔を赤くするオルロフに向かい、カーバンクルは嬉しそうに「さあ、いっちょチューっとやっちゃってくださいよぅ」とケロケロ囃し立てる。
そんなカーバンクルにアルビジアは生温い眼差しを向けた後、オルロフに「何でもいいから早くティスを助けてください」と駄目押しをした。
「わ、わかってる!! くそっ……覚えてろよ、百花の魔法使いとそこのクソ蛙もどき!」
真っ赤な顔でカーバンクルに悪役の捨て台詞のようなことを言うと、オルロフは再びミオソティスに向き合った。その視線はおのずと、ミオソティスの薄い桜色の唇に引き寄せられる。
「これは人助けだ。不可抗力で仕方ないことなんだ。そ、そもそもキスくらい、別に大したことじゃないしな! そう、大したことじゃない。これは人助け、人助け、人助け…………」
しばらくぶつぶつと独り言を言っていたオルロフは覚悟を決めると、右手はミオソティスの手に添えたまま、左手を彼女の頬にそっと添えた。
徐々に近づく二つの影。やがてその影が一つに重なった時、二人の手の中の青い花から光があふれだした。
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