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藍玉の章 ~アクアマリン~
14.夜さりの逢瀬
しおりを挟む翌日、空がすっかり群青色に染まったころ。マーレはパーウォーに送ってもらい、カエルラの町に戻ってきた。
見るも無残だったマーレのざんばら髪はパーウォーによってきれいに整えられ、今は彼が頭を動かすたびにさらさらとあごのあたりで揺れていた。
「いい? くれぐれも無茶しちゃダメよ」
「わかってるよ。もう、パーウォーさんってば心配性なんだから」
「心配性っていうか、マーレちゃんの『わかってる』と『大丈夫』は信用ならないのよ」
「ひどいなぁ。大丈夫だって。とりあえずは会ってくるだけだからさ」
心配顔のパーウォーに、マーレはへらりとした笑顔を返す。けれどすぐにその笑みを消し、今度は少し困ったような笑みを浮かべた。
「大丈夫、本当に大丈夫だから。ただ会って、ちょっと確認してくるだけ。今の僕にはまだあの子を助ける力がないのはわかってるし、だから無茶はしない。心配してくれて、ありがとう」
「ううん、こっちこそごめんなさい。わかってはいるんだけど……つい」
なおも心配そうなパーウォーにマーレは大丈夫だと笑うと、一気に薬をあおりそのまま領主の館へと向かった。
※ ※ ※ ※
静まり返った暗い廊下の片隅、マーレはヘムロックが部屋から出てくるのをじっと待っていた。姿が見えないとはいえ触れられてしまえばわかるし、動けば音も出る。だからただひたすら、じっと息を殺し待ち続けた。
月が中天に差しかかろうとする頃、ようやくヘムロックがその姿を現した。彼は迷いなく廊下を進むと、慣れた手つきで秘密の扉を開ける。扉はマーレが滑り込むと同時に閉まった。確認のためか、ヘムロックが一度ちらりと振り返る。その視線に、一瞬どきりとするマーレ。しかしヘムロックは再び視線を戻すと、何事もなかったように階段を下りていった。
潮だまりの牢獄には、あの日と同じように濃い魔力が満ちていた。むせかえるような甘い魔力に、マーレの意識も持っていかれそうになる。
そんな歪な空間で、今夜もヘムロックは浮かれたように一方的に話していた。相も変わらず、彼女に一方的に語りかけるヘムロック。
マーレは彼女へ語りかけるのに夢中なヘムロックの服からそっと鍵の束をくすねると、こっそりと部屋の隅へ。そしてパーウォーからもらった魔道具で素早く鍵を複製すると、鍵束を再びヘムロックへと戻した。
その後、結局どれだけヘムロックが語りかけても、あの人魚の娘が顔を出すことはなく。やがて諦めたのか、彼はやれやれと肩をすくめると引き上げていった。
しばらくすると水面が小さく盛り上がり、人魚の娘が恐る恐る周りの様子をうかがいながら頭を出した。そして誰もいないことを確認すると、彼女は鉄格子に向かって手を伸ばす。けれど、頑丈な扉は彼女の力などではびくともせず、ガチャガチャと不快な音をたてるだけ。
「さすがに、この扉を素手で開けるのは無理だと思うよ」
何もない空間から突然降ってきたマーレの声に人魚の娘は驚き、目を見開くと慌てて辺りを見回した。けれど薬で姿を消したマーレの姿が見えるはずもなく、人魚の娘は戸惑いを浮かべる。そしてはっと口元を両手で覆うと、悲し気に眉を曇らせた。
「石人の吟遊詩人さん、ですよね? まさかそんな……死んでしまったなんて」
姿の見えないマーレを、死んで魂だけになってしまったと盛大に勘違いする人魚の娘。そんな彼女にマーレは慌てて説明する。
「待って、早とちりしないで! 僕は生きてるよ。これは魔法使いからもらった薬で、一時的に姿を消しているだけなんだ」
「生きて、る? ……よかった。本当に、よかった」
本当に心の底からほっとしたのか、人魚の娘はふわりと花がほころぶような笑みを浮かべた。そんな彼女の笑顔に、マーレの心臓が大きく跳ねる。
「でも、どうしてまたここへ? あなたにとって、ここや私は、忌まわしいものではないのですか?」
「確かめに来たんだ」
不思議そうに問う人魚の娘を見てくすりと笑うと、マーレは鉄格子のそばの岩に腰をおろした。
「ほんの数日一緒に歌っただけなのに、きみのことがずっと気になって仕方ない。すごくもやもやする。だから、確かめに来た」
「それだけのために魔法使いの薬まで使ったのですか? 魔法使いへの依頼は、何かしらの代償を必要とすると聞いたことがあります。そこまでして、どうして……」
困惑の色を浮かべる人魚の娘と同様、マーレも眉を八の字にしてうなっていた。
「それだけっていうけど、僕にとっては初めてなんだ、こんな変な気持ち。何だかわからないけど気になる、考えちゃう、とにかくもやもやする。捕まってる間も、頭に浮かぶのはきみのことだったよ」
まるで子供のようなマーレの物言いに、人魚の娘から思わずといった笑みがこぼれた。それを見たマーレはきょとんと首をかしげる。
「石人さん……って、いつまでもこの呼び方は変よね。私はリーリウム。マルガリートゥム王の六番目の娘、リーリウムよ。あなたのお名前は?」
「僕の名前はマーレ。でも、驚いたな……」
ヘムロックがあれほど知りたがっていた名前、それをリーリウムはマーレ相手にあっさりと教えた。そのことにマーレが驚くと、リーリウムはくすくすとおかしそうに笑う。
「それはそうよ。だって私、あの人嫌いだもの。私をこんな狭い場所に閉じ込めて、いくら言ってもわけのわからないことばかり返してきて、私のお願いを全然聞いてくれないんだもの!」
つんとあごをそらし、不満げに口を尖らせるリーリウム。これがあの儚げに嘆いていた人魚姫なのかとマーレが驚いていると、リーリウムはくすりといたずらっぽく笑った。
「あの人の前と今、ずいぶん態度が違うなって思っているのでしょう? それはそうよ。だって、あの人の前でしおらしくしていたのは演技だもの。魔力も使って魅了して、なんとか言うことを聞かせようと誘導していたんだけど……全然ダメ。あの人、魅了はされているのに、私の言うことは聞いてくれないの」
「やっぱり魅了の魔法を使ってたんだね。変だと思ったんだ、マクラトゥム様の様子。でもさ、だったら魅了の魔法、解けばいいんじゃないの?」
呆れ顔のマーレに、リーリウムは首を振りため息を返す。
「だめなの……あの人、魅了が解けても私をここから出してはくれないの。何を言っても、返ってくるのは『愛してる』とか『人間にしてあげる』とかいう意味不明な答え。確かに人間に恋をして人間になった人魚たちもいるわ。私のおじい様の娘の中にもいたって聞いたことあるもの。でもね、私はあの人を愛してもいないし、人間になりたいなんてかけらも思ってない」
憤慨するリーリウムに、マーレは思わず笑みをこぼす。そんなマーレの気配を察したのか、リーリウムはますます不満げに顔をしかめた。そんな彼女を見てマーレはひどく幸せな気分になり、とうとう笑い出してしまった。
「ひどい、なんで笑うの! 私は真剣にここから出る方法を考えているのに」
「ごめん、ごめんね。素のリーリウムは、ずいぶんとはっきりものを言うんだなぁって思ったら、あの儚げな演技がおかしくなってきちゃって。うん。でも僕は、こっちのリーリウムの方が好きだな」
何気なく放たれたマーレの言葉に、リーリウムの頬が撫子色に染まる。
「もう、からかわないで! さすが吟遊詩人さんは口がうまいのね。そうやって何人もの女の子の心を弄んだのでしょう? でも残念、私はだまされないから」
「からかってなんてないよ。僕は思ったことを口にしただけ。リーリウムのそういう意地っ張りな子供みたいなところとか、意外としたたかだったところとか、くるくる変わる表情とか……全部、好きだよ」
今は声だけといえ、リーリウムはマーレの顔を知っている。あの美しい顔でこんな台詞を言っているのかと想像した途端、もうだめだった。体中の血が顔に集まってしまったのかと思うくらい頬が熱くなり、ものすごく恥ずかしく、そしていたたまれなくなる。
「もう……もう! からかっていないって言うんだったら、それはまるで、『恋をしている』と言っているみたいよ」
悔しまぎれに放たれたリーリウムの一言。その一言に固まるマーレ。
――恋をしている
リーリウムを見ていると楽しくて嬉しくて、マーレの心はくすぐったくなる。気になって気になって仕方がない。彼女の新しい一面を見るたびにわくわくして、怒る顔やすねる顔でさえかわいくてずっと見ていたくなる。もっと知りたい、もっと知ってほしい、きれいな部分だけじゃなくて、もっとどろどろした部分も見てみたい……なにより、ずっと一緒にいたい。
気持ちを自覚した途端、マーレの心に湧き上がったのは強烈な欲求。そして、酔ってしまいそうな多幸感。
「そうか……そうなんだ。これが恋、なのか」
「え? ちょっと、真に受けちゃうの!? 違う、違うの、ほんの冗談のつもりだったの」
真剣に受け止め考え込むマーレの声に、リーリウムは慌てて否定する。けれど、一度自分の気持ちを自覚してしまったマーレにはもう、この気持ちの正体がなんなのかわかってしまった。
「見つけた……僕の、半身!」
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