貴石奇譚

貴様二太郎

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変彩金緑石の章 ~アレキサンドライト~

 5.よみがえる悪夢 前編

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「ここ……どこ?」

 目の前に広がる光景に、唖然と立ち尽くすミラビリス。
 鬱蒼うっそうとした不思議な形の木々の間からかすかに降り注ぐのは、淡い月の光。

「すまない。おそらく私のせいだ」

 肩を落とし、大きなため息をこぼしたカストール。彼はミラビリスの隣に立つと、森を見渡しながら苦虫を噛み潰したような顔をした。

「どういうこと?」
「私の加護の力『秘めた思い』は、ものに残された記憶を読み取ることができる力なんだ」
「じゃあ、もしかして……これ、ハイドランジアの記憶?」
「ああ。ここは、極夜国ノクスの森。まさかあのハイドランジアの遺体が保存されていたとは思わなくて、ちょっとした好奇心から覗いてみようかと思ったのだが……すまない。うっかりきみ諸共、彼女の中に引きずり込まれた」

 うなだれるカストール。その前を、銀色の髪の少女が駆け抜けた。

「とりあえず、今は彼女を追おう。記憶の再生……というより追体験か。とにかく行こう!」
「え、ちょっ、待ってってば! 何が何やら、さっぱりわかんないんだけど!」

 カストールは有無を言わさずミラビリスの手を取ると、木々の間を結構な勢いで駆けていく石人の少女――ハイドランジア――を追い始めた。

 ――半身って何なのよ!

 唐突に、鮮明に。いきなり頭の中へと流れ込んできた知らない声に驚くミラビリス。そんな彼女に顔だけ向けると、「心配ない」とカストールが笑う。

「これも、私の力なんだ。彼女の思考が、全部声として聞こえてくる。最初に追体験だって言っただろう?」
「人の心を覗くってこと? じゃあ、その力を使えば、私の考えてることとかも……?」

 反射的に手を離そうと引いたミラビリスに、カストールが慌てて申し開きをする。

「いや、それはない。この力は、生きているものには使えないんだ。あくまで、魂のないものにしか使えない力なんだ」

 カストールの答えに、ミラビリスの肩からあからさまに力が抜けた。なんだかんだ言いながらも都度正直で素直な反応を返すミラビリスに、カストールが抑えきれない笑いをもらす。

「な、なんで笑ってるのよ!」
「いやぁ、ミラビリスは素直でかわいいなぁと思って」

 子ども扱いした相手に子ども扱いされ、ミラビリスは頬を膨らませる。そういうところがからかわれる原因なのだが、知らずは本人ばかり。

「あなた、性格悪いって言われない?」
「ひどいなぁ。でもそういえば、まだ極夜国ノクスで魔術師修行してた頃……一人だけいたクソかわいい弟弟子おとうとでしが、『底意地悪い』とか言ってくれてたな。あんなにかわいがってやってたのに」
「やっぱり性格、悪いんじゃない。その弟弟子さん、かわいそうに」

 意識だけだからか、いくら走っても息が切れなので、二人は銀色の少女を追いながら軽口をたたきあう。

 ――私の何がだめだったの? なんでぽっと出の半身なんて女に、あの人を取られなきゃいけなかったのよ!!

 前を走る少女。どうやら彼女の心は大荒れのようで、ミラビリスとカストールにもその怒りと悲しみが強く伝わってくる。

「これは……恋人に新しい女ができてフラれたってこと?」
「どうやら、恋人に半身が見つかってしまったみたいだね。半身は仕方ない。こればかりは、私たちにはどうにもできない。彼女も、自分の半身を見つければわかるだろうけど」

 ミラビリスはカストールの答えに、納得できないと口を尖らせた。石人でない彼女には、カストールたち石人の半身に対する感覚が理解できない。

「石人って、そんな簡単に心変わりしてしまうものなの?」
「いや、半身だけが特別なんだ。半身に対する執着だけは、理性なんかじゃどうにもならない。それこそ相手が死んでしまったら、生きていけないくらいに……」
「……ねえ。石人のそれって、本当に相手を愛しているの?」

 ミラビリスの問いに、初めてカストールが言葉に詰まった。二人の間に、重い沈黙がおりる。

 ――私だって見つけてやるんだから! こんな思いするくらいなら、もう半身以外いらない!!

 怒りと悲しみをまき散らしながら、ひたすら森を駆ける少女。彼女に合わせて流れる風景がどんどんと切り替わり、鬱蒼うっそうとした森だった場所は、いつの間にやら太陽の光が降り注ぐにぎやかな街角に一変していた。
 噴水に腰かけ、竪琴を奏でながら歌うハイドランジア。物悲しい旋律に、彼女の美しい歌声が重ねられる。

 目を閉じればよみがえる
 懐かしき我が故郷
 月明かりに包まれた
 美しき我が故郷
 
 魂の欠片かけらを求め彷徨さまよ
 当てのないこの旅路
 夜空に浮かぶ月だけが
 故郷と私を儚く繋ぐ

 ハイドランジアの奏でる旋律に、ミラビリスの心臓がきゅっと締め付けられる。懐かしいような、切ないような。ミラビリスはこみ上げてきた気持ちを、そのまま素直に言葉にした。

「なんか、切ない歌だね。でも、懐かしいような気もする。初めて聴いたけど、いい歌だね」
月華げっかの故郷。半身を求め故郷を旅立つ石人たちを見て作られた歌、だそうだよ。極夜国では、子守歌代わりに歌われるくらい馴染み深い歌なんだ」

 ハイドランジアの歌に、懐かしそうに耳を傾けるカストール。そんな彼の姿に、ミラビリスの中にちりりとした羨望せんぼうがにじむ。

「故郷か……いいね。懐かしいって思える場所があるって、すごく羨ましい」

 ミラビリスにとって、カエルラは故郷とはいえなかった。あそこは捨てられた場所であり、辛い子供時代を送った記憶が強い。むしろ、トートと出会い過ごしたアルブスの方が故郷に近いだろう。けれど、そのアルブスもミラビリスの中では、故郷というものとは少し違うような気がしていた。

「ミラビリスにはないの? 懐かしさを感じる風景とか、匂いとか風とか」

 カストールの問いに、ミラビリスは改めて自分の記憶を辿ってみる。アルブス、カエルラ、ぼやけた母の顔、そして……

「森。いつも霧がかかっていた、けぶる森。なんでかわからないけど、昔から霧の森を見ると、懐かしく感じる」
「霧の森って、それはまるで――」

 カストールが言いかけたその時、ハイドランジアの前に一人の青年が現れた。

「石人の吟遊詩人か。珍しいな」
「人間の無礼者ね。特に珍しくもないけど」

 一見いっけん、儚げで庇護欲をそそるハイドランジア。そんな彼女の口から飛び出した辛辣しんらつな返しに、青年の眉がわずかに上がった。

「失礼いたしました、お嬢様レディ。私はクピディタース・サーシス・チネンシス。貴女の美しい姿と声に引き寄せられた、愚かな男です」

 最初の高圧的な態度から一転、クピディタースは慇懃いんぎんな物腰でハイドランジアに頭を下げた。蘇芳色すおういろの髪がさらりと滑り、青年の美しい顔に華やかないろどりをそえる。その姿は物語から抜け出してきた貴公子のようで、初心うぶな乙女ならば恥じらいに卒倒してしまいそうな破壊力があった。
 けれど、ハイドランジアはそんな美しい男を見ても眉一つ動かさず、ただじっと見定めるように彼を見上げた。そしてため息をつくと、期待外れだと言わんばかりに首を振った。

「せっかく名乗ってもらって悪いんだけど…………あなたは違う。私の探してる人じゃない」
「貴女の探している人とは?」
「半身よ。私はもう、半身以外いらない。だからあなたとは初めまして、そしてさようなら」

 けれど、そんな取り付く島もないハイドランジアの態度が物珍しかったのか、クピディタースは本格的に彼女にかまいだしてしまった。

「あのクピディタースって人……相手が逃げれば逃げるほど、そっけなくされればされるほど、燃え上がる系統の人間と見たわ」
「なんだか親近感を覚えるね。私もミラビリスに関しては、まったく引くつもりがないからなぁ」

 嫌そうな顔でクピディタースを評したミラビリスに、カストールは自分も同じだと笑った。

「しつこいのは嫌われるわよ」
「諦めないことで、もしかしたら希望が生まれるかもしれないよ?」

 そんな二人のやり取りの間にも、周囲の景色はめまぐるしく変わっていく。逃げるハイドランジア、追うクピディタース、何度もかわされる二人のやり取り。

「それにしても、ハイドランジアはなんでクピディタースが半身じゃないってわかったのかしら? だって、彼女だってまだ、半身とは会えてないんでしょ?」
「何も感じなかった、だからじゃないかな? 私の場合は、事前にきみの居場所を教えてもらっていたからすぐ確信できたっていうのもあるけど……」
「は!? 教えてもらったって、いったい誰に――」

 瞬間、ミラビリスの心を駆け抜けたのはぞくぞくとした狂喜。欠けていたものがぴたりと埋まり、世界は霧が晴れるように鮮やかに色づき始めた。

 ――見つけた! 見つけた(見つけた)見つけた!!

 ハイドランジアの歓喜の声、けれど、それはなぜか二重に聞こえて。ミラビリスとカストールは思わず顔を見あわせたあと、改めてハイドランジアを見た。けれど、どんなに見つめたところで見えるのは、喜びに打ち震える彼女の姿だけ。
 ミラビリスとカストールの視線はそのままハイドランジアに導かれ、今度は月明かりも届かない路地裏へと移動する。

「ねえ! あなたの名前、教えて」

 暗がりにしゃがみ込むハイドランジア。その目の前、石畳の上に座り込んでいたのは、まだあどけなさの残る顔を腫れあがらせた少年。

「……変なやつだな。この状況で名前とか聞くか? そこは普通、『どうしたの?』とか『しっかりして!』だろ」

 少年はぽかんとした顔でハイドランジアを見上げたあと、盛大に眉をひそめた。

「じゃあ、どうしたの? はい、名前は? あなた、不思議な目をしているのね。もしかして、石人の血を引いてない? あ、私はハイドランジアよ。よろしくね」

 矢継ぎ早に、一方的に言葉を重ねるハイドランジア。一方少年は、そんな彼女の怒涛の勢いに気圧されるばかり。やがて少年はがくりとうなだれると、何かを諦めたかのような深いため息をついた。

「…………はぁ。ま、いっか。石人の血? 引いてるよ。この左目は、死んだばあちゃんそっくりだって言われてる。石じゃないけどな」

 顔を上げた少年の虹彩こうさいは、すみれ色と蜂蜜はちみつ色とが交じりあいながらも調和した、不思議な瞳だった。

「初めて見た。左右の色違いじゃなくて、一つの瞳に二色以上の虹彩異色症ヘテロクロミア。すごく、きれい……」

 思わずこぼれたミラビリスのつぶやきに、カストールが答える。

「彼の代には血が薄れて、貴石の瞳はもう発現しなかったんだろうな。色彩だけが伝わったんだろう」
「石人の血って、そんなにすぐ薄れてしまうものなの? 隔世遺伝かくせいいでんとかは?」
「どうだろうね? 私もそんなに詳しくはないから。極夜国を出ていってしまった石人たちはまず戻ってこないし、極夜国には純粋な石人以外いないし……」

 カストールが言いよどんだその時、ハイドランジアは少年の目元に指をはわせるとうっとりとつぶやいた。

「きれい。とても、きれい」
「気持ち悪くないのか? だって、こんな目のやつなんて……って、アンタは石人だからか。…………でも、ありがとう」

 少しだけ泣きそうな顔でくしゃりと笑った少年。けれど、初対面の少女にそんな顔を見せてしまったことに照れたのか、彼は顔を隠すようにうつむいてしまった。

「変なの。だって、きれいじゃない! まるで三色菫パンジーみたいで素敵だと思うわ。この色合いからすると、あなたのおばあさまの守護石は紫黄水晶アメトリンだったんじゃない?」
「さすが石人、当たりだよ。まあ、それはいいや。えっと、俺の名前知りたいんだっけか? 俺はプルウィア。プルウィア・レペンティーナ」
「プルウィア・レペンティーナ……ということは、私はハイドランジア・レペンティーナになるのね!」
「はぁ?」

 一人で盛り上がるハイドランジアに、プルウィアはただ呆気にとられるばかり。しかし無邪気に喜びを表す彼女に、彼の口もとも次第に緩み始める。そして出会って間もないというのに、二人の心は急速にひかれあっていった。
 
 
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