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変彩金緑石の章 ~アレキサンドライト~
16.別離、そして再会
しおりを挟むどこからどうみても、ただの鬼灯。マレフィキウムの魔法を初めて見るミラビリスは、つい訝し気に彼を見上げてしまった。
「きみ、完全に僕のこと見くびってるでしょ。表情わからなくたって雰囲気でわかるからね! ……まったく、いったい誰のおかげで今ここにこうやって立ってると――」
「百花の魔法使い、これの使い方は?」
マレフィキウムの小言をカストールが素早く遮る。
「ああ、この鬼灯の効力は『ごまかし』。こいつに魔力を注いだらごまかしたい対象にくっつけて、何に偽りたいか思い描いて。光が灯れば偽装完了。あとはその光が消えるまではごまかせるから」
「見破られないですかね……? セーピオーティコンには魔術師も学者もたくさんいますよ」
「こんなだけどこいつは魔法使い。その辺の魔術師に見破られるなんてまずないよ。それと、実際に魔法を発動させるのは私がやるから心配しないで。こいつがやったら失敗するかもしれないけど、私なら問題ないから」
あまりの言われように思わず肩を落とすマレフィキウムに、カストールが意地悪い笑みを送る。そんな二人の悪友のようなやりとりに、いつの間に仲良くなったんだろう? と、嬉しいような寂しいような、一人複雑な気分になるミラビリス。
「もういいや。じゃ、解読よろしくね。終わったらこの封筒に魔力込めて便箋入れてくれればいいから。……たぶん」
ミラビリスが抱える文書の上に、またもや無造作に放り投げられたのは一組の封筒と便箋。真っ白な便箋にあしらわれていたのは、鮮やかな紫の押し花。花弁の根元、黄色の網目模様が目を引く優美な花だった。
「たぶんってお前……本当に術の操作が壊滅的に下手くそなんだな」
「ほっといてよ! 花言葉は一つの花に何種類もあるから難しいんだよ!!」
すねるマレフィキウムを無視してカストールは便箋を手に取る。
「で、これの花言葉は何なんだ?」
「これは綾目。花言葉は『よい便り』。魔力を注いで封筒に入れてくれさえすれば、勝手に僕のところに届くようになってる……はず」
「頼りない魔法使いだな。まあ、これが届こうが届くまいが、私たちに不利益はないからどうでもいいがな」
「きみ、ほんと言いたい放題だねぇ。じゃあ僕は行くけど……それ、持ち逃げはだめだよ! 言っておくけど、逃げたら代わりの代償取り立てに行くからね!!」
借金取りのような台詞を残し、マレフィキウムは霧の森の中へと消えていった。
「ちゃんと帰れるのかな? ここへ来るときは、パーウォーさんの道具がないと無理だったけど」
「おそらくだけど、入るのは制限されているが、出るのは制限されてないんじゃないかな。これで戻ってきたらアイツ、本当にただのポンコツ決定だな」
散々な言われようのマレフィキウムだったが、その後しばらく経っても彼が戻ってくることはなかった。いよいよ森へと向かって歩き始めた二人。けれど、少し歩いたところでミラビリスは立ち止まると、ゆっくりと振り返った。
「もしも。もしも、いつか。また、ここへ来る日が来たとしたら……」
無意識に胸元に泳いだ手に思わず苦笑いをこぼし、ミラビリスはその手を固く握った。
「そのときは、必ず自分の意思で来ます」
薄暮の下、影絵の森に囲まれた屋敷に誓いの言葉を置いて。
※ ※ ※ ※
森は入るときとは違い、出るときはあっという間だった。足を踏み入れた瞬間離れ離れになってしまった二人だったが、すぐに最初に入った森の入り口で再会。再会できたのは喜ばしかったのだが……
「ねえ、カストール。あなた、旅支度ってしてきた?」
「研究所に捕まるために浮浪児のふりしてたから……残念ながら」
迷いの森から一番近い町はセーピオーティコン。次に近いのはアルブスだが、アルブスは海沿いの町。迷いの森からは馬車を使っても、およそ五日はかかる。森のどの位置から出たかによるが、まったくの反対側に出ない限りは、歩いていくのなら馬車でおよそ三日のセーピオーティコンしかなかった。
「カストールは月の光があれば食べ物の心配はないけど……問題は水、よね。さっきもらった分があるけど、二人分には到底足りないし」
「研究所からの脱出経路は確保してたんだけど、その後は勢いで来てしまったからな。水はまあ、氷の魔術でどうにかなるが……さて、どうしたものか」
だいぶ傾いてきた太陽を眺めながら途方に暮れる二人。こんな場所に用のある人間などそうそういるわけもなく、もちろん駅馬車も通らない。車や馬車などの乗り物があればまだしも、徒歩で今から町へと向かうのは自殺行為に等しい。
「もうすぐ日が暮れそうだし、とりあえず今日はもう動けないな。それに……」
地面を見つめながら何かを言いよどんだカストールは、すぐに顔を上げると目の前の森に視線を戻す。
「確か今日は愛の月、紅玉の日だったよな?」
「私が捕まったのが月長石の日だったから、一日経ってるならそうだと思う」
ミラビリスの答えにうなずくと、カストールは「運がよかった」とつぶやいた。
「じゃあ、私は火を起こす準備をしてくるから、ミラビリスはここで休んでて」
「え、私も手伝うよ! 疲れてるのはカストールも同じでしょ」
慌てて立ち上がろうとしたミラビリスの頭を押さえ、カストールは悪戯ぽっく笑った。
「きみの前でいい恰好したいんだ。察してくれると嬉しい。それに私は男で、これでもミラビリスより体力はあるんだよ。適材適所。これから頭脳労働を強いられるのはミラビリスなんだから、休めるときに休んでおいて」
あっという間にミラビリスを言いくるめると、カストールはさっさと森の周辺で枯れ木を集め始めた。
牢屋で起きて森で寝る。そんな波瀾に富み過ぎた一日を思い返した途端、ミラビリスの中にどっと疲れが押し寄せてたきたのも事実。それにあそこまで言われてしまうと、ミラビリスとしても動くのはかえって申し訳なく。結局そのまま、カストールの優しさに甘えることにした。
そしてすっかりと日が落ち、辺りが暗くなったころ。
「そろそろ、かな。ウィル、ちょっと来てくれ」
カストールの呼び声に、ウィルが耳飾りから出てくる。
「ねえ、何がそろそ――」
すると白い霧の向こう、森の中からガラガラとありえない音が響いてきた。
「ウィル、頼む! 石人の救難信号で」
「おう、なんかわかんないけど任せとけ!」
イグニス・ファトゥスの本領発揮とばかりに、ウィルは一際青白く燃え上がると明滅し始めた。すると馬のいななきのあと、霧の向こう、森の中から一台の幌馬車が現れた。
「やはりな! 助かったぞ、ミラビリス」
「なんで森の中から馬車が!?」
灰色の立派な馬に引かれた幌馬車が、二人の目の前に止まった。
「え~、何でこんなとこで石人の救難信号?」
御者台から降りてきたのは、茶褐色の守護石を持つ石人の若者。その姿を認めた途端、カストールが事情を説明するよりも前にミラビリスが飛び出した。
「ティグリスさん! ティグリスさんですよね!!」
「え、なんで僕の名前知ってるの? だってきみ人間……いや、亜人?」
「覚えてませんか? 昔、十八年前、カエルラからアルブスに運んだ子供のこと」
あごに手を当て首をかしげるティグリス。すると幌馬車の中からもう一人、紫の守護石を持つ若者が降りてきた。
「どうしたんですか、ティグリスさん。……って、ああ! きみ、えーと」
「ミラビリスです。お久しぶりです、ウィオラーケウスさん」
「そう! ミラビリス!! 大きく……なってないねぇ。あの頃とあまり変わってなくないかい、きみ」
ウィオラーケウスの正直すぎる感想に、ミラビリスは思わず苦笑いするしかなかった。和やかな雰囲気の二人、そこへ割って入ってきたのはカストール。どこか作ったような笑みを浮かべながら、彼はミラビリスを背に隠した。
「虎目石商会の方々ですよね? 私はカストール。半身を求めて、八十年ほど前に極夜国《ノクス》を飛び出した石人の一人です」
「八十年前というと、鎖国前に出て行った組ですね。驚いたでしょう、こんなことになっていて。……ところで貴方のその守護石、もしかして変彩金緑石ではないですか?」
恐る恐るといった風に訊ねたウィオラーケウスに、カストールは少し困ったように微笑んだ。
「はい、元クリソベリル公爵家の者です。とはいえ、もうあの家に戻ることはないですから、今はただのカストールですよ」
「もしかして、見つけたのですか?」
カストールの後ろにちらりと目をやると、ウィオラーケウスは「おめでとうございます」と破顔した。
「私の兄も半身を見つけたんです。……ただ、今は連絡が取れなくなってしまっていて。アルブスに住んでいたはずなんですが、十八年前に訪ねたときには半身共々姿を消してしまっていて。どこか別の町に越して、幸せに暮らしているのならいいのですが」
紫の双眸が伏せられ、場に少しだけ愁然とした空気が流れる。
「ところできみらさぁ、なんでまたこんなとこにいたの?」
そんな周囲の雰囲気など一切気にしないティグリスは、あっさりと話を戻した。
「まあ、色々ありまして……ここに置き去りにされて、途方に暮れていました。ですが幸運なことに、たまたま轍を見つけまして、もしかしたらと思って、あなた方が通ってくれるのを待っていたんです。昔と変わっていなければ、愛の月紅玉の日が仕入れでセーピオーティコンへ行く日でしょう?」
カストールがなぜ日にちを気にしていたのか、「運がよかった」とつぶやいたのか。ようやくミラビリスにもその意味がわかった。
こうして十八年前と同じように、ミラビリスは再び虎目石商会の馬車に揺られることとなった。子供の頃、歯車に導かれ乗った馬車。変わらない石人たち、そして自分の姿。ミラビリスの胸によぎるのは、かすかに苦い郷愁。姿は変わらずとも、こうして苦い思い出も懐かしめるようになった自分に確かな時の流れを感じ、ミラビリスから思わずといった自嘲の笑みがこぼれ落ちた。
「ねえ、カストール。姿は子供のままなのに、中身だけ年を取っていくってどんな感じなのかしら? 気持ち悪く、ない?」
唐突なミラビリスの問いにカストールは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに呆れたように笑うとミラビリスの手に自分の手を重ねた。
「そんなこと言ったら私たち石人なんて、みんな気持ち悪いよ。特に寿命の長い守護石持ちたちは個人差があるとはいえ、若い期間も長いからね。私だってもうすぐ百八十だっていうのに、いまだにこの外見だよ。それに言っただろう。石人の愛は狂気の沙汰だって。死をも分かち合う私たちの執着は、そんな些細なことでは揺らがないよ」
「そう、だったね。……あーあ。改めて私、すごい相手に見初められちゃったんだね」
「そうだよ。だからもう、ミラビリスはあきらめるしかないね」
「そっかぁ……。ありがとう、カストール。私、あなたが半身でよかった」
くすくすと、閉じられた世界で昏い幸せに浸る二人を乗せて馬車は進む。そして三日後、二人を乗せた馬車はセーピオーティコンの門をくぐった。
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