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百花の章 ~廻る貴石の物語~
15.咲き崩れる百花
しおりを挟む「わたしが願ったのは、私とファートゥムが一緒に家に帰ること。この金剛石と、みんなの遺灰の小瓶と……ファートゥムの、賢者の石を持って」
――賢者の石。
プリムラから出たその言葉で、マレフィキウムの目は瞬時に彼女の手の中のものへと釘付けになった。小さな手の中にあったのは、原石のままの青い金剛石、白い灰が詰められた硝子の小瓶、そしてこどもの拳くらいの赤く輝く石――
「代償は? ねえ、何を差し出しちゃったの?」
今にも泣きだしそうな顔でファートゥムが叫ぶ。けれど赤い石に釘付けのマレフィキウムには、もはやそんな彼の切羽詰まった声さえも耳に届いておらず。
「代償は、この体。死んだ後の、この体」
言葉の出てこないファートゥムに、プリムラはただ困ったように微笑んだ。そして小さい子にするように、よしよしと頭をなでる。
「でもね、あげるのは体だけ。魂はいらないんだって。だから、帰ろ。みんなで、マギーアへ」
「でも、期限って……」
「わたしは魔法使いレウカンセマムを素体に、愛玩用兼燃料として作られた量産型ホムンクルス。耐用年数は六年……期限っていうのはね、わたしの寿命」
プリムラの答えにファートゥムの顔が歪む。とっさに顔はふせたものの、彼の震える肩は心の内をそのまま表してしまっていた。
「せっかく会えたのに……小さいころからずっと、ずっと会いたかったんだ。それなのに、せっかく会えたと思ったのに、あと六年なんて……そんなの…………」
ファートゥムはプリムラが量産型ホムンクルスだということも、彼女の設定寿命が六年だということも、前世の知識で知っていた。けれどそれは、知っていただけだった。いざ本物のプリムラを前にしたとき、ファートゥムの中からそれらは全部吹き飛んでしまった。
代わりに彼を支配したのは、酔ってしまいそうな多幸感。出会えたこと、言葉を交わせたこと、触れられたこと……今ここにプリムラが存在している、その喜び。
そんな強烈な感情にさらされてしまったファートゥムにとって、知っていた、理解していたはずのホムンクルスの寿命は、今や理不尽なものにしか思えなくなってしまっていた。
「あと六年、じゃないよ。六年も、だよ。本当ならわたしたち、会うこともなかったはずなのに、六年も一緒にいられるんだよ!」
「もっと一緒にいたい。俺は、もっと一緒にいたいよ……」
わがままだとわかっていても止められないファートゥム。そんなファートゥムをプリムラが優しく抱きしめる。
「長い時間一緒にいられる方が幸せかもしれないけど、こうやって出会えただけでもわたしは幸せ。ね、だから泣かないで。これから六年、いっぱい笑って過ごそ」
「うん……うん。きみの時が止まるその瞬間まで、僕はプリムラの笑顔を守るって誓う」
「約束だよ。わたしもファートゥムの笑顔を守るから、今度こそずっと一緒にいてね」
泣き笑いで抱き合う少年と少女。そんな二人にオルロフは少しの憐憫と祝福の眼差しを、マレフィキウムは――――
※ ※ ※ ※
夕方、無事戻ってきたマレフィキウムの姿にパエオーニアはほっと胸をなでおろした。
新たに加わったプリムラを紹介してもらい、ファートゥムたちからエテルニタスのところでのいきさつを聞かせてもらい……。けれどそんな賑やかで楽しい談笑の間も、どこか心ここにあらずなマレフィキウムの様子にパエオーニアの中では不安がその影を濃くしていた。
そして深夜。皆が寝静まり、静寂が我こそはと権勢をふるう時間。
「……ア」
浅い眠りの中を揺蕩っていたパエオーニアを、愛おしい声がすくいあげる。
「起きて、ニア」
パエオーニアが重いまぶたをようよう上げると、彼女のぼやけた視界に飛び込んできたのはマレフィキウムの満面の笑みだった。
そう、満面の笑み。とても嬉しそうで、普段のパエオーニアなら自分も嬉しくなって、つられて笑ってしまいそうなほどの満面の笑み。けれど今、その浮かれ具合は逆にパエオーニアをひどく不安にさせた。
「どうしたの、こんな夜中に?」
不安を紛らわすため、パエオーニアは無邪気を装ってマレフィキウムに微笑みかけた。
「見つけたんだ」
マレフィキウムの笑みが輝けば輝くほど、パエオーニアの不安はその闇の色を濃くしていく。
「見つけたって、何を?」
深まるマレフィキウムの笑み。深まるパエオーニアの不安。
「ニアの願いを、叶える手段」
笑う彼の手に握られていたのは、赤い石と赤い果実。血のような石と果実は、生命の力強さと同時に、言い知れぬ不吉さをもかもし出していた。
「レフィ!! だめ、その石はファートゥムとプリムラの大事なものだって言ってたじゃない!」
パエオーニアの必死な叫びも今のマレフィキウムには届かない。喉から手が出るほど欲していたものが、偶然にも手に入ってしまったから。たとえそれが正当な手段で手に入れたものではないとしても、今、手の中に存在してしまっていたから。
「カーバンクル! ロビン、ケット・シー!! 誰か、誰でもいいからレフィを止めて!!!」
ありったけの大声で助けを呼ぶパエオーニア。けれど、辺りは不自然なほどに静まり返っていて。
「大丈夫、きっとうまくいく。この柘榴の実の『希望の成就』と賢者の石で、ニアの願いは僕が叶えてみせる」
そう笑ったマレフィキウムの手から、白い雛罌粟がはらりと落ちた。
「百花の魔法使いマレフィキウムの名にかけて、パエオーニアの望みを叶えるため、希望の成就の実『柘榴』の加護を与えることを誓う。足りない分は、この賢者の石から持ってって! 百花繚乱の未来を来らしめよ」
「だめ!!」
暴走したマレフィキウムはパエオーニアの制止も聞かず、宣誓の言霊をもって魔法を発動させてしまった。そんな精神状態で魔法を使えばどうなるのか……もともと魔法の制御という面で大きな不安を抱えているマレフィキウム。その結果は、火を見るよりも明らかで――
「レフィ!!」
マレフィキウムの手の中の柘榴が、乾いた血のような赤黒い朱殷の輝きと共に砕け散った。
「な……んで」
糸の切れた操り人形のように、ぐにゃりと傾くマレフィキウム。彼はそのまま近くの棚へ派手に体をぶつけると、受け身も取れずに床へと倒れ込んだ。ガチャガチャと降り注ぐ小物の雨。けれどマレフィキウムは目を閉じたまま、まるで死んでしまったかのようにぴくりとも動かない。
「レフィ、レフィ!! お願い、目を覚まして! 誰か……誰かぁぁぁぁぁ!!!」
世界と自分を隔てるガラスに拳を叩きつけ、泣いて助けを呼ぶことしかできないパエオーニア。己の無力さを呪うように叩きつけていた拳の向こう――ふと、そこにあるものが彼女の目にとまった。
「あれ、は……」
マレフィキウムの周りに散らばっている雑多な小物の中に、それはあった。落ちたときの衝撃でふたが開いてしまった呼び声の薬は、きらきらとした赤茶色の液体で床に小さな水たまりを作っていた。
「これはまた、いったい何をしでかしたのですか?」
宙に浮く額縁に腰かけ、呆れ顔で二人を見下ろしていたのはエテルニタス。彼は昏倒しているマレフィキウムの隣に降り立つと、散らばる雑多な小物の中から賢者の石と柘榴の欠片を拾い上げた。
「魔法を使った形跡がありますね……でも、これは暴発? それで反動が――」
「お願い! レフィを助けて!!」
ほくそ笑む悪魔に、籠の鳥は希求の歌を捧げる。それが己の身を滅ぼすことになるとわかっていても、鳥は歌うことしかできなかったから。
「魔法使いへ願うということは、代償を――」
「わかってる!! だからレフィを……助けて」
エテルニタスの言葉に被せる形で、パエオーニアは叫ぶように了承を叩きつけた。
一方、口上を遮られてしまったエテルニタス。こちらは形だけの苦笑いを浮かべると、「人の話は最後まで聞かないと後悔しますよ?」と、おどけ混じりの忠告を返した。
「まあ、いいでしょう。汝パエオーニアの願い、我、額装の魔法使いエテルニタスが聞き届けました」
エテルニタスは相も変わらずの芝居がかった仰々しい辞儀を披露すると、銀髑髏の杖をパエオーニアのフラスコに突きつけた。
「代償は貴女の亡骸。ああ、でもご安心を。魂は不要です。私が欲しいのは、あくまでも珍しく美しい器だけ」
「……わかった。それでレフィが助かるなら、いいよ」
「契約は成立です」
エテルニタスは三日月の笑みを浮かべると、振り上げた杖を勢いよく振り下ろした。銀髑髏の口づけがフラスコに落とされた瞬間、耳を突き刺すような音と共に、パエオーニアと世界を隔てていた透明な壁が粉々に砕け散った。
「え……あ、う……」
フラスコの守りがなくなったパエオーニアに押し寄せてきたのは、金木犀の香りを纏った秋の夜風。今まで感じることの出来なかったにおいや風というものに、フラスコの外の世界に、パエオーニアは圧倒されていた。
「では、邪魔が入らないうちに片付けてしまいましょうか」
エテルニタスは戸惑うパエオーニアを一瞥したあと、何もない空間から硝子の棺を呼び出した。そして倒れているマレフィキウムではなく、パエオーニアへと杖を向ける。
「パエオーニアの亡骸を代償に。額装の魔法使いエテルニタスの名にかけ、愚かしさの招いた眠りの淵からマレフィキウムを呼び戻すことを今ここに誓おう……時よ止まれ、汝は美しい!」
宣誓の言霊が放たれ、エテルニタスの魔法が完成した。
「レフィ――」
マレフィキウムのもとへと駆け出したその時、パエオーニアに襲いかかったのは鋭い胸の痛み。息もできなくなるような耐えがたい痛みが彼女の足を止めた。
「加護から放たれた百花は咲き崩れ……なるほどなるほど。咲き崩れる百花は貴女の方でしたか」
あと少し、けれど指先一つの距離がはるかに遠く。パエオーニアは力の入らない腕を懸命に伸ばすが、震える指先は虚しく空をかくばかり。最初で最後、ようやく触れられることができる機会が訪れたというのに。パエオーニアの体は、もう言うことを聞いてはくれなかった。
「レ……フィ」
暗くなる世界で最後の力を振り絞り、パエオーニアは愛しい半身の名を呼んだ。
「……ア」
真っ暗な世界で最後に彼女の鼓膜を震わせたのは、求めてやまない愛しい声。
「レフィだけは、絶対に死なせない……から」
そしてパエオーニアは、消えた。
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