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林の章
叫べ! 心が名乗りたがってるんだ
しおりを挟む「わかってるわね、要」
「わかりません、紫さま! というわけでご褒――お仕置きしてください」
紫先輩はにっこり微笑むと足下に転がる林くんに足をかけ……次の瞬間、蹴った。
「ありがとうございますぅぅぅぅぅぅ」
歓喜の声とともに床をゴロゴロと転がっていく林くん。だいぶ見慣れた光景とはいえ、やっぱり引く。
「へぇ……あなた、なかなかの逸材ね」
そんな林くんを受け止めたのはハイビスカス先輩。彼女(?)はこちらもまたにっこり微笑むと、うつぶせになっている林くんの顎をくいっと持ち上げた。
「げっ、違っ! 僕がお仕置きしてほしいのは女の子だけで――」
「かわいい子猫ちゃん、アナタは何もしなくていいの。ただ身も心も、全部私に委ねればいいだけだから」
「や……やめ――ぐぇっ」
ハイビスカス先輩は林くんを肩に担ぎあげると、そのまま部室の奥へ行ってしまった。さようなら、林くん……
「紫、また林を使った囮作戦か?」
風峯の言葉に紫先輩がうなずく。
「ええ。私たちの中だと、おそらく要が一番変質者の好みだと思うのよね。次点で山田さんだけど――」
「却下だ」
「でしょうね。だから今回も要を使うのよ。そもそも山田さんは女の子だし、万が一があったらまずいもの。私だってそのへんはわきまえてるわよ。それに……」
あ、危なかった! まさかの囮候補だったとは……よかった、紫先輩が女の子には優しいタイプの人で。
「それにって、まだ何かあるの?」
「ちょっと、ね。今回の変質者、おそらく――」
「お姉さま! ボクもその作戦、参加させてください!!」
麗ちゃん先輩と紫先輩の会話を断ち切るように割り込んできたのは白藤さん。そういや居たんだった。おとなしかったからすっかり忘れてた。
「ボクもお姉さまのお役にたちたいんです。それに、林なんかよりボクの方が有能な豚だってこと、証明して見せます!」
有能な豚ってなんなんだろう……。
「でも白豚の時は変質者、現れないんでしょう?」
「お姉さま、ボクは女優ですよ。任せてください。変質者好みの気弱そうな女子高生、演じ切って見せますから!」
「そこまで言うのなら……いいわ、見せてみなさい。あなたの女優魂を」
「ありがとうございます、お姉さま!」
白藤さんはいい笑顔で紫先輩に返事すると、そのまま奥の部屋へと走っていった。林くんと白藤さん、なんかあんまり相性よくなかったっぽいけど……ちゃんと協力、できるのかな?
しばらくすると奥の部屋の扉が開き、二人の少女が出てきた。
「うっわぁ……二人とも、めちゃくちゃかわいい!」
ハイビスカス先輩のもとから帰ってきた二人は、どこからどう見ても女子高生だった。
あ、白藤さんは元々女子高生か。でもちょっと気が強そうだった雰囲気が、今はおっとりとした箱入りお嬢様のような雰囲気になってる。メイクやウィッグのおかげもあるんだろうけど、なにより白藤さんの演技力がすごいんだと思う。そして林くんは言わずもがな。今回も見た目だけは本当にかわいい。本当に、見た目だけは。
黒髪ロングの箱入りお嬢様とちょっと気の弱そうな金髪ロリ少女。うん、これは変質者じゃなくても食いつくよ。二人で町歩いてたら、絶対ナンパされそう。
「では、作戦開始といきましょうか」
紫先輩の言葉を合図に、今回も囮作戦が始まった。
※ ※ ※ ※
薄暮の住宅街、二人の少女が歩く。
夏の入り口のこの時間帯、空はまだ明るいとはいえ、下校時間にはもうだいぶ遅い。漂う夕餉のかおりや漏れてくる風呂の水音。
一人、また一人と目的地に消えていく中、少女たちは歩き続ける。そして彼女たちが薄暗い公園に足を踏み入れる頃には、少女たち以外の人影はすっかり消えていた。
少女たちは不安そうに顔を見合わせると、少しだけ歩みを早める。
「はぁ……はぁ……」
少女たちの背後を、つかず離れず寄り添う影が一つ。
少女たちが立ち止まり、振り返る。しかし、影は姿を現さない。聞こえてくるのは、湿り気を帯びた気持ちの悪い息遣いだけ。
「はぁ……はぁ、はぁ」
※ ※ ※ ※
「チェェェェェストォォォォォ!!」
公園に麗ちゃん先輩の野太い声が響き渡り、それに驚いた鳥たちが一斉に木から飛び立った。静かだった公園が一瞬にして色めき立つ。
「あら。やるじゃない、おじさん」
麗ちゃん先輩の視線の先――そこに立っていたのは、涼し気な頭部を風になびかせた小太りのおじさん。ねちょっとしたにやけ顔に伸びた鼻の下という外見に似合わず、その動きは俊敏。あの麗ちゃん先輩から難なく逃れ、今も余裕でにやにやと私たちを眺めているんだから。
「ぬふふ……ツインテールのお嬢ちゃんこそ、なかなかですねぇ」
何……だと……?
このおじさん、麗ちゃん先輩をお嬢ちゃんって……ええ!?
「あの身のこなしに剛をお嬢ちゃんと言い切る精神力。今日の敵は底が知れないな」
麗ちゃん先輩と幼馴染だっていう風峯さえ驚いてる。そう、だよね。あの麗ちゃん先輩をお嬢ちゃん扱いする人がいるなんて、まさかいると思わなかった。
麗ちゃん先輩から逃れたおじさんは林くんと白藤さんの後ろに立ってる。林くんはともかく、このままだと白藤さんが危ない。
「紫先輩、このままじゃ……!」
「山田さん、あなたの気持ちはわかってる。まかせて」
思わず見上げた私に返ってきたのは、紫先輩の力強い言葉。よかった、何か策があるらしい。
「縄の魔術師の二つ名は伊達じゃないのよ!」
……ん? んんん??
待って、ちょっと意味が分からない。白藤さんを助けるのと、紫先輩の特に知りたくもなかった二つ名と、その取り出した赤い縄にいったいどんな関係が?
なんて私の頭の中が疑問符で埋め尽くされているその最中に、紫先輩は持っていた縄を勢いよくおじさんの方へと繰り出した。
「そんなものに捕まるおじさんじゃありませんよ!」
余裕綽々で縄をかわすおじさん。腰をくいくいと動かすその動きが、なんかめちゃくちゃ気持ち悪い上に腹立つ。
「当然! だって、私が狙ったのはあなたじゃないもの」
嫣然とした笑みを浮かべ、まるで手足のように縄を操る紫先輩。その目的は――
「紫さま!」
林くんだった。
って、え? 白藤さんを助けるんじゃなかったの!?
真っ赤な縄に絡めとられた林くんが、恍惚の表情を浮かべながら私たちの足下へと戻ってきた。
「待たせたわね、山田さん。さあ、それじゃいきましょうか」
紫先輩がなんかすっごいドヤ顔で見てきた。いきましょうかって、何を?
「ごめんなさい。ちょっと状況が理解できないんですけど」
「だって、五人揃ってないから名乗りを上げられなくて困るってことだったんでしょ? ほら、これで名乗りを上げられるわよ」
「ごめんなさい、その理由はまったく微塵も思いつきませんでした。あとできればこの先一生、あの名乗りはあげたくありません」
「学費」
厳酷苛烈、冷酷無情。学費無料の弱みがある限り、私にはもう平穏な明日はやってこないのかもしれない……
「もう! 二人とも、いいからちゃっちゃと名乗ってお仕置き再開するわよ」
麗ちゃん先輩にせっつかれ紫先輩に脅され、泣く泣く所定の位置についた。ふと足下を見ると、縛られたままだった林くんはいつの間か女装が解かれてて、ジャージ姿に縄といういつもの恰好で紫先輩の足の下に転がされていた。
そして私たちは改めておじさんに向き合う。
「根回し疾きこと、風の如く」
「お仕置き中は徐かなること、林の如く」
「ハートを侵掠すること、火の如く」
「私の常識は揺るがないこと、山の如し!」
半泣きの私の言葉を継ぐように、紫先輩が立派な胸をそらし高らかにその名を口にする。
「疾風怒濤! 学園戦隊風林火山、見参!!」
くっ……とうとう、やらされてしまった。前回までは、ここまでやらなくて済んでたのに。
嫌だって言ったのに……口上だけは勘弁してくださいって言ったのに。そもそも何なんだよ、この口上! これ、ただの自己主張だし!! 学費を盾に……ひどい。
唯一の救いは、今この公園に、白藤さん以外のギャラリーがいないってことくらいだよ。こんなの学校内でやらされた日には…………考えたくない。
「ぬほほほ、面白い若者たちですね。ではせっかくですし、おじさんもあなたたちの流儀に則りましょうか」
白藤さんの後ろに回り込み彼女を拘束すると、おじさんはにっちゃりと笑った。
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