ピーコック・マニア

花壁

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孔雀を飼う

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 外国趣味の装飾を贅沢にあしらった邸宅を取り囲んでいる、鬱蒼として濃い色をした森によって、市街との交渉は永い時の間断ち切られている。この屋敷には、『鳥』が――孔雀が住んでいる。シェーレ・グリーンの壁に囲まれ、舶来の調度品が整然と並んでいる孔雀の私室は、淀んだ退廃の空気で満ちていた。板張りの床に着きそうなほど長い、金糸の髪を使用人に梳かさせながら、孔雀の青年は群青の瞳を内包する羽に櫛が当たる苛立ちを隠さずに白檀扇子を乱暴に扇いだ。使用人はいつこの多感な主人が怒り出すのか分からず、困惑して一瞬手を止めたが、『末端の雑用係である自分が気に入らないのだろう』という麻痺した理論のもとすぐ仕事を終わらせるべく急いで再び櫛を滑らせて、すぐにその歯を絡まった髪に引っかけた。まずい、と彼が思ったときには、孔雀の広がった羽の、集合した恐ろしい百の目の一つ一つに凝視されていた。使用人は平身低頭で主人に慌てて許しを請うと、不機嫌も頂点に達した冷徹な声色で「下がれ」と命じられたので、逃げるようにその場から退去した。危険な魅力のある緑には、この使用人と同じ種族である、人間の君主の命すら削る毒が含まれていたのだと、後世学術書の片隅で語られることになる。

 孔雀は名を観怜(みれい)といい、家令の蔡月(さいげつ)以下数人の使用人たちと俗世から隠居して生活を営んでいる、鳥の一族の青年である。その百の目で他者の心を読む能力を持つがため、多くの為政者に利用されて捨てられたり、あるいは恐れから迫害されたりして数を減らした孔雀は、今となっては大変に希少な存在である。その羽だけではなく、美しく花開いた生命の漲った肢体を持つ観怜を、争いのある外界に出してしまえば、鳥の同胞たる孔雀の血が失われてしまう結果を招くことを危惧した蔡月が、主人を鳥や人の目では見つけられない森の中に隠す提案をしたのである。元々束縛を好まない観怜は、当初は外に出たいという無邪気なお願いを繰り返して蔡月を困らせるばかりであったが、今となっては諦めたのか『主人』として小さな世界の中で我儘を言って、彼の生来の気質を存分に解放して暮らす方向に落ち着いている(屋敷の中では観怜のヒステリーじみた怒声や物がぶつけられる音が聞こえることが日常茶飯事であったので、むしろ騒がしいくらいなのだが)。長命な鳥たちは、人間の使用人を入れ替えながらそうして賑やかに暮らしていたのだが、蔡月にはひとつどうしようもなく胸騒ぎのすることがあった。

 長雨が静かに降りしきる昼下がりに、観怜が好んで手入れをしている、季節の花が芽吹く広い庭の様子を気にしながら、蔡月は主人をまた怒らせてしまったと気を落としている使用人の話を淡々と聞いていた。こうした相談事は、つい先日始まった話ではない。ここ一月ほどの観怜は、いつもに増して奇妙な情緒不安定の連鎖に陥っていた。本人も原因が分かっていないためか、時々柄にもなく羽を閉じて玉のような涙を溢していたこともあった。観怜の普段の振る舞いと一見して区別が付かない形にはなっているが、これは『恋の時節』と呼ばれる兆候かもしれない、と蔡月は頭を悩ませていた。鳥の一生に一度だけ訪れる、運命の人間と強く魅かれ合う、種の遺伝子に刻まれた甘美な結びつきは、観怜の世界に危うい輝きを与えることになるだろう。抜け落ちて散らかった孔雀の羽が妙に多い気はしていたが、生え変わりの時期というよりも、魂でしか感知できないその相手に対する乱れた想いの形であるように思われた。蔡月は鳥と人間という種の違いに由来する無理解を痛感しているであろう、この新入りに部類される使用人に言葉を選んで彼らの主人の気性について説明を加えたあと、観怜の気持を少しでも慰めるために茶でも淹れてやろうと食堂へと向かった。調理係の使用人が夕食の下準備を始めている横で、食用花を浮かべた茶と干菓子をてきぱきと用意し終えると、蔡月は観怜の私室を訪れた。遠慮がちに扉を叩く。しばらく待つ。返事がない。(どこに行った? ……まさか、寝ている?)水彩の筆でシャクナゲを豪勢に描いた陶器の杯から立ち上ってくる香りが漂う中、しばし扉の前で考えを巡らせる。外から声を掛けて扉を開けると、やはり観怜はそこにはいなかった。人数の割に広大なこの屋敷の中でも、観怜が好んで立ち寄る場所はいくつかある。しかし、飛ぶための羽を持たない孔雀とはいえ、今の観怜が、彼の生物的な法則に導かれて外へと飛び出してしまっている可能性は、鳥の一族の同胞である『梟』の蔡月には実感をもって想定できた。彼は踵を返して、時計の針が進むかのように一定の速度で食堂へ引き返すと、観怜が書斎で図鑑のひとつでも読んでくれていたら、とらしくもない希望的観測をはやる内心で打ち出した。

 百合の花が、雨雲で薄暗くなった庭園をぼうっと照らすように咲き誇っている。観怜はその白く滑らかな肌に雨水が流れていくのも構わずに、彼の庭園に立ち尽くしていた。初めはどうしても庭師の花の世話に気に入らないことがあって、直してやろうと思っていたような気がするが、彼は鋏すら手にしていなかった。その矛盾に思い当たり、彼は再びもやがかかったような頭で考える。誰かがこの場所に、自分に会うために、訪れるという確信めいた、胸を高鳴らせるような予感に支配されているのだ。観怜は未だ『恋』を知らない。人の心を読めるがゆえの自己防衛が、鳥の本能から観怜を遠ざけていたかもしれない。羽に少し触れられただけでも神経が反応してしまいそうな、微熱を持った身体を持て余して、悩ましいため息をついた観怜は、停滞した風の流れに異邦の香りが混ざったのを感じて、さっと周囲を見渡した。段々と静かな足音が観怜の方に近づいてきて、皇国の文官の平服姿の、瀟洒な青年が現れた。彼もまた傘を持たずに森を歩いて抜けてきたために、湿気を含んで広がりを見せるその黒髪からは水が滴っていた。青年が観怜の顔をよく見ようと近づく足取りには一切の躊躇がなく、並の人間では道に迷って辿り着けないという前提を彼が完全に覆してしまったことを物語っていた。観怜の方も、その青年に対する興味に駆られて、羽をうずかせながら彼をじっと見つめていた。青年は利発そうで華のある顔だちをしていたが、どこか厭世的で、腹の底では(明日世界が終わればいいのに)と考えていそうな、そうした底知れなさがあった。青年を観察していた観怜の好奇心は、彼から受ける直感的な印象から、遅まきに警戒へと変わっていった。恋人たちの世を忍んでの逢瀬というような距離で、鳥と人間が影を並べた後、青年は観怜の顎に指を当てて、百の目と同じ深い色をした瞳を覗き込んだ。
 「孔雀……か」
 急に顔を触られて驚いた観怜が、その鮮やかな緑の羽を突如大きく広げたのをしげしげと見て、青年は感心するようにわずかに頷いた。彼よりも長い時間を生きてきた観怜の記憶の中でも、孔雀の羽の目を見て感嘆する人間は少数派に入る。加えて、それに何らかの偏執的な愛着を示している人間はかつて存在しなかった。この青年は観怜の運命の相手ではなく、孔雀という存在に恋い焦がれて、ついに憧れの鳥の元に辿り着いた愛好家(マニア)ではないか――。そんな人間の心など読む価値もない、と観怜は羽を閉じて、青年を真正面から睨みつけた。
 「ぼくを値踏みするつもりか? 何のつもりだか知らないが、無礼な男だな」
 「わたしは希世(きせ)。君を……娶りに来た」
 うやうやしく観怜の柔らかい両手に触れる希世は、そっと指先に口づけると、(ずっと会いたかった)という、春がまた戻ってきたかのような微笑を浮かべた。
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