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私の妻に
しおりを挟むルードウォルフ――その名前はリザにとって何ものにも代えがたく、そして、失われた過去の象徴だった。
エリザベータ・フォン・ルードウォルフ。
リザの本当の名前である。
「ルードウォルフ家の土地を買い戻した」
「…………え?」
ヨハネスの思いがけない報告に、リザは目を見張った。
リザの父――グスタフ・フォン・ルードウォルフは良い人だった。良い人すぎて、他人をすぐに信用してしまう。妻を亡くして傷心だったところを胡散臭い投資話に引っかかって莫大な負債を抱えてしまったのも彼の性格が一因であった、とリザは思っている。
一時は爵位目当てにリザとの縁談を申し出た豪商に資金の援助を依頼する話もあった。しかし、相手が三十も歳上なばかりか、すでに何人もの妻や愛人を囲うような色惚け爺だったため、リザはどうしても嫌だった。ただそうなると破産するしか道がなく、土地はもちろん、屋敷も資産も目ぼしいものは全て手放すことになったのだ。
リザの父はしばらく行方知れずとなっていたが、後にルードウォルフ所領内の沼に浮かんでいるところを発見された。
母親はすでに病気で亡くなっていたため、十五歳にしてリザは両親も家も財産も何もかもなくしてしまった。
そんな彼女を引き取ってくれたのが、ヨハネスなのである。
当時はヨハネスも父親を亡くしたばかりで、いくら親戚とはいえ、他人の面倒ごとまで引き受ける余裕はなかったはずだ。
これ以上ヨハネスに世話をかけるわけにはいかない、とリザは思った。
とは言え、貴族の令嬢として甘やかされてきた自分に何ができるのか……。
不安しかなかったが、リザは伯爵令嬢であった記憶を心の奥の引き出しにしまいこんで鍵をかけた。そして、生まれ変わった気持ちで、このヒューバッハのお屋敷に使用人として入ったのだ。
「だから、リザ……いや、エリザベータ。君を妾になどするつもりはない。なぜなら――」
窓から差し込む明るい陽光を反射して、ヨハネスの琥珀色の瞳がきらりと瞬く。いつもは冷たい宝石のような瞳が明らかに熱を孕んでいる。
「君は私の妻になるのだから」
ヨハネスの視線が一直線にリザを射抜いた。
その一途な視線に絡めとられて、リザは身じろぎ一つできない。いつのまにか固く握りしめていた拳に汗がにじむ。手のひらを広げようとして、万年筆を握りしめたままだったことに気がついた。
「……これ」
リザは万年筆をヨハネスの眼前に掲げてみせた。
「まだ、持っていてくれたんですね?」
リザの問いかけに、
「もちろん」
ヨハネスが目を細めて頷いた。穏やかな返事に、リザの胸がキュッと締め付けられる。リザは胸元で万年筆を握りしめて目を閉じた。
「……嫌か? 私の妻になるのは」
その声が少し震えていることに驚いて、リザはハッと顔を上げた。いつもの冷静で迷いのない旦那様の声とは全然違う……自信のなさそうな弱々しい声。
私の妻? ヨハネス様の妻? わたしが……!?
リザは慌てて首を横に振った。
「嫌じゃないです! でも……」
「でも?」
「これ以上、ヨハネス様に迷惑を掛けるわけにはいきません」
ヨハネスは事もなげに告げたが、いくらヒューバッハ家の資産に余裕があるとはいえ、それが簡単なことでないことは世間知らずのリザでもわかった。それにヨハネスが亡き父親の後を継いでまだ数年。まだまだ自領の統治だけで手いっぱいのはずなのだ。
「ルードウォルフの土地を買い戻すなんて……。そんな無理をしないでください」
リザはヨハネスのためと思って必死に言い募ったが、
「舐められたものだな」
明らかに怒気を含んだ低い声に、リザは自分が何やら失態を犯したことを悟る。
「それぐらいの甲斐性もないと思われているのか、私は」
ヨハネスが「はぁ……」と、わざとらしく大きな溜め息をついてみせる。
「それとも……やっぱりミゲルがいいのか?」
「え、ミゲル?」
なぜミゲルの名前が出てくるのか。
リザが訝しむと、バツが悪そうにヨハネスが下を向いた。
「すまない。本当はもう少し落ち着いてから言うつもりだったのに。さっきのミゲルの話を聞いて少し焦った」
「焦る? ヨハネス様が?」
「あぁ。ミゲルはいい奴だからな……。リザも信用してるんだろう? 彼のことを」
ヨハネスの問いかけにどう応じるのが正解なのか……。リザは一瞬迷ったものの、素直に小さく頷いた。たしかにミゲルのことは信用している。助けてもらったことも何度もある。
リザが首を縦に振ったのを見て、ヨハネスがまたもや大きな溜め息を吐いた。不機嫌そうに顔を顰めたかと思うと、おもむろにリザの方へと近づいてくる。
ヨハネスのただならぬ雰囲気を察してリザは思わず後ずさった。逃すまいというようにヨハネスがリザの手首を掴んだ。
掴まれた拍子にリザの手から万年筆が落ちて、床の上を転がっていく。
「あ……」
リザは万年筆を追おうと視線を床に落とした。が、ヨハネスに顎を掴まれて強引に上向かせられてしまう。琥珀色の瞳と目が合った。きらりと瞬くその瞳に捕らわれて動けない。唇だけがわなわなと震えた。
リザがその夜行動物のような瞳に魅入られている間に、ゆっくりと彼の唇が近づいてくる。
「……っ」
誓いのキス、なんて可愛いものではなかった。リザの秘められた性感を無理やり引きずりだそうとする濃厚な口付けだ。深く挿し込まれた舌がリザの咥内を這いまわる。リザが反射的に舌を差し出すと、あっという間に絡めとられてしまった。舌の先で突き合っていると、頭の芯が蕩けて、舌先の感覚だけが研ぎ澄まされていく。
リザが無心になって舌を絡めている間に、ヨハネスの手は彼女の背中をなぞりつつ、下へ下へとおりていく。やがてムッチリとした双丘へとたどり着くと、弾力のある尻肉が揉みしだかれた。
「ん……っ」
口付けはまだ続いている。
リザの唇の隙間から鼻にかかった媚声が漏れた。
ヨハネスに触れられたところから、甘い疼きが広がっていく。
「……こんなにイヤらしい身体になったんだ。はやくしないと……ほかの男に奪られてしまう」
ふいに唇を離したヨハネスが呟いた。
リザが続きをねだるように潤んだ瞳で見つめると、彼は横を向いてしまう。リザの身体の輪郭をなぞるように蠢いていた手も離れていってしまった。
「いまはダメだ」
「…………どうして」
自分から欲しがるなんて恥ずかしい……そう思っているはずなのに、リザの口は持ち主の意志を無視して勝手に動いた。
「貴族の娘は結婚するまで純潔を守るものだよ。知ってるだろう?」
「それは…………」
そうだった。
たしかに幼い頃からそのように教えられてきた。しかし、リザがようやく「純潔を守る」というその本当の意味を理解する年頃になったときに、リザは貴族ではなくなったのだ。父親が死に、所領を無くし、使用人たちも皆リザの元から離れていった。
そうして何もかも無くして、この屋敷に侍女として仕えたのだ。貴族の矜持など不要、持っているだけ邪魔になると思っていた。
しかし、ヨハネスはそれを求めている――。
今さら……それも、リザにさんざん快楽の味を覚え込ませたその後で。
「……だったら、はじめから教えなければよかったのに」
リザが潤んだ目で恨めしげに詰ると、
「『お仕置き』だと言っただろう? リザの欲しがるものをすぐに与えてしまったら、罰にならないじゃないか」
ヨハネスが意地悪く笑った。
「まぁ、私にとっても蛇の生殺しだから……」
そこまで言って言葉を区切ると、ヨハネスはニコッと白い歯をこぼしてリザに笑いかけた。
「はやく嫁いできなさい」
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