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あの娘には近づくな
あの娘には近づくな②
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「楠ノ瀬!」
俺が後ろから声をかけると、彼女はピクっとかすかに肩を震わせた。
しかし、反応したのはその一瞬だけ。
俺の声が聞こえてないはずはないのに、こちらを見ようともしない。
「なぁ……ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
続けて問いかけてみたが、完全に無視される。
仕方なく彼女の肩に手を置いて軽く揺する。
すると彼女は目線だけを後ろに寄こし、
「……離して」
ぞっとするほど冷たい声で言った。
それを発した彼女の唇は白く乾いていて。
あの夜……猛り立った俺のモノを咥え込んで吸い付いた……あの唇と同じものだとは、とても思えなかった。
「ぁ……悪い」
彼女の声に圧倒された俺は思わず謝って、肩から手を退ける。
俺がなすすべもなく立ち尽くしている横で、楠ノ瀬は何事もなかったかのように、黙々とゴミ袋をポリ容器の中に放り込んでいる。
手早く作業を終えてしまうと、さっさと踵を返して来た道を戻ろうとした。
「ちょ……ちょっと待ってくれ」
このまま何も聞けないまま帰したのでは、俺はまた一人で悶々とした日々を過ごすハメになる。
思い切って声をかけたが、彼女は俺の呼びかけを無視してスタスタと歩いていってしまう。
「おい、楠ノ瀬…………きよちゃん!」
俺はイチかバチか……子供の頃の呼び方であいつの名を呼んだ。
「きよちゃん」と呼ばれた彼女は驚いたように肩を大きく揺らして……足を止めた。
俺はこの機会を逃すまいと、あわてて彼女の側まで駆け寄る。
俺が近づく気配を察したように、彼女が肩ごしにゆっくりと振り返った。
「……!」
こちらを振り返ったあいつの顔を見て俺は……一瞬言葉を失う。
――なんで、そんな泣きそうな顔してんだよ。
大きな目は涙で潤み、半開きの唇は何か言いたげに……わなわなと震えている。
さっきまでの乾いた顔が嘘みたいだ。
――やっぱり。
艶めいた表情で俺を見つめる彼女を見つめ返しながら、あの夜の逢瀬が夢ではなかったことを確信した。
「……こんなところ見られたら、困る」
俺を見上げていた楠ノ瀬が、目を伏せて俯きながら震える声で呟く。
「誰もいないよ」
彼女を安心させるように言うと、
「高遠くんはわかってない……私たちは監視されてる」
「は?」
予想もしなかった彼女の発言に思わず声を上げてしまった。
――監視だと? え……誰に?
「言われてるでしょ? 楠ノ瀬の娘には近づくな、って」
「どうして、それを……」
――知ってるんだ?
たしかに俺は昔から何度も言われてきた。
『楠ノ瀬の娘には近づくな』
それは俺の家――高遠家の家訓みたいなものだ。
俺だけじゃない。
理由は知らないが昔からずっとそう言われている。今や一族全員の暗黙の了解事項だ。
俺も子供の頃から、家族……特に祖父さん……から、うんざりするほど聞かされてきた。
「うちも同じだよ。高遠の息子には近づくな、ってずっと言われてきた……」
楠ノ瀬の言葉に、俺は混乱する。
「じゃあなんで、あの夜……あんなことしたんだ?」
「……」
俺の率直な質問に、楠ノ瀬は目を逸らして下を向いた。
吹奏楽部の練習する音が遠くに聴こえる。
楠ノ瀬は何も答えない。
「あれは現実にあったことなんだよな? 俺の夢……じゃないよな?」
「夢?」
俺の言葉を繰り返した楠ノ瀬が、あざけるように笑った。
「高遠くんがそう思いたいなら……そういうことにしてもらっていいよ」
「ふざけんな!」
彼女の刹那的な態度に、俺は思わず声を荒げた。
楠ノ瀬の目が驚いたように見開かれる。
「夢なんかじゃなかっただろ? なかったことにすんなよ……したくないんだよ……」
俺は懇願するように呻いた。
「念のため聞くけど……お前は、別に俺のことなんて……好きじゃないよな?」
「……っ!!」
楠ノ瀬の大きく開かれた目に涙がじわじわと溜まっていく。
「なんでそんな泣きそうな顔するんだよ」
俺の視線を避けるように彼女が俯く。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声で楠ノ瀬が呟いた。
今のは「俺のことなんて好きじゃない」を肯定したってことだよな……。
「じゃあなんで好きでもない男とあんなことしたんだ? 何だったんだ、あの夜は……」
俺が苛立ちを紛らわせるように自分の髪をかき混ぜながら聞くと、下を向いた楠ノ瀬が小さな声で答えた。
「あれは……あれが、私の『役目』だから」
「役目?」
――どういうことだ?
俺は楠ノ瀬の表情を伺おうとしたが、長い髪を下ろしているせいで影になってよく見えない。
「役目って、どういう……」
「清乃ちゃん!」
楠ノ瀬を問いつめようとしたところで、誰かの声が俺たちの間に割って入った。
声のした方に目を向けると、一人の女子生徒が立っている。長い髪と左の目元にある泣きぼくろが印象的な女だった。
「あやちゃん……」
楠ノ瀬がその子の名前を呼んだ。
友達だろうか……そういえば、二人が一緒にいるところを何度か見かけたことがある気がする。
「あやちゃん」と呼ばれた女はどことなく楠ノ瀬に似ていた。髪型や背格好がほとんど変わらない。
あやちゃんは楠ノ瀬の側まで来ると、
「行こう!」
きつい口調で言って、楠ノ瀬の腕を掴んだ。
「待ってくれ、まだ話が終わってない……」
呼び止めようとした俺を、あやちゃんが睨みつけてきた。完全に敵意のこもった目だ。
引きずられるように彼女についていく楠ノ瀬が、去り際に振り返って俺を見た。
「……っ!」
――だから!
なんで、そんな顔するんだよ……!?
名残惜しそうに振り返った楠ノ瀬は……。
今にも泣きそうな、縋りつくような目で俺を見ていた。
――痛い。
心臓がギシギシと音を立てるように軋んで痛い。どうしていいかわからないが、あいつのために何かしなければいけないという猛烈な焦燥感に襲われる。
なぁ、きよちゃん。
――俺はどうすればいい?
俺が後ろから声をかけると、彼女はピクっとかすかに肩を震わせた。
しかし、反応したのはその一瞬だけ。
俺の声が聞こえてないはずはないのに、こちらを見ようともしない。
「なぁ……ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
続けて問いかけてみたが、完全に無視される。
仕方なく彼女の肩に手を置いて軽く揺する。
すると彼女は目線だけを後ろに寄こし、
「……離して」
ぞっとするほど冷たい声で言った。
それを発した彼女の唇は白く乾いていて。
あの夜……猛り立った俺のモノを咥え込んで吸い付いた……あの唇と同じものだとは、とても思えなかった。
「ぁ……悪い」
彼女の声に圧倒された俺は思わず謝って、肩から手を退ける。
俺がなすすべもなく立ち尽くしている横で、楠ノ瀬は何事もなかったかのように、黙々とゴミ袋をポリ容器の中に放り込んでいる。
手早く作業を終えてしまうと、さっさと踵を返して来た道を戻ろうとした。
「ちょ……ちょっと待ってくれ」
このまま何も聞けないまま帰したのでは、俺はまた一人で悶々とした日々を過ごすハメになる。
思い切って声をかけたが、彼女は俺の呼びかけを無視してスタスタと歩いていってしまう。
「おい、楠ノ瀬…………きよちゃん!」
俺はイチかバチか……子供の頃の呼び方であいつの名を呼んだ。
「きよちゃん」と呼ばれた彼女は驚いたように肩を大きく揺らして……足を止めた。
俺はこの機会を逃すまいと、あわてて彼女の側まで駆け寄る。
俺が近づく気配を察したように、彼女が肩ごしにゆっくりと振り返った。
「……!」
こちらを振り返ったあいつの顔を見て俺は……一瞬言葉を失う。
――なんで、そんな泣きそうな顔してんだよ。
大きな目は涙で潤み、半開きの唇は何か言いたげに……わなわなと震えている。
さっきまでの乾いた顔が嘘みたいだ。
――やっぱり。
艶めいた表情で俺を見つめる彼女を見つめ返しながら、あの夜の逢瀬が夢ではなかったことを確信した。
「……こんなところ見られたら、困る」
俺を見上げていた楠ノ瀬が、目を伏せて俯きながら震える声で呟く。
「誰もいないよ」
彼女を安心させるように言うと、
「高遠くんはわかってない……私たちは監視されてる」
「は?」
予想もしなかった彼女の発言に思わず声を上げてしまった。
――監視だと? え……誰に?
「言われてるでしょ? 楠ノ瀬の娘には近づくな、って」
「どうして、それを……」
――知ってるんだ?
たしかに俺は昔から何度も言われてきた。
『楠ノ瀬の娘には近づくな』
それは俺の家――高遠家の家訓みたいなものだ。
俺だけじゃない。
理由は知らないが昔からずっとそう言われている。今や一族全員の暗黙の了解事項だ。
俺も子供の頃から、家族……特に祖父さん……から、うんざりするほど聞かされてきた。
「うちも同じだよ。高遠の息子には近づくな、ってずっと言われてきた……」
楠ノ瀬の言葉に、俺は混乱する。
「じゃあなんで、あの夜……あんなことしたんだ?」
「……」
俺の率直な質問に、楠ノ瀬は目を逸らして下を向いた。
吹奏楽部の練習する音が遠くに聴こえる。
楠ノ瀬は何も答えない。
「あれは現実にあったことなんだよな? 俺の夢……じゃないよな?」
「夢?」
俺の言葉を繰り返した楠ノ瀬が、あざけるように笑った。
「高遠くんがそう思いたいなら……そういうことにしてもらっていいよ」
「ふざけんな!」
彼女の刹那的な態度に、俺は思わず声を荒げた。
楠ノ瀬の目が驚いたように見開かれる。
「夢なんかじゃなかっただろ? なかったことにすんなよ……したくないんだよ……」
俺は懇願するように呻いた。
「念のため聞くけど……お前は、別に俺のことなんて……好きじゃないよな?」
「……っ!!」
楠ノ瀬の大きく開かれた目に涙がじわじわと溜まっていく。
「なんでそんな泣きそうな顔するんだよ」
俺の視線を避けるように彼女が俯く。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声で楠ノ瀬が呟いた。
今のは「俺のことなんて好きじゃない」を肯定したってことだよな……。
「じゃあなんで好きでもない男とあんなことしたんだ? 何だったんだ、あの夜は……」
俺が苛立ちを紛らわせるように自分の髪をかき混ぜながら聞くと、下を向いた楠ノ瀬が小さな声で答えた。
「あれは……あれが、私の『役目』だから」
「役目?」
――どういうことだ?
俺は楠ノ瀬の表情を伺おうとしたが、長い髪を下ろしているせいで影になってよく見えない。
「役目って、どういう……」
「清乃ちゃん!」
楠ノ瀬を問いつめようとしたところで、誰かの声が俺たちの間に割って入った。
声のした方に目を向けると、一人の女子生徒が立っている。長い髪と左の目元にある泣きぼくろが印象的な女だった。
「あやちゃん……」
楠ノ瀬がその子の名前を呼んだ。
友達だろうか……そういえば、二人が一緒にいるところを何度か見かけたことがある気がする。
「あやちゃん」と呼ばれた女はどことなく楠ノ瀬に似ていた。髪型や背格好がほとんど変わらない。
あやちゃんは楠ノ瀬の側まで来ると、
「行こう!」
きつい口調で言って、楠ノ瀬の腕を掴んだ。
「待ってくれ、まだ話が終わってない……」
呼び止めようとした俺を、あやちゃんが睨みつけてきた。完全に敵意のこもった目だ。
引きずられるように彼女についていく楠ノ瀬が、去り際に振り返って俺を見た。
「……っ!」
――だから!
なんで、そんな顔するんだよ……!?
名残惜しそうに振り返った楠ノ瀬は……。
今にも泣きそうな、縋りつくような目で俺を見ていた。
――痛い。
心臓がギシギシと音を立てるように軋んで痛い。どうしていいかわからないが、あいつのために何かしなければいけないという猛烈な焦燥感に襲われる。
なぁ、きよちゃん。
――俺はどうすればいい?
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