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許嫁
許嫁④
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――あいつだよな、楠ノ瀬の許嫁って……。
俺は楠ノ瀬の家で会った、背の高い年上の男を思い出していた。
俺のことを値踏みするような……見下すような……なんとも嫌な視線を向けてきたあの男。
襖の向こうから聞こえてきた楠ノ瀬の声と、白く柔らかな胸に刻まれていた赤い痕が……頭から離れない。
「だあぁぁぁっ……!!」
俺は言葉にならない叫び声を上げながら、壁に拳を叩きつけた。
「あんな感じ悪いヤツのどこがいいんだよ……」
想像の中で、楠ノ瀬があの男に抱かれていた。
白くなめらかな彼女の肢体が男の体に絡みつく。
あの男に揺さぶられながら、楠ノ瀬が気持ちよさそうに甘い声を上げる……。
「くそっ……!」
俺はまた悶々としながら、その夜をやり過ごすしかなかった。
*****
「高遠くんっ」
次の日の放課後。
帰り途を一人で歩いていると、珍しく楠ノ瀬のほうから声をかけてきた。わずかに息を切らしているところを見ると、俺を追って走ってきたらしい。
俺は周りを見渡してあやちゃんの姿を探すが見当たらない。
「あやちゃんは?」
俺と楠ノ瀬の接触をあれほど警戒していたあやちゃんが、こんな状況を許すはずがない。
「……あやちゃんのことが気になるの?」
楠ノ瀬が少し不機嫌そうに言う。
「いや、いつも俺がお前に話しかけようとする邪魔してくるからさ……今日はどうしたのかと思って」
「今日は休み。体調悪いみたいで……」
「そうなんだ」
ちょっとだけ……。
俺の気持ちを知ったあやちゃんが、気を遣ってくれたのかと思った。
「それより、大丈夫だった? 昨日、何も言わずに帰っちゃうんだもん……心配したんだよ」
「あぁ……ごめん」
俺だってお前に挨拶したかったけど……お前はあの男と「取り込み中」だったんだろ?
――ダメだ……自分の勝手な嫉妬だということはわかっているのに、楠ノ瀬への態度がよそよそしくなってしまう。
「俺、全然覚えてないんだけど。楠ノ瀬の人たちにすごい迷惑かけたんだよな……ごめん」
「ううん、私も悪かったの。ちゃんと準備しないで神様と交わおうとしたから……きっと怒らせちゃったんだと思う」
――神様と交わる……か。
俺と……じゃないんだよな。
「来週も来るでしょ?」
楠ノ瀬が俺の顔を見上げながら聞いてくる。
「……いいのか?」
「ん? 私は大丈夫だけど」
穏やかに笑みを浮かべる楠ノ瀬の顔をじっと見つめる。
「……なに?」
俺の視線を受けた楠ノ瀬が、きょとんと首を傾げる。
「……楠ノ瀬は、あの男のこと、好きなのか?」
「え?」
――しまった……!
触れるつもりはなかったのに、ついつい頭の中にあった疑問を本人に直接ぶつけてしまった。
案の定、楠ノ瀬は何のことかわからないといったように顔をしかめている。
「あの男……?」
「……楠ノ瀬の婚約者、だよ」
「……! なんで、それ……」
俺が知っていることに驚いた楠ノ瀬が絶句している。
「……あのキスマーク付けたのも、その男なんだよな?」
楠ノ瀬の顔が、かっ……と赤く染まる。
「俺がこんなこと言うのもアレなんだけど……。婚約者がいるのに、俺とああいうことして……いいのか?」
「……」
楠ノ瀬が答えに困ったように下を向く。
「あやちゃんは、それがお前の『お役目』だって言ってた。俺とそういうことするのは『治療』だって……楠ノ瀬が納得してるんなら、いいのかもしれないけど……」
俺の話を楠ノ瀬は黙って聞いている。
「正直、俺は割り切れてないんだ」
「えっ……」
楠ノ瀬が戸惑ったように顔を上げて、俺を見る。
「俺……楠ノ瀬のこと、好きだよ。だから、お前とああいうことできるの……実はすっげえ嬉しい。……だけど、」
突然の俺の告白に、楠ノ瀬の目が落ち着きなくさまよっている。
「お前はいいのか?」
「……」
俺の問いかけに楠ノ瀬は口を噤む。
沈黙が続いた。
ふと彼女の顔を見やると――
「……やっぱり、嫌なんだな」
楠ノ瀬が大粒の涙を流している。
ぽろぽろ、と次から次に透きとおった涙が溢れてくる。
「ごめ……なさい。違うの……高遠くんが嫌なんじゃ、ないの……むしろ、高遠くんは……嫌じゃ、ない……」
「え……?」
楠ノ瀬の漏らした本音に、思わず期待してしまう。
「だけど、私……他の人とも……」
楠ノ瀬が手で顔を覆って、止まらない涙を隠した。
俺はそっと彼女を抱き締めた。
俺の腕の中で、楠ノ瀬は泣きながら震えている。
落ち着くまで、彼女の細い背中をさすっていた。
「ごめん……もう大丈夫」
ひとしきり泣いた後、楠ノ瀬が言った。
「高遠くんがよければ、来週も来て……」
「うん」
「高遠くんと一緒にいるの……私も……好き、だから……」
「えっ?」
恥ずかしそうに下を向く楠ノ瀬の耳が真っ赤になっている。
「……待ってる」
楠ノ瀬は下を向いたまま囁くと、俺の腕から抜け出て、学校の方へと走っていった。
迎えに来る家の人の目をごまかして、俺に会いに来てくれたんだろうか……。
そう考えると楠ノ瀬のことがたまらなく愛おしく感じられて……。俺は束の間、あいつの婚約者の存在を忘れてしまっていたんだ。
俺は楠ノ瀬の家で会った、背の高い年上の男を思い出していた。
俺のことを値踏みするような……見下すような……なんとも嫌な視線を向けてきたあの男。
襖の向こうから聞こえてきた楠ノ瀬の声と、白く柔らかな胸に刻まれていた赤い痕が……頭から離れない。
「だあぁぁぁっ……!!」
俺は言葉にならない叫び声を上げながら、壁に拳を叩きつけた。
「あんな感じ悪いヤツのどこがいいんだよ……」
想像の中で、楠ノ瀬があの男に抱かれていた。
白くなめらかな彼女の肢体が男の体に絡みつく。
あの男に揺さぶられながら、楠ノ瀬が気持ちよさそうに甘い声を上げる……。
「くそっ……!」
俺はまた悶々としながら、その夜をやり過ごすしかなかった。
*****
「高遠くんっ」
次の日の放課後。
帰り途を一人で歩いていると、珍しく楠ノ瀬のほうから声をかけてきた。わずかに息を切らしているところを見ると、俺を追って走ってきたらしい。
俺は周りを見渡してあやちゃんの姿を探すが見当たらない。
「あやちゃんは?」
俺と楠ノ瀬の接触をあれほど警戒していたあやちゃんが、こんな状況を許すはずがない。
「……あやちゃんのことが気になるの?」
楠ノ瀬が少し不機嫌そうに言う。
「いや、いつも俺がお前に話しかけようとする邪魔してくるからさ……今日はどうしたのかと思って」
「今日は休み。体調悪いみたいで……」
「そうなんだ」
ちょっとだけ……。
俺の気持ちを知ったあやちゃんが、気を遣ってくれたのかと思った。
「それより、大丈夫だった? 昨日、何も言わずに帰っちゃうんだもん……心配したんだよ」
「あぁ……ごめん」
俺だってお前に挨拶したかったけど……お前はあの男と「取り込み中」だったんだろ?
――ダメだ……自分の勝手な嫉妬だということはわかっているのに、楠ノ瀬への態度がよそよそしくなってしまう。
「俺、全然覚えてないんだけど。楠ノ瀬の人たちにすごい迷惑かけたんだよな……ごめん」
「ううん、私も悪かったの。ちゃんと準備しないで神様と交わおうとしたから……きっと怒らせちゃったんだと思う」
――神様と交わる……か。
俺と……じゃないんだよな。
「来週も来るでしょ?」
楠ノ瀬が俺の顔を見上げながら聞いてくる。
「……いいのか?」
「ん? 私は大丈夫だけど」
穏やかに笑みを浮かべる楠ノ瀬の顔をじっと見つめる。
「……なに?」
俺の視線を受けた楠ノ瀬が、きょとんと首を傾げる。
「……楠ノ瀬は、あの男のこと、好きなのか?」
「え?」
――しまった……!
触れるつもりはなかったのに、ついつい頭の中にあった疑問を本人に直接ぶつけてしまった。
案の定、楠ノ瀬は何のことかわからないといったように顔をしかめている。
「あの男……?」
「……楠ノ瀬の婚約者、だよ」
「……! なんで、それ……」
俺が知っていることに驚いた楠ノ瀬が絶句している。
「……あのキスマーク付けたのも、その男なんだよな?」
楠ノ瀬の顔が、かっ……と赤く染まる。
「俺がこんなこと言うのもアレなんだけど……。婚約者がいるのに、俺とああいうことして……いいのか?」
「……」
楠ノ瀬が答えに困ったように下を向く。
「あやちゃんは、それがお前の『お役目』だって言ってた。俺とそういうことするのは『治療』だって……楠ノ瀬が納得してるんなら、いいのかもしれないけど……」
俺の話を楠ノ瀬は黙って聞いている。
「正直、俺は割り切れてないんだ」
「えっ……」
楠ノ瀬が戸惑ったように顔を上げて、俺を見る。
「俺……楠ノ瀬のこと、好きだよ。だから、お前とああいうことできるの……実はすっげえ嬉しい。……だけど、」
突然の俺の告白に、楠ノ瀬の目が落ち着きなくさまよっている。
「お前はいいのか?」
「……」
俺の問いかけに楠ノ瀬は口を噤む。
沈黙が続いた。
ふと彼女の顔を見やると――
「……やっぱり、嫌なんだな」
楠ノ瀬が大粒の涙を流している。
ぽろぽろ、と次から次に透きとおった涙が溢れてくる。
「ごめ……なさい。違うの……高遠くんが嫌なんじゃ、ないの……むしろ、高遠くんは……嫌じゃ、ない……」
「え……?」
楠ノ瀬の漏らした本音に、思わず期待してしまう。
「だけど、私……他の人とも……」
楠ノ瀬が手で顔を覆って、止まらない涙を隠した。
俺はそっと彼女を抱き締めた。
俺の腕の中で、楠ノ瀬は泣きながら震えている。
落ち着くまで、彼女の細い背中をさすっていた。
「ごめん……もう大丈夫」
ひとしきり泣いた後、楠ノ瀬が言った。
「高遠くんがよければ、来週も来て……」
「うん」
「高遠くんと一緒にいるの……私も……好き、だから……」
「えっ?」
恥ずかしそうに下を向く楠ノ瀬の耳が真っ赤になっている。
「……待ってる」
楠ノ瀬は下を向いたまま囁くと、俺の腕から抜け出て、学校の方へと走っていった。
迎えに来る家の人の目をごまかして、俺に会いに来てくれたんだろうか……。
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