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後継者
後継者②
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*****
あの夜から数日――。
自分の意思ではないにしろ、あやちゃんと関係を持ってしまったことが楠ノ瀬に知られていたらどうしようかと、俺は気が気ではなかった。
しかし俺の不安に反して、表面上は何も変わらないまま、平穏な日々が過ぎた。
楠ノ瀬の態度にも変わったところはなかったから、おそらくあの男はまだ何もしていないのだろう。と言っても、そもそも学校での俺たちはほとんど話すこともなく、あやちゃんの目を盗んで、たまに目が合えばいいほうだけど……。
そしてまた土曜日が来て、俺はいつものように「治療」を受けた。
少しずつ神様に憑かれている時間が長くなってきた気もするけど、俺の心が不安定なせいか、その進みは遅々としたものだった。
――楠ノ瀬に会えるのは嬉しいけど。
それはまだ俺一人では神様に持っていかれそうになる自我を取り戻すことができないということだから、素直に喜べることじゃなかった。
――俺はまだ誰にも認められていない。
「治療」後、俺の胸に崩折れて憩んでいる楠ノ瀬の長い髪を撫でてやると。楠ノ瀬が気持ち良さそうに目を閉じる。
――嘘みたいに穏やかだった。
二人のわずかに乱れた呼吸音と、障子の向こうのかすかな葉音だけが聞こえるこの一時だけが……。
問題は何も解決していないというのに。
「そういえば、今日、あやちゃんは?」
「……知らない」
静寂を破る俺の質問に、楠ノ瀬は不機嫌そうに唇を尖らせる。
「高遠くんって、いつもあやちゃんのこと気にしてるよね」
責めるように言った後、なぜか甘えるように俺に抱きついてくる。
「ちょっ……楠ノ瀬、俺もう大丈夫だか……」
言いかけた俺の言葉は、彼女の紅い口に飲み込まれた。
「んんっ……」
俺の首に手を回した楠ノ瀬が唇を重ねてくる。彼女の紅い唇が、熱い舌が、俺の乾いた唇を濡らしていく。
頭の芯がトロトロと融かされていく感覚に、このまま身を委ねたいと願ったところで、
「……ごめんなさい。ちょっとヤキモチ妬いた」
唇を離した楠ノ瀬が顔を赤くして照れくさそうに言った。
――かわいいなぁ。
「楠ノ瀬っ……!」
たまらなくなった俺が体を反転させて、楠ノ瀬を組み敷くと――
「お取り込み中のところスイマセンけど、当主様がお呼びです」
冷や水を浴びせるような冷静な声が、俺たちの甘い雰囲気をぶち壊した。
「あ……いたんだ」
声の主は、例のごとく、あやちゃんだった。
*****
楠ノ瀬家を初めて訪れた時に案内された客間で俺は当主……楠ノ瀬の祖母さん……と黒光りする座卓を挟んで向き合っていた。少し離れたところに楠ノ瀬も控えている。
「神を制御するとは、いかなる時も『自分を保つ』ということに他ならぬ」
婆さんは厳かに言った。
「『自分を保つ』……?」
婆さんの言葉を咀嚼できない俺は、鸚鵡返しに繰り返すしかなかった。
「そう。挑発に乗らず、誘惑に惑わされず……どんな時でも『自分を律する』ということが神の宿り主として、また高遠の当主としても求められておる」
徳堂の挑発に乗りまくり、あやちゃんの誘惑にも逆らえなかった俺には、耳の痛い話だ……。
「それは要するに、強くなれ……ってこと、ですか……?」
探るような俺の問いかけに、
「……おそらく」
婆さんがくれたのは短く曖昧な答えだけだった。
「それから……」
婆さんが大きな溜息を一つ吐いてから、口を開いた。
「高遠と楠ノ瀬が結びつくことは禁じられている」
正面から瞬きもせずに凝視され、トカゲに這いずられた跡のように背中に汗が垂れた。見るものすべてを石に変えてしまいそうな目に射竦められて、渇いていないはずの喉がカラカラになる。
「よもや忘れたわけではないだろうな……清乃」
婆さんは爬虫類みたいな目をギョロリと動かして楠ノ瀬を見据えた。視線を向けられた楠ノ瀬がびくっ、と大きく体を震わせる。傍目にもわかるほど動揺していた。
「……結びついたら、どうなるんですか……?」
全身の胆力をかき集めて、俺は聞いた。
注ぎ過ぎて今にも零れそうなコップの水みたいな声だった。
「……知らないのか?」
抑揚のない声で問いかけられる。
俺が小さく頭を振ると、婆さんはもう一度大きな溜息を吐いてから、低い声で言った。
「……そなたの祖父に聞きなさい」
あの夜から数日――。
自分の意思ではないにしろ、あやちゃんと関係を持ってしまったことが楠ノ瀬に知られていたらどうしようかと、俺は気が気ではなかった。
しかし俺の不安に反して、表面上は何も変わらないまま、平穏な日々が過ぎた。
楠ノ瀬の態度にも変わったところはなかったから、おそらくあの男はまだ何もしていないのだろう。と言っても、そもそも学校での俺たちはほとんど話すこともなく、あやちゃんの目を盗んで、たまに目が合えばいいほうだけど……。
そしてまた土曜日が来て、俺はいつものように「治療」を受けた。
少しずつ神様に憑かれている時間が長くなってきた気もするけど、俺の心が不安定なせいか、その進みは遅々としたものだった。
――楠ノ瀬に会えるのは嬉しいけど。
それはまだ俺一人では神様に持っていかれそうになる自我を取り戻すことができないということだから、素直に喜べることじゃなかった。
――俺はまだ誰にも認められていない。
「治療」後、俺の胸に崩折れて憩んでいる楠ノ瀬の長い髪を撫でてやると。楠ノ瀬が気持ち良さそうに目を閉じる。
――嘘みたいに穏やかだった。
二人のわずかに乱れた呼吸音と、障子の向こうのかすかな葉音だけが聞こえるこの一時だけが……。
問題は何も解決していないというのに。
「そういえば、今日、あやちゃんは?」
「……知らない」
静寂を破る俺の質問に、楠ノ瀬は不機嫌そうに唇を尖らせる。
「高遠くんって、いつもあやちゃんのこと気にしてるよね」
責めるように言った後、なぜか甘えるように俺に抱きついてくる。
「ちょっ……楠ノ瀬、俺もう大丈夫だか……」
言いかけた俺の言葉は、彼女の紅い口に飲み込まれた。
「んんっ……」
俺の首に手を回した楠ノ瀬が唇を重ねてくる。彼女の紅い唇が、熱い舌が、俺の乾いた唇を濡らしていく。
頭の芯がトロトロと融かされていく感覚に、このまま身を委ねたいと願ったところで、
「……ごめんなさい。ちょっとヤキモチ妬いた」
唇を離した楠ノ瀬が顔を赤くして照れくさそうに言った。
――かわいいなぁ。
「楠ノ瀬っ……!」
たまらなくなった俺が体を反転させて、楠ノ瀬を組み敷くと――
「お取り込み中のところスイマセンけど、当主様がお呼びです」
冷や水を浴びせるような冷静な声が、俺たちの甘い雰囲気をぶち壊した。
「あ……いたんだ」
声の主は、例のごとく、あやちゃんだった。
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楠ノ瀬家を初めて訪れた時に案内された客間で俺は当主……楠ノ瀬の祖母さん……と黒光りする座卓を挟んで向き合っていた。少し離れたところに楠ノ瀬も控えている。
「神を制御するとは、いかなる時も『自分を保つ』ということに他ならぬ」
婆さんは厳かに言った。
「『自分を保つ』……?」
婆さんの言葉を咀嚼できない俺は、鸚鵡返しに繰り返すしかなかった。
「そう。挑発に乗らず、誘惑に惑わされず……どんな時でも『自分を律する』ということが神の宿り主として、また高遠の当主としても求められておる」
徳堂の挑発に乗りまくり、あやちゃんの誘惑にも逆らえなかった俺には、耳の痛い話だ……。
「それは要するに、強くなれ……ってこと、ですか……?」
探るような俺の問いかけに、
「……おそらく」
婆さんがくれたのは短く曖昧な答えだけだった。
「それから……」
婆さんが大きな溜息を一つ吐いてから、口を開いた。
「高遠と楠ノ瀬が結びつくことは禁じられている」
正面から瞬きもせずに凝視され、トカゲに這いずられた跡のように背中に汗が垂れた。見るものすべてを石に変えてしまいそうな目に射竦められて、渇いていないはずの喉がカラカラになる。
「よもや忘れたわけではないだろうな……清乃」
婆さんは爬虫類みたいな目をギョロリと動かして楠ノ瀬を見据えた。視線を向けられた楠ノ瀬がびくっ、と大きく体を震わせる。傍目にもわかるほど動揺していた。
「……結びついたら、どうなるんですか……?」
全身の胆力をかき集めて、俺は聞いた。
注ぎ過ぎて今にも零れそうなコップの水みたいな声だった。
「……知らないのか?」
抑揚のない声で問いかけられる。
俺が小さく頭を振ると、婆さんはもう一度大きな溜息を吐いてから、低い声で言った。
「……そなたの祖父に聞きなさい」
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