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憑依
憑依③
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徳堂が頭を庇うように腕をかざしたが、太い幹からばっきりと折れた古木は容赦なく奴の上へと倒れていく。木に留まっていたらしい百舌鳥の群れがけたたましく鳴きながら、夜の空へと飛び立った。
倒れた木の下から蚯蚓が這い出してきた。
――ミミズ?
蚯蚓は次から次に現れて、地表へと吸い込まれるように染み込んでいく。
……その赤黒いものが徳堂の血であることに気付くまで、数瞬かかった。
「っ……直之、さんっ……!」
最初に動いたのは楠ノ瀬だった。
山の中を走り回って泥まみれになった紅い襦袢をはためかせながら、徳堂の元へと走り寄る。
「ひっ……!」
徳堂の出血量に驚いた楠ノ瀬が口元に手を当てて小さく息を飲む。
奴の傍らに膝をついて木を持ち上げようとするが、ひと抱えほどもある大樹はびくともしない。
「高遠くんっ! 助けて……!!」
楠ノ瀬が俺を見つめながら、大きな声で叫んだ。
――行かなきゃいけない。
楠ノ瀬が助けを求めている。
行かなくては……。
頭の端では確かにそう思っているのに……足が、動かない。
「高遠くんっ……! 早く……!!」
俺を呼ぶ楠ノ瀬の声に涙が混じる。
それでも俺の足は泉の底に縫い付けられたように動かない。
――目も足も、俺の言うことを聞いてくれない。
まるで自分の肉体が誰かに乗っ取られてしまったみたいだった。
俺の意識だけがぽつん、と身体の外に置き去りにされたように、肉体としての実感がなかった。
「高遠くん」
いつのまにか楠ノ瀬が濡れるのも構わず俺の目の前に立っていた。
濡れて張り付いた襦袢が彼女の胸の膨らみを艶めかしく浮かび上がらせている。
楠ノ瀬は上目遣いに俺を睨みつけながら、おもむろに自身の両手を俺の前へと差し出すと――
「……いひゃい」
俺の両頬をこれでもかというほど渾身の力で抓った。
「高遠くん、しっかりして!」
俺の目をまっすぐに見据えたまま、低い声で言った。彼女の目は涙のせいか、それとも俺への憤りのせいなのか……真っ赤に充血している。
「私だって、直之さんのやり方に完全に納得してるわけじゃないよ。でもだからって、このまま見殺しにするわけにはいかないでしょ!?」
そう言った楠ノ瀬は今にも溢れ出しそうな涙を自分の掌でぐいっと拭った。
そしてまた、俺の顔をまっすぐに見つめる。
「さっきの……高遠くんがやったの?」
「……」
楠ノ瀬の質問に、俺は答えられない。
「それが、神様の力……なの?」
「……わからない」
俺は力なく首を左右に振った。
「そう……」
楠ノ瀬が俺を目を伏せて俯いた。
「だけど、このまま直之さんを放っておくわけにはいかない」
紅い唇をさらに紅く噛み締めて、彼女が言った。
「それは許されないし、」
俺の頬を抓る手により一層の力がこもる。
「許さない」
俺を……俺の内に潜む神までもを射抜こうとするような楠ノ瀬の強い視線が刺さった。
「……わかっひゃから、手、はなしひぇ」
「あ、ごめん」
楠ノ瀬がぱっ、と俺の頬っぺたから手を離した。
俺は鈍く痛む両頬をさすりながら、
「助けを呼びに行ったほうがいいんじゃないか? 二人で木を退かしてあの男を運ぶのは難しいと思う」
と、自分の考えを伝えた。
「そっか……そうだよね。私、先に下りて家の人を呼んでくる!」
了解というように大きく頷いた楠ノ瀬が、俺に背中を向けて一目散に神社へと続く道へと駆け出していった。
一人残された俺はゆっくりと足を動かして泉から上がった。
楠ノ瀬に醒まされて、俺の肉体は俺の制御下に戻ってきたみたいだった。
倒れた木の側まで近づいて徳堂の様子を伺うと、奴は意識を失っているらしく、ぴくりとも動かなかった。
『どうする?』
血を流して倒れる徳堂を無心で見ていた俺の頭の中に。
再び『あの声』が響く。
――どうする?
倒れた木の下から蚯蚓が這い出してきた。
――ミミズ?
蚯蚓は次から次に現れて、地表へと吸い込まれるように染み込んでいく。
……その赤黒いものが徳堂の血であることに気付くまで、数瞬かかった。
「っ……直之、さんっ……!」
最初に動いたのは楠ノ瀬だった。
山の中を走り回って泥まみれになった紅い襦袢をはためかせながら、徳堂の元へと走り寄る。
「ひっ……!」
徳堂の出血量に驚いた楠ノ瀬が口元に手を当てて小さく息を飲む。
奴の傍らに膝をついて木を持ち上げようとするが、ひと抱えほどもある大樹はびくともしない。
「高遠くんっ! 助けて……!!」
楠ノ瀬が俺を見つめながら、大きな声で叫んだ。
――行かなきゃいけない。
楠ノ瀬が助けを求めている。
行かなくては……。
頭の端では確かにそう思っているのに……足が、動かない。
「高遠くんっ……! 早く……!!」
俺を呼ぶ楠ノ瀬の声に涙が混じる。
それでも俺の足は泉の底に縫い付けられたように動かない。
――目も足も、俺の言うことを聞いてくれない。
まるで自分の肉体が誰かに乗っ取られてしまったみたいだった。
俺の意識だけがぽつん、と身体の外に置き去りにされたように、肉体としての実感がなかった。
「高遠くん」
いつのまにか楠ノ瀬が濡れるのも構わず俺の目の前に立っていた。
濡れて張り付いた襦袢が彼女の胸の膨らみを艶めかしく浮かび上がらせている。
楠ノ瀬は上目遣いに俺を睨みつけながら、おもむろに自身の両手を俺の前へと差し出すと――
「……いひゃい」
俺の両頬をこれでもかというほど渾身の力で抓った。
「高遠くん、しっかりして!」
俺の目をまっすぐに見据えたまま、低い声で言った。彼女の目は涙のせいか、それとも俺への憤りのせいなのか……真っ赤に充血している。
「私だって、直之さんのやり方に完全に納得してるわけじゃないよ。でもだからって、このまま見殺しにするわけにはいかないでしょ!?」
そう言った楠ノ瀬は今にも溢れ出しそうな涙を自分の掌でぐいっと拭った。
そしてまた、俺の顔をまっすぐに見つめる。
「さっきの……高遠くんがやったの?」
「……」
楠ノ瀬の質問に、俺は答えられない。
「それが、神様の力……なの?」
「……わからない」
俺は力なく首を左右に振った。
「そう……」
楠ノ瀬が俺を目を伏せて俯いた。
「だけど、このまま直之さんを放っておくわけにはいかない」
紅い唇をさらに紅く噛み締めて、彼女が言った。
「それは許されないし、」
俺の頬を抓る手により一層の力がこもる。
「許さない」
俺を……俺の内に潜む神までもを射抜こうとするような楠ノ瀬の強い視線が刺さった。
「……わかっひゃから、手、はなしひぇ」
「あ、ごめん」
楠ノ瀬がぱっ、と俺の頬っぺたから手を離した。
俺は鈍く痛む両頬をさすりながら、
「助けを呼びに行ったほうがいいんじゃないか? 二人で木を退かしてあの男を運ぶのは難しいと思う」
と、自分の考えを伝えた。
「そっか……そうだよね。私、先に下りて家の人を呼んでくる!」
了解というように大きく頷いた楠ノ瀬が、俺に背中を向けて一目散に神社へと続く道へと駆け出していった。
一人残された俺はゆっくりと足を動かして泉から上がった。
楠ノ瀬に醒まされて、俺の肉体は俺の制御下に戻ってきたみたいだった。
倒れた木の側まで近づいて徳堂の様子を伺うと、奴は意識を失っているらしく、ぴくりとも動かなかった。
『どうする?』
血を流して倒れる徳堂を無心で見ていた俺の頭の中に。
再び『あの声』が響く。
――どうする?
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