禁じられた逢瀬

スケキヨ

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憑依

憑依②

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 日はすでに沈み、山は薄闇に包まれていた。

 藍色の空には無数の星が瞬いている。澄み切った山の空気が、六等星ほどのわずかな光をも、くっきりと冴え渡らせていた。

 泉の表面は星の光を反射し、銀の粉をまぶしたように煌めいている。

 俺はゆっくりと周りの景色を見渡してから、楠ノ瀬の待つほとりへと歩みを進めた。

高遠たかとおくんっ……!」

 楠ノ瀬くすのせが泣きながら俺の傍へ駆け寄ろうとして……動きを止めた。俺の顔を見た彼女が目を見開いている。

「高遠くん……その目……」

 俺を見つめる楠ノ瀬の瞳が小刻みに震えていた。彼女の瞳に映る俺の姿も揺れている。

 俺は泉のへりに四つん這いになって首を伸ばし、水面に自分の顔を映してみた。

 ……目が、鮮やかな青色に光っている。

「これ、が……」

 初めて見た。

 ……青く光る自分の目、を。

 前に見せてもらった祖父さんの目よりも、鮮やかで明るい気がする。淡い燐光を放ちながら水面に映るそれは、泉に映りこむ星の一つのようにも見えた。

「それが『神の目』ってやつ? へぇ……ほんとに青いんだ」

 関心したような、面白がるような声が背後から聞こえた。

 振り返ると、傾いた古木に凭れかかって腕を組んでいる徳堂とくどう直之なおしの姿が目に入った。

 俺はゆっくりと瞳を動かして、視線の先にピタリと徳堂の姿を捉えた。宵闇にも関わらず、奴の姿をはっきりと確認できる。

 俺と徳堂の間に、弛みなく張られた銀糸のような視線が交錯した。

 奴は俺の青い目を興味深そうに見つめていた。
 俺はただ無感情に徳堂に目を向けていた。

 今の俺の目は、俺のものではなかった。
 まるで固有の意志を持つ別の生き物のようだった。



『お前は、何を望む?』

 あの声が、俺に問いかける。



 ――何を?



 俺は改めて徳堂の顔を見据えた。

 目が合った。

 奴が目を細めて、わらっている。

 片方の頬だけを持ち上げた皮肉な笑み。

 ――俺の大っ嫌いな、嗤い方だ。

 爪の跡がつきそうなほど、俺は強く拳を握りしめた。あの男への本能的な嫌悪感が増していく。

 ……憎しみが、膨らんでいく。

 俺の感情に比例するように、目が熱を帯びる。

 熱を逃すように、ゆっくりと瞼を下ろした。

 再び目を開いた瞬間――

 甘い香りのする風が吹き抜けた。

 徳堂が凭れていた古木の枝がしなって葉が散った。

 もう一度、風が吹いた。

 今度の風は強かった。

 竜巻のように渦を巻く風が、一直線に徳堂へと向かっていく。

 徳堂が凭れかかっていた木がバキバキと音を立てる。ひと抱えもある幹がボキッと垂直に折れて、徳堂の頭上めがけて倒れていく。

「きゃあああぁぁぁっ……!」

 木と風の音に混じって、楠ノ瀬のつんざくような悲鳴が響いた。


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