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わかってる
わかってる(2)
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真山から唐突に向けられた悪意に満ちた視線に――ひな子の身体は金縛りにでもかかったみたいに硬直してしまう。
ひな子を見据えたまま、カツカツとヒールの音を響かせて一直線に近付いてきた真山が、カーディガンをひったくるようにして、ひな子の胸元を露わにした。ボタンを引きちぎられたせいで隠しきれない胸の谷間が照明の下に晒される。
「あらあら。まさか脇田くんのことまで誑しこんでたなんて……。子供のくせに、どれだけ男好きなわけ? 大体あなたのせいで火神先生、学校を辞め……」
「真山!」
何か言いかけた真山を、火神が強い口調で遮る。
「白々しい真似はやめろ。あんた、知ってたんだろ? この男が羽澄に何をしていたか……」
「は? 何をおっしゃってるのか、わかりませんけど」
真山は片方の口の端を吊り上げて、歪んだ笑みを浮かべる。
「まさか脇田くんが無理やり羽澄さんに乱暴した……なんて言うんじゃありませんよね? 少なくとも、私の知ってる脇田くんはそういうことをする人じゃなかったはずですよ。案外、羽澄さんの方から誘ったんじゃないんですか? ――ねぇ、脇田くん?」
脇田の方を向いた真山が意味ありげに目くばせする。
「……そ、そうだ! そいつから誘ってきたんだ。そのデカい胸をこれ見よがしに押しつけてきて、」
「そんなことあるわけないだろう。コーチと生徒、先輩と後輩……お前と羽澄の立場を考えたら、どっちに主導権があったかなんて明らかだ」
この期に及んで、自分の非を認めないどころか、ひな子に罪をなすりつけようとする脇田の妄言を、火神が心底呆れながら切り捨てる。
「だとしても、羽澄さんの方は合意してたんじゃない?」
「そうだっ! 今日だって、そいつが自分からここに来たんだっ!」
「やっぱりね。こんな男を誘うような身体して……。ほんっと、とんだアバズレよね」
赤い唇を三日月の形に歪めながら、真山がひな子を見下ろす。
まったく隠す気のない、あからさまな蔑みの視線に、ひな子は泣きたい気持ちを堪えて唇を噛むしかなかった。
「あのー、すみません」
この場には似つかわしくない、のほほんとした声を上げた遠馬が、真山とひな子のあいだに割り込んだ。
「無駄な工作、やめたほうがいいですよ。すっごい無様なんで」
「なっ……!」
突然現れた見知らぬ第三者に、ペースを乱された真山が動揺する。
「兄さん、このおねーさん、誰?」
「この学校の教師だ」
「ふぅん。自分の生徒を侮辱するなんて最低だね。こういうタイプ、兄さん、大っ嫌いでしょ?」
「ああ」
火神の正直な答えにぷっと噴き出した遠馬が、真山の前で手を上げた。その手にはICレコーダーが握られている。
「とりあえず、今の会話もちゃんと録音してありますんで。あ、証拠はこれだけじゃないですよ。まぁ、おねーさんのことはしょっ引けないだろうけど、あんたがこの男たちの仲間だってことは、学校側に伝えといた方がよさそうですね」
愉しそうにそう言った遠馬が、意地の悪い笑顔を浮かべる。
「ちょっと……!」
レコーダーを目指して飛びかかってきた真山を、
「おっ、と」
遠馬は悠々と躱して、真山の手首をぐいっと掴んで下に引き、バランスを崩したところで、彼女の首の後ろに手刀を食らわせた。無駄のない一撃に真山がぐったりとなる。
「衣梨奈!?」
脇田が焦ったように声を上げる。
「大丈夫ですよー、ちょっと気を失ってるだけだから」
遠馬は意識を失った真山の身体を荷物でも運ぶみたいにズルズルと引きずっていって、脇田の側に寝かせた。
「これでよし、っと。じゃ、行こっか?」
「え、この人たちは?」
遠馬の言葉に驚いたひな子が質問すると、
「あ、そっか。でもまぁ、朝になったら誰か来るでしょ?」
事もなげに言ってのける遠馬に、ひな子の目が点になる。
「ひな子ちゃんはさ、ひとりで抱え込みすぎ。それに優しすぎる。あんな酷いことされたのに、まだこいつらに同情するの? 人が好いにもほどがあるよ。まぁ君のそういうところに兄さんも惹かれ……」
「遠馬! 余計なこと言わなくていいから。行くぞ。ほら、羽澄も」
床に座り込んだままのひな子に、火神が手を差し伸べる。その手を取って、ひな子はゆっくりと立ち上がった。
火神に手を引かれながら、更衣室の出口へと向かう。
「ひな子」
「龍ちゃん……」
扉の陰に、龍一郎が立っていた。
「ごめん、ひな子。俺……、脇田さんに、無理やり……」
「わかってる」
龍一郎に最後まで言わせないで、ひな子が口を開く。
「わかってるよ、龍ちゃん」
ひな子は少し背伸びをすると、犬のように項垂れる龍一郎の頭をヨシヨシと子供にでもするみたいに撫でた。
しばらくされるがままになっていた龍一郎が、キッと顔を上げて更衣室の中へと踏み込んでいく。
「脇田さん、すいません! でも、もうひな子に関わるのはやめてください。俺は、俺は…もう……どうなってもいいです。水泳ができなくなっても、皆から何と言われても……。でも、ひな子には、もう、」
脇田の前に膝をついた龍一郎が床に擦りつけるように頭を下げた。
「龍ちゃん……」
這いつくばる龍一郎をひな子はじっと見つめた。
「ひな子ちゃん、大丈夫?」
遠馬が心配そうにひな子の肩に手を置いて顔を覗きこんでくる。
自分でも気づかないうちに、ひな子は泣いていた。
「心配しなくても、あいつらが何かしてきたらすぐ警察に突き出してやるから。社会的に抹殺できるだけの証拠も揃ってるしね」
遠馬はそう言うと、ひな子を元気づけるように軽く笑いながら片目を瞑ってみせた。
ひな子は曖昧に頷いて、再び、龍一郎の背中へと目を向ける。
「龍ちゃん……」
ひな子の視線の先には龍一郎の背中があった。
そんな彼女を見つめる人がいたことに――ひな子は気づいていなかった。
*****
それから冬休みに入るまでの間、真山は学校に来なかった。
「インフルエンザ」ということになっていたが、本当の理由が別にあることをひな子は知っている。
真山や脇田のいない学校は平穏そのもので、受験勉強に追われているうちに、あっという間に冬休みがやって来た。
そして、冬休みが明けた新学期――
ひな子は火神が学校を辞めたことを知った。
ひな子を見据えたまま、カツカツとヒールの音を響かせて一直線に近付いてきた真山が、カーディガンをひったくるようにして、ひな子の胸元を露わにした。ボタンを引きちぎられたせいで隠しきれない胸の谷間が照明の下に晒される。
「あらあら。まさか脇田くんのことまで誑しこんでたなんて……。子供のくせに、どれだけ男好きなわけ? 大体あなたのせいで火神先生、学校を辞め……」
「真山!」
何か言いかけた真山を、火神が強い口調で遮る。
「白々しい真似はやめろ。あんた、知ってたんだろ? この男が羽澄に何をしていたか……」
「は? 何をおっしゃってるのか、わかりませんけど」
真山は片方の口の端を吊り上げて、歪んだ笑みを浮かべる。
「まさか脇田くんが無理やり羽澄さんに乱暴した……なんて言うんじゃありませんよね? 少なくとも、私の知ってる脇田くんはそういうことをする人じゃなかったはずですよ。案外、羽澄さんの方から誘ったんじゃないんですか? ――ねぇ、脇田くん?」
脇田の方を向いた真山が意味ありげに目くばせする。
「……そ、そうだ! そいつから誘ってきたんだ。そのデカい胸をこれ見よがしに押しつけてきて、」
「そんなことあるわけないだろう。コーチと生徒、先輩と後輩……お前と羽澄の立場を考えたら、どっちに主導権があったかなんて明らかだ」
この期に及んで、自分の非を認めないどころか、ひな子に罪をなすりつけようとする脇田の妄言を、火神が心底呆れながら切り捨てる。
「だとしても、羽澄さんの方は合意してたんじゃない?」
「そうだっ! 今日だって、そいつが自分からここに来たんだっ!」
「やっぱりね。こんな男を誘うような身体して……。ほんっと、とんだアバズレよね」
赤い唇を三日月の形に歪めながら、真山がひな子を見下ろす。
まったく隠す気のない、あからさまな蔑みの視線に、ひな子は泣きたい気持ちを堪えて唇を噛むしかなかった。
「あのー、すみません」
この場には似つかわしくない、のほほんとした声を上げた遠馬が、真山とひな子のあいだに割り込んだ。
「無駄な工作、やめたほうがいいですよ。すっごい無様なんで」
「なっ……!」
突然現れた見知らぬ第三者に、ペースを乱された真山が動揺する。
「兄さん、このおねーさん、誰?」
「この学校の教師だ」
「ふぅん。自分の生徒を侮辱するなんて最低だね。こういうタイプ、兄さん、大っ嫌いでしょ?」
「ああ」
火神の正直な答えにぷっと噴き出した遠馬が、真山の前で手を上げた。その手にはICレコーダーが握られている。
「とりあえず、今の会話もちゃんと録音してありますんで。あ、証拠はこれだけじゃないですよ。まぁ、おねーさんのことはしょっ引けないだろうけど、あんたがこの男たちの仲間だってことは、学校側に伝えといた方がよさそうですね」
愉しそうにそう言った遠馬が、意地の悪い笑顔を浮かべる。
「ちょっと……!」
レコーダーを目指して飛びかかってきた真山を、
「おっ、と」
遠馬は悠々と躱して、真山の手首をぐいっと掴んで下に引き、バランスを崩したところで、彼女の首の後ろに手刀を食らわせた。無駄のない一撃に真山がぐったりとなる。
「衣梨奈!?」
脇田が焦ったように声を上げる。
「大丈夫ですよー、ちょっと気を失ってるだけだから」
遠馬は意識を失った真山の身体を荷物でも運ぶみたいにズルズルと引きずっていって、脇田の側に寝かせた。
「これでよし、っと。じゃ、行こっか?」
「え、この人たちは?」
遠馬の言葉に驚いたひな子が質問すると、
「あ、そっか。でもまぁ、朝になったら誰か来るでしょ?」
事もなげに言ってのける遠馬に、ひな子の目が点になる。
「ひな子ちゃんはさ、ひとりで抱え込みすぎ。それに優しすぎる。あんな酷いことされたのに、まだこいつらに同情するの? 人が好いにもほどがあるよ。まぁ君のそういうところに兄さんも惹かれ……」
「遠馬! 余計なこと言わなくていいから。行くぞ。ほら、羽澄も」
床に座り込んだままのひな子に、火神が手を差し伸べる。その手を取って、ひな子はゆっくりと立ち上がった。
火神に手を引かれながら、更衣室の出口へと向かう。
「ひな子」
「龍ちゃん……」
扉の陰に、龍一郎が立っていた。
「ごめん、ひな子。俺……、脇田さんに、無理やり……」
「わかってる」
龍一郎に最後まで言わせないで、ひな子が口を開く。
「わかってるよ、龍ちゃん」
ひな子は少し背伸びをすると、犬のように項垂れる龍一郎の頭をヨシヨシと子供にでもするみたいに撫でた。
しばらくされるがままになっていた龍一郎が、キッと顔を上げて更衣室の中へと踏み込んでいく。
「脇田さん、すいません! でも、もうひな子に関わるのはやめてください。俺は、俺は…もう……どうなってもいいです。水泳ができなくなっても、皆から何と言われても……。でも、ひな子には、もう、」
脇田の前に膝をついた龍一郎が床に擦りつけるように頭を下げた。
「龍ちゃん……」
這いつくばる龍一郎をひな子はじっと見つめた。
「ひな子ちゃん、大丈夫?」
遠馬が心配そうにひな子の肩に手を置いて顔を覗きこんでくる。
自分でも気づかないうちに、ひな子は泣いていた。
「心配しなくても、あいつらが何かしてきたらすぐ警察に突き出してやるから。社会的に抹殺できるだけの証拠も揃ってるしね」
遠馬はそう言うと、ひな子を元気づけるように軽く笑いながら片目を瞑ってみせた。
ひな子は曖昧に頷いて、再び、龍一郎の背中へと目を向ける。
「龍ちゃん……」
ひな子の視線の先には龍一郎の背中があった。
そんな彼女を見つめる人がいたことに――ひな子は気づいていなかった。
*****
それから冬休みに入るまでの間、真山は学校に来なかった。
「インフルエンザ」ということになっていたが、本当の理由が別にあることをひな子は知っている。
真山や脇田のいない学校は平穏そのもので、受験勉強に追われているうちに、あっという間に冬休みがやって来た。
そして、冬休みが明けた新学期――
ひな子は火神が学校を辞めたことを知った。
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