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早く
早く(1)
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*****
「あ、ひな子ちゃーん。こっちこっち」
ひな子が駅の改札をくぐると、先に着いていたらしい遠馬がこちらに向かって手を振っているのが見えた。夕方の駅は会社帰りのサラリーマンや制服姿の学生たちで混み合っているが、長身の彼はよく目立つ。
ひな子は人ごみをかき分けて、遠馬の元へと走り寄った。
「すみません。お待たせしちゃって」
「大丈夫大丈夫。ぜーんぜん待ってないから。じゃ、行こっか」
口では『待っていない』と言いながら、やはり時間がないのか、挨拶もほどほどに、遠馬はひな子を促した。
スタスタと大股で先を行く遠馬。脚の長い彼の速度に合わせるのは大変だったが、ひな子は軽く小走りになりながら、なんとか後をついていく。見失ったりしたら、ここまでやって来た意味がない。
交差点の信号に引っかかったところで、ようやく遠馬の足が止まる。
「あ、あの、今日はありがとうございます。私のわがままを聞いていただいて」
ひな子は遠馬に向かってコクリと頭を下げた。運動不足のせいか、少し呼吸が乱れている。部活で鍛えていた高校生の頃なら、これぐらいで息が上がることなんてなかったのに。
「どうしたの? かしこまっちゃって」
小さく目を見開いた遠馬が、ひな子の顔をまじまじと見つめる。
「いえ、あの、なんか、私……ストーカーみたいなことしちゃったな、って。先生の実家にまで押しかけて……自分でもちょっと怖いんですけど……遠馬さんにもすごい迷惑をおかけしたんじゃないかと思って……」
話しているうちにどんどんテンションが下がっていくひな子に、
「っぷ……ふはは! 面白いねー、ひな子ちゃん。そんなに自虐しないで。別に迷惑だなんて思ってないから。それに、」
思わず吹き出した遠馬が穏やかに目を細めた。ひな子を慰めるように話を続ける。
「お礼を言いたいのはこっちのほうだよ。ありがとう。兄さんのこと、諦めないでいてくれて」
「え……」
「ひな子ちゃんから連絡もらって、俺、ホッとしたもん」
「え?」
ひな子が首を傾げると、
「心の底から、あぁ、よかった~……って思ったんだ。兄さんがまた誰かのために自分の欲しいものを諦めずに済んで、って」
「欲しいもの? 諦める?」
ひな子には遠馬の言う意味がわからない。
「うん。……あ、信号変わった。行こう」
遠馬は答えることなく、またスタスタと早足で歩いていってしまう。ひな子はそれ以上聞き出せないまま、黙ってその後を追いかけるしかなかった。
火神がひな子に黙って学校を辞めてから、一年半が過ぎていた。
自分のせいだ、とひな子は思った。
火神が学校を辞めたのは、自分が面倒に巻き込んだせいに違いない、と。
――火神に会いたい。
今までにないほど、強く感じた。
火神のマンションまで行って、彼が帰ってくるのを一日中待ちぶせしていたこともある。しかし、どれだけ待っても火神を捕まえることはできなかった。
引っ越してしまったのかもしれない。そう考えて、今度は火神の連絡先を聞いて回ったが、知っている生徒はいなかった。教師たちに聞いても当然教えてはもらえない。おそらく口止めされていたのだろう。学校側は間違いなくひな子と火神の関係を知っていたのだから……。
それでも、ひな子は特に処分されることもなく無事に高校を卒業することできた。それはきっと、火神の退職と無関係ではなかったはずだ。
*****
「あ、あれだよ。あの白いやつ」
遠馬が指差した方に目をやると、夕暮れの赤い空を背景に、キューブみたいな形の近代的な建物が浮かび上がっていた。広い敷地に悠々とそびえ立つその外観は一見解放的だが、入口には頑丈そうな門があり、脇には制服姿の守衛がふたりも立っていて、誰でも自由に出入りできるわけではなさそうだった。
「もう少しで出てくるはずだから。ちょっとここで待ってよっか」
遠馬とひな子は道路を挟んだ向かいの歩道に植えられた街路樹の陰に身を隠して、その人が現れるのを待つことにする。
そう、遠馬が連れてきてくれたのは、火神の新しい職場だった。
――もうすぐ火神先生に会える。
緊張して、胸が苦しい。
隣にいる遠馬にも聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、心臓がバクバクと脈打っている。
当たり前のように毎日顔を合わせていた高校時代が嘘みたいだ。
「お、来た来た」
遠馬の声に、ひな子は顔を上げた。
ちょうど門を抜けようとしていた長身の男が目に入る。
「……火神先生」
久しぶりに見る火神の姿に目が釘付けになる。
少し髪が伸びた気がする。少し痩せた気がする。でも全然変わってない気もする。
どうしよう。
早く会いたい。早く会いたい。早く触れたい……。
「よし、行くよ。……おーい、兄さん!」
「え、ちょっ……待っ、」
戸惑うひな子の声を無視して、遠馬が火神の前へと進み出た。
ひな子もあわてて後を追う。
すぐ目の前にいるというのに、火神の顔が見れない。
ひな子が遠馬の背中に隠れるようにして顔を伏せていると――
「……何やってるんだ、お前たち」
懐かしい声が耳をついた。
「あ、ひな子ちゃーん。こっちこっち」
ひな子が駅の改札をくぐると、先に着いていたらしい遠馬がこちらに向かって手を振っているのが見えた。夕方の駅は会社帰りのサラリーマンや制服姿の学生たちで混み合っているが、長身の彼はよく目立つ。
ひな子は人ごみをかき分けて、遠馬の元へと走り寄った。
「すみません。お待たせしちゃって」
「大丈夫大丈夫。ぜーんぜん待ってないから。じゃ、行こっか」
口では『待っていない』と言いながら、やはり時間がないのか、挨拶もほどほどに、遠馬はひな子を促した。
スタスタと大股で先を行く遠馬。脚の長い彼の速度に合わせるのは大変だったが、ひな子は軽く小走りになりながら、なんとか後をついていく。見失ったりしたら、ここまでやって来た意味がない。
交差点の信号に引っかかったところで、ようやく遠馬の足が止まる。
「あ、あの、今日はありがとうございます。私のわがままを聞いていただいて」
ひな子は遠馬に向かってコクリと頭を下げた。運動不足のせいか、少し呼吸が乱れている。部活で鍛えていた高校生の頃なら、これぐらいで息が上がることなんてなかったのに。
「どうしたの? かしこまっちゃって」
小さく目を見開いた遠馬が、ひな子の顔をまじまじと見つめる。
「いえ、あの、なんか、私……ストーカーみたいなことしちゃったな、って。先生の実家にまで押しかけて……自分でもちょっと怖いんですけど……遠馬さんにもすごい迷惑をおかけしたんじゃないかと思って……」
話しているうちにどんどんテンションが下がっていくひな子に、
「っぷ……ふはは! 面白いねー、ひな子ちゃん。そんなに自虐しないで。別に迷惑だなんて思ってないから。それに、」
思わず吹き出した遠馬が穏やかに目を細めた。ひな子を慰めるように話を続ける。
「お礼を言いたいのはこっちのほうだよ。ありがとう。兄さんのこと、諦めないでいてくれて」
「え……」
「ひな子ちゃんから連絡もらって、俺、ホッとしたもん」
「え?」
ひな子が首を傾げると、
「心の底から、あぁ、よかった~……って思ったんだ。兄さんがまた誰かのために自分の欲しいものを諦めずに済んで、って」
「欲しいもの? 諦める?」
ひな子には遠馬の言う意味がわからない。
「うん。……あ、信号変わった。行こう」
遠馬は答えることなく、またスタスタと早足で歩いていってしまう。ひな子はそれ以上聞き出せないまま、黙ってその後を追いかけるしかなかった。
火神がひな子に黙って学校を辞めてから、一年半が過ぎていた。
自分のせいだ、とひな子は思った。
火神が学校を辞めたのは、自分が面倒に巻き込んだせいに違いない、と。
――火神に会いたい。
今までにないほど、強く感じた。
火神のマンションまで行って、彼が帰ってくるのを一日中待ちぶせしていたこともある。しかし、どれだけ待っても火神を捕まえることはできなかった。
引っ越してしまったのかもしれない。そう考えて、今度は火神の連絡先を聞いて回ったが、知っている生徒はいなかった。教師たちに聞いても当然教えてはもらえない。おそらく口止めされていたのだろう。学校側は間違いなくひな子と火神の関係を知っていたのだから……。
それでも、ひな子は特に処分されることもなく無事に高校を卒業することできた。それはきっと、火神の退職と無関係ではなかったはずだ。
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「あ、あれだよ。あの白いやつ」
遠馬が指差した方に目をやると、夕暮れの赤い空を背景に、キューブみたいな形の近代的な建物が浮かび上がっていた。広い敷地に悠々とそびえ立つその外観は一見解放的だが、入口には頑丈そうな門があり、脇には制服姿の守衛がふたりも立っていて、誰でも自由に出入りできるわけではなさそうだった。
「もう少しで出てくるはずだから。ちょっとここで待ってよっか」
遠馬とひな子は道路を挟んだ向かいの歩道に植えられた街路樹の陰に身を隠して、その人が現れるのを待つことにする。
そう、遠馬が連れてきてくれたのは、火神の新しい職場だった。
――もうすぐ火神先生に会える。
緊張して、胸が苦しい。
隣にいる遠馬にも聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、心臓がバクバクと脈打っている。
当たり前のように毎日顔を合わせていた高校時代が嘘みたいだ。
「お、来た来た」
遠馬の声に、ひな子は顔を上げた。
ちょうど門を抜けようとしていた長身の男が目に入る。
「……火神先生」
久しぶりに見る火神の姿に目が釘付けになる。
少し髪が伸びた気がする。少し痩せた気がする。でも全然変わってない気もする。
どうしよう。
早く会いたい。早く会いたい。早く触れたい……。
「よし、行くよ。……おーい、兄さん!」
「え、ちょっ……待っ、」
戸惑うひな子の声を無視して、遠馬が火神の前へと進み出た。
ひな子もあわてて後を追う。
すぐ目の前にいるというのに、火神の顔が見れない。
ひな子が遠馬の背中に隠れるようにして顔を伏せていると――
「……何やってるんだ、お前たち」
懐かしい声が耳をついた。
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