11 / 54
11. 承知しました。
しおりを挟む
ひと通りの挨拶を済ませると、直人はあっさり帰っていった。仕事の途中で抜けてきたらしい。
「社長の息子」といえば、親の威光を笠に着て鼻もちならないクソ野郎を連想するかもしれないが、小田桐直人はまったく逆のタイプだ。
今日だって、声をかけてくれた大川部長の顔を立て、新しく入った鴻上課長には顔をつなぐべく、わざわざ時間を割いて足を運んできたのだ。
「直人くんはそういう人だ。昔から」と、琴子は思う。
周りに気をつかってばかりいる。
社員にはもちろん、家族にも……そして、琴子にも。
彼はいつも全方位に気を配っている。
琴子に対しても、いつも優しい態度で接してくれる。たとえ琴子がどんなに酷い仕打ちをしたとしても、彼ならきっと許してくれるに違いない。
小田桐直人は琴子の婚約者だ。
ただし。
婚約者ではあっても、恋人同士ではない。
残念ながら琴子に恋人はいないのだ。ずっと。
「あ~咲坂さん、グラス空いてるじゃないですかぁ。注文しますよ、何にします?」
考えごとに耽っている間に、いつのまにかグラスを空けていたらしい。
琴子は、幹事らしく注文を取りに来た柿澤にウーロン茶を頼んだ。
お酒は好きだし、飲めないわけでもないが、会社の飲み会では最初の一杯しか飲まないようにしている。
これでも社内での素行には気をつけているのだ。いざ本当に直人と結婚することになったとき、困らないように。
ウーロン茶を飲んだら、さっさと帰ろう。
そして家で飲みなおそう。
明日は休みだし、もう好きなだけ飲んで面倒なことは忘れてしまおう。
「うん、それがいい」
琴子は下を向いて呟くと、ひとりでうんうん、と頷いた。
あー、はやく終わらないかな。この飲み会。
時間を確認しようとスマホを取り出すと、メッセージが二件、つい五分ほど前に届いていた。差出人を見て、琴子の眉間に思わず深いシワが寄る。
「なんで……」
琴子は首を伸ばしてあの男がいるはずのテーブルに視線を集中させる。
「……いない」
メッセージの差出人――鴻上は席を外しているらしい。
……直人くんの件だろうか。
後ろめたさに心臓をギュッと鷲掴みにされたような重苦しさを覚えつつ、琴子はアプリを開いて内容を確認した。
一件目は、
『この後、会えないか?
いつもの場所に来てほしい
もし来なかったら、この写真を拡散して、会社のみんなに俺たちの関係をバラす』
「……は?」
後半の文面の思いがけない不穏さに、琴子の心臓がどくどくと早鐘を打つ。なんというか……嫌な予感しかしない。
つづいて送られてきているのは一枚の画像だ。
スマホの画面を恐る恐るスクロールして表示させてみると――
そこには琴子が写っていた。
「……勘弁してよ」
琴子は思わず頭を抱えて呻いた。
写っているのは琴子の寝顔だった。
薄っすらと口が開いていて、ぐっすりと寝入っている様子がうかがえる。
顔の下にはむき出しの首筋、肩、腕……。
当然、服は着ていない。
胸元までシーツを引き上げているせいで、そこまで見られてマズイものは写っていないけれど……。
もちろん問題はそこじゃない。
もし、この写真を鴻上課長が撮ったことが知られたら?
そう、本当に問題なのは――琴子と鴻上がベッドで裸で寝ている無防備な姿をこんな至近距離で撮影できるような関係だってことだよ!
これはマズい。非常にマズい。
直人くんに知られるのはまぁいいとして。
お互いの親の耳にでも入ったらどうなることか。
特に直人の父親――つまり、うちの会社の小田桐社長――は、琴子をだいぶ美化しているフシがあるのだ。
可愛くて清楚で男なんて知らない純粋な琴子ちゃん。
社長の脳内イメージは、琴子が十代の少女だった頃のままで止まっている。その誤解は都合がいいので、少なくとも今のところ、琴子は敢えて自分からそのイメージを壊しにいくつもりはない。
「ウーロン茶、お待たせしました!」
ようやく届いたウーロン茶をぐびぐびと一気に飲み干すと、琴子はスマホを睨みつけた。
あー、いまいましい。
さっさと帰ろうと思ってたのに!
琴子は心の中で悪態をつきながら返事を考えた。
相手を「鴻上課長」として扱えばいいのか、それとも「サクちゃん」として扱えばいいのか……しばらく逡巡したものの、琴子は意を決して打ち込んだ。
『承知しました。』
「社長の息子」といえば、親の威光を笠に着て鼻もちならないクソ野郎を連想するかもしれないが、小田桐直人はまったく逆のタイプだ。
今日だって、声をかけてくれた大川部長の顔を立て、新しく入った鴻上課長には顔をつなぐべく、わざわざ時間を割いて足を運んできたのだ。
「直人くんはそういう人だ。昔から」と、琴子は思う。
周りに気をつかってばかりいる。
社員にはもちろん、家族にも……そして、琴子にも。
彼はいつも全方位に気を配っている。
琴子に対しても、いつも優しい態度で接してくれる。たとえ琴子がどんなに酷い仕打ちをしたとしても、彼ならきっと許してくれるに違いない。
小田桐直人は琴子の婚約者だ。
ただし。
婚約者ではあっても、恋人同士ではない。
残念ながら琴子に恋人はいないのだ。ずっと。
「あ~咲坂さん、グラス空いてるじゃないですかぁ。注文しますよ、何にします?」
考えごとに耽っている間に、いつのまにかグラスを空けていたらしい。
琴子は、幹事らしく注文を取りに来た柿澤にウーロン茶を頼んだ。
お酒は好きだし、飲めないわけでもないが、会社の飲み会では最初の一杯しか飲まないようにしている。
これでも社内での素行には気をつけているのだ。いざ本当に直人と結婚することになったとき、困らないように。
ウーロン茶を飲んだら、さっさと帰ろう。
そして家で飲みなおそう。
明日は休みだし、もう好きなだけ飲んで面倒なことは忘れてしまおう。
「うん、それがいい」
琴子は下を向いて呟くと、ひとりでうんうん、と頷いた。
あー、はやく終わらないかな。この飲み会。
時間を確認しようとスマホを取り出すと、メッセージが二件、つい五分ほど前に届いていた。差出人を見て、琴子の眉間に思わず深いシワが寄る。
「なんで……」
琴子は首を伸ばしてあの男がいるはずのテーブルに視線を集中させる。
「……いない」
メッセージの差出人――鴻上は席を外しているらしい。
……直人くんの件だろうか。
後ろめたさに心臓をギュッと鷲掴みにされたような重苦しさを覚えつつ、琴子はアプリを開いて内容を確認した。
一件目は、
『この後、会えないか?
いつもの場所に来てほしい
もし来なかったら、この写真を拡散して、会社のみんなに俺たちの関係をバラす』
「……は?」
後半の文面の思いがけない不穏さに、琴子の心臓がどくどくと早鐘を打つ。なんというか……嫌な予感しかしない。
つづいて送られてきているのは一枚の画像だ。
スマホの画面を恐る恐るスクロールして表示させてみると――
そこには琴子が写っていた。
「……勘弁してよ」
琴子は思わず頭を抱えて呻いた。
写っているのは琴子の寝顔だった。
薄っすらと口が開いていて、ぐっすりと寝入っている様子がうかがえる。
顔の下にはむき出しの首筋、肩、腕……。
当然、服は着ていない。
胸元までシーツを引き上げているせいで、そこまで見られてマズイものは写っていないけれど……。
もちろん問題はそこじゃない。
もし、この写真を鴻上課長が撮ったことが知られたら?
そう、本当に問題なのは――琴子と鴻上がベッドで裸で寝ている無防備な姿をこんな至近距離で撮影できるような関係だってことだよ!
これはマズい。非常にマズい。
直人くんに知られるのはまぁいいとして。
お互いの親の耳にでも入ったらどうなることか。
特に直人の父親――つまり、うちの会社の小田桐社長――は、琴子をだいぶ美化しているフシがあるのだ。
可愛くて清楚で男なんて知らない純粋な琴子ちゃん。
社長の脳内イメージは、琴子が十代の少女だった頃のままで止まっている。その誤解は都合がいいので、少なくとも今のところ、琴子は敢えて自分からそのイメージを壊しにいくつもりはない。
「ウーロン茶、お待たせしました!」
ようやく届いたウーロン茶をぐびぐびと一気に飲み干すと、琴子はスマホを睨みつけた。
あー、いまいましい。
さっさと帰ろうと思ってたのに!
琴子は心の中で悪態をつきながら返事を考えた。
相手を「鴻上課長」として扱えばいいのか、それとも「サクちゃん」として扱えばいいのか……しばらく逡巡したものの、琴子は意を決して打ち込んだ。
『承知しました。』
1
あなたにおすすめの小説
鬼上官と、深夜のオフィス
99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」
間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。
けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……?
「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」
鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。
※性的な事柄をモチーフとしていますが
その描写は薄いです。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】エリート産業医はウブな彼女を溺愛する。
花澤凛
恋愛
第17回 恋愛小説大賞 奨励賞受賞
皆さまのおかげで賞をいただくことになりました。
ありがとうございます。
今好きな人がいます。
相手は殿上人の千秋柾哉先生。
仕事上の関係で気まずくなるぐらいなら眺めているままでよかった。
それなのに千秋先生からまさかの告白…?!
「俺と付き合ってくれませんか」
どうしよう。うそ。え?本当に?
「結構はじめから可愛いなあって思ってた」
「なんとか自分のものにできないかなって」
「果穂。名前で呼んで」
「今日から俺のもの、ね?」
福原果穂26歳:OL:人事労務部
×
千秋柾哉33歳:産業医(名門外科医家系御曹司出身)
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる