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21. こんなカオもするのか
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名古屋支社に到着すると、打合せに参加する他のメンバーはすでに集まっていた。
「もう少し早く来るつもりだったのに……」と、琴子はひそかに反省する。
遅くなった原因は明らかだ。そう、ひつまぶしを堪能しすぎたせいである。
最初の一杯目はそのまま、二杯目は薬味をのせて、そして最後は出汁をかけてお茶漬けに――という、ひつまぶしを食す際の工程をすべてクリアするのに思ったより時間がかかってしまったのだ。
「遅くなってすみません。営業の鴻上です。本日はよろしくお願いします」
焦る琴子とちがって、鴻上は堂々としたものだ。
今回の打合せは海外への販路を広げるための全社的なプロジェクトの一環らしく、鴻上と琴子以外にも、経営企画部や商品開発部、マーケティング部など、他部署のメンバーもそれぞれ数人ずつ参加していた。東京から来ていたのは琴子たちを含めて七人である。
「サクちゃん、久しぶり」
――サクちゃん。
久しぶりに聞いたその呼び名に琴子の肩が反射的にビクッと震えた。社内で鴻上のことをそう呼ぶ人間が自分以外にもいたことに驚く。
一方の鴻上はいつもどおりの涼しい顔で、声の主に応えていた。
「お久しぶりです、麻生さん。お疲れ様です」
麻生さん、と呼ばれた女性が鴻上と琴子の正面へスタスタと真っ直ぐに歩いてくる。
「お疲れさまー。こちらは?」
鴻上に向かってにこやかに挨拶したその女性が、琴子に目を留める。
「営業二課の咲坂さんです。今日はサポートで来てもらってるんですよ」
「咲坂です、よろしくお願いします」
琴子は軽くお辞儀をして自分の名前を名乗った。
「経営企画の麻生です。よろしくね、咲坂さん」
にこっと微笑んでみせたその表情に、琴子はしばし見惚れた。
だって「経営企画部の麻生理華」と言えば社内では知らない人のいない有名人だ。毎年のように、新卒向け採用サイトのトップ写真を飾っているし、「活躍する女性社員」の代表としてインタビューも掲載されている。おそらく女子学生を集めるための広告塔なんだろうけど、この人がすごいのは外見の良さだけじゃなくて、ちゃんと実力も伴っているところなのだ。
琴子の脳裏に「すごく尊敬してるんだ」と嬉しそうに彼女のことを語っていた直人のまぶしい表情が思い浮かぶ。
写真映えする堀の深い美貌はさることながら、物怖じしない仕事ぶりも高く評価されていて、経営企画部という将来の幹部候補生たちが集まる部署においても部長候補の筆頭だという。
「うちは私ともう一人、こちらの新堂くんが参加します」
麻生に紹介されて物陰から姿を現したのは、色白でヒョロリと痩せた男の子だった。社会人男性に向かって「男の子」というのもアレだけど、「男性」と呼ぶにはいかにも線が細い。
「新堂くんはまだ二年目だけど、呑み込みも早いし、自分で考えていろいろ提案してくれるし、うちの部の期待の星なんですよ。ね?」
「やめてくださいよ、麻生さん。……無駄にハードル上げるの」
困ったように顔をしかめて答えた新堂の声に、琴子は一瞬ぽかんとなった。その声が、彼の外見の幼さからは想像もつかないような低めのテノールだったからだ。
「新堂怜と申します。よろしくお願いします」
あらためて自己紹介をする新堂には、たしかに謎の落ち着きがあった。
琴子が覚えているかぎり、彼についての評価は直人の口から聞いたことはないが、なんとなく仕事がデキそうなオーラが滲み出ているような気がする。さすが麻生が推すだけのことはある。それとも、麻生が推すからそう思えてくるのか……。
「咲坂さん」
今度は背後から声をかけられて琴子が振り返ると、
「あ、久しぶり。松風くん」
マーケティング部で琴子と同期の松風颯斗が穏やかな笑みを浮かべていた。
名前の中に「風」という字が二つ入っているが、彼の場合「名は体を表す」という言葉どおり、世間の風向きを読むのがうまく、うちのヒット商品の影には彼の分析が活かされていることも多いらしい。
背丈は琴子より少し高いくらいだが、ジャケットの上からでもわかるくらい筋肉質な身体の持ち主で、琴子は彼を見るといつもヒョウやチーターのようなネコ科の大型動物を連想してしまう。
他に商品開発部から参加していたメンバー二人とも各々に挨拶を交わしていると、
「スミマセン、お待たせしました。今日は遠いところ、わざわざ名古屋までお越しいただき、ありがとうございます。私はアーロン・エバンスです。よろしくお願いします」
名古屋地区のエリア部長・エバンス氏がにぎやかに姿を現した。
エバンスさんはイギリス出身だそうだが、日本に来てからすでに四半世紀ほど経っているらしく……端的に言うと、日本語が非常に堪能だった。
琴子は黙々と議事録の作成に勤しんではいたものの、結局、最初から最後まですべて日本語で行われたため、「やっぱり鬼頭さんでもよかったんじゃない?」と思わずにはいられなかった。
隣に座る鴻上にチラチラと恨みがましい視線を投げかけてみたものの、彼は気づいているのか、いないのか……打合せの間、ずっと真摯な表情で他の参加者の発言に耳を傾けていた。
――こんな表情もするのか。
琴子は初めて会った人を見るような思いで鴻上の横顔を眺めたのだった。
名古屋支社に到着すると、打合せに参加する他のメンバーはすでに集まっていた。
「もう少し早く来るつもりだったのに……」と、琴子はひそかに反省する。
遅くなった原因は明らかだ。そう、ひつまぶしを堪能しすぎたせいである。
最初の一杯目はそのまま、二杯目は薬味をのせて、そして最後は出汁をかけてお茶漬けに――という、ひつまぶしを食す際の工程をすべてクリアするのに思ったより時間がかかってしまったのだ。
「遅くなってすみません。営業の鴻上です。本日はよろしくお願いします」
焦る琴子とちがって、鴻上は堂々としたものだ。
今回の打合せは海外への販路を広げるための全社的なプロジェクトの一環らしく、鴻上と琴子以外にも、経営企画部や商品開発部、マーケティング部など、他部署のメンバーもそれぞれ数人ずつ参加していた。東京から来ていたのは琴子たちを含めて七人である。
「サクちゃん、久しぶり」
――サクちゃん。
久しぶりに聞いたその呼び名に琴子の肩が反射的にビクッと震えた。社内で鴻上のことをそう呼ぶ人間が自分以外にもいたことに驚く。
一方の鴻上はいつもどおりの涼しい顔で、声の主に応えていた。
「お久しぶりです、麻生さん。お疲れ様です」
麻生さん、と呼ばれた女性が鴻上と琴子の正面へスタスタと真っ直ぐに歩いてくる。
「お疲れさまー。こちらは?」
鴻上に向かってにこやかに挨拶したその女性が、琴子に目を留める。
「営業二課の咲坂さんです。今日はサポートで来てもらってるんですよ」
「咲坂です、よろしくお願いします」
琴子は軽くお辞儀をして自分の名前を名乗った。
「経営企画の麻生です。よろしくね、咲坂さん」
にこっと微笑んでみせたその表情に、琴子はしばし見惚れた。
だって「経営企画部の麻生理華」と言えば社内では知らない人のいない有名人だ。毎年のように、新卒向け採用サイトのトップ写真を飾っているし、「活躍する女性社員」の代表としてインタビューも掲載されている。おそらく女子学生を集めるための広告塔なんだろうけど、この人がすごいのは外見の良さだけじゃなくて、ちゃんと実力も伴っているところなのだ。
琴子の脳裏に「すごく尊敬してるんだ」と嬉しそうに彼女のことを語っていた直人のまぶしい表情が思い浮かぶ。
写真映えする堀の深い美貌はさることながら、物怖じしない仕事ぶりも高く評価されていて、経営企画部という将来の幹部候補生たちが集まる部署においても部長候補の筆頭だという。
「うちは私ともう一人、こちらの新堂くんが参加します」
麻生に紹介されて物陰から姿を現したのは、色白でヒョロリと痩せた男の子だった。社会人男性に向かって「男の子」というのもアレだけど、「男性」と呼ぶにはいかにも線が細い。
「新堂くんはまだ二年目だけど、呑み込みも早いし、自分で考えていろいろ提案してくれるし、うちの部の期待の星なんですよ。ね?」
「やめてくださいよ、麻生さん。……無駄にハードル上げるの」
困ったように顔をしかめて答えた新堂の声に、琴子は一瞬ぽかんとなった。その声が、彼の外見の幼さからは想像もつかないような低めのテノールだったからだ。
「新堂怜と申します。よろしくお願いします」
あらためて自己紹介をする新堂には、たしかに謎の落ち着きがあった。
琴子が覚えているかぎり、彼についての評価は直人の口から聞いたことはないが、なんとなく仕事がデキそうなオーラが滲み出ているような気がする。さすが麻生が推すだけのことはある。それとも、麻生が推すからそう思えてくるのか……。
「咲坂さん」
今度は背後から声をかけられて琴子が振り返ると、
「あ、久しぶり。松風くん」
マーケティング部で琴子と同期の松風颯斗が穏やかな笑みを浮かべていた。
名前の中に「風」という字が二つ入っているが、彼の場合「名は体を表す」という言葉どおり、世間の風向きを読むのがうまく、うちのヒット商品の影には彼の分析が活かされていることも多いらしい。
背丈は琴子より少し高いくらいだが、ジャケットの上からでもわかるくらい筋肉質な身体の持ち主で、琴子は彼を見るといつもヒョウやチーターのようなネコ科の大型動物を連想してしまう。
他に商品開発部から参加していたメンバー二人とも各々に挨拶を交わしていると、
「スミマセン、お待たせしました。今日は遠いところ、わざわざ名古屋までお越しいただき、ありがとうございます。私はアーロン・エバンスです。よろしくお願いします」
名古屋地区のエリア部長・エバンス氏がにぎやかに姿を現した。
エバンスさんはイギリス出身だそうだが、日本に来てからすでに四半世紀ほど経っているらしく……端的に言うと、日本語が非常に堪能だった。
琴子は黙々と議事録の作成に勤しんではいたものの、結局、最初から最後まですべて日本語で行われたため、「やっぱり鬼頭さんでもよかったんじゃない?」と思わずにはいられなかった。
隣に座る鴻上にチラチラと恨みがましい視線を投げかけてみたものの、彼は気づいているのか、いないのか……打合せの間、ずっと真摯な表情で他の参加者の発言に耳を傾けていた。
――こんな表情もするのか。
琴子は初めて会った人を見るような思いで鴻上の横顔を眺めたのだった。
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